ハワイの新聞記事から その214 1961年 カメハメハ~ハワイ製のナイロンニットのスイムスーツがデビュー(5) [ハワイの新聞記事から]
筆者が収集した、
アロハシャツに関する
ハワイの新聞記事の中から
面白そうなものを
ランダムに選び、
翻訳してご紹介しています。
引き続き、
カメハメハ・ガーメント社に
関する記事をお送りします。
現在は、1961年のホノルル・
アドヴァタイザー紙に
掲載された記事を翻訳中です。
****************************
『1961年 カメハメハ~
ハワイ製のナイロン・ニットの
スイム・スーツがデビュー(5)
文/クレオ・エヴァンズ
日本からの輸入品が
入手できなくなった戦争中に、
ハワイアン・プリントは
「一本立ちした」。
これもまた
成功物語である。
ファブリック・デザイナーたちは
初期の、けばけばしい花柄や、
標語がちりばめられた柄から、
趣味の良い、
注意深くデザインされた
ハワイアン・モチーフへと
進歩を遂げたのである。
ブライナー夫妻は、
これまでに60万ヤード
(訳注:54万8640メートル)
以上を生産したプルメリア柄を
誇りとしている。
「7年間売れるものを作るなんて
めったにないことですよ。」と、
6人の絵描きを雇っている
ブライナー氏は言った。』
****************************
今回は水着の話ではなく
プリントの話なので、
意味のある内容だったと
思います。
・日本からの輸入品が途絶えて
自分たちでハワイ柄を
デザインするようになったこと
・けばけばしい花柄や、
標語がちりばめられた柄から
趣味の良い、
注意深くデザインされた
ハワイアン・モチーフへと
進歩したこと
・プルメリア柄は
(1954年から61年までの)
7年間で60万ヤードの
大ヒットを飛ばしたこと
・1961年時点で
6人の絵描きを雇っていること
ちなみに、ここに出てきた
プルメリア柄というのは、
おそらく、
ヤフオクでもよく見かける、
こちら ↓ でしょう。
(筆者コレクションより)
古着市場で、色違いが
たくさん見つかることからも
ヒットした柄だと
推測できます。
(過去のヤフオク出品物より)
それにしても、
6人の絵描きというのは
誰なのでしょうね?
名前を知りたいものです。
(次回に続く)
アロハシャツに関する
ハワイの新聞記事の中から
面白そうなものを
ランダムに選び、
翻訳してご紹介しています。
引き続き、
カメハメハ・ガーメント社に
関する記事をお送りします。
現在は、1961年のホノルル・
アドヴァタイザー紙に
掲載された記事を翻訳中です。
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『1961年 カメハメハ~
ハワイ製のナイロン・ニットの
スイム・スーツがデビュー(5)
文/クレオ・エヴァンズ
日本からの輸入品が
入手できなくなった戦争中に、
ハワイアン・プリントは
「一本立ちした」。
これもまた
成功物語である。
ファブリック・デザイナーたちは
初期の、けばけばしい花柄や、
標語がちりばめられた柄から、
趣味の良い、
注意深くデザインされた
ハワイアン・モチーフへと
進歩を遂げたのである。
ブライナー夫妻は、
これまでに60万ヤード
(訳注:54万8640メートル)
以上を生産したプルメリア柄を
誇りとしている。
「7年間売れるものを作るなんて
めったにないことですよ。」と、
6人の絵描きを雇っている
ブライナー氏は言った。』
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今回は水着の話ではなく
プリントの話なので、
意味のある内容だったと
思います。
・日本からの輸入品が途絶えて
自分たちでハワイ柄を
デザインするようになったこと
・けばけばしい花柄や、
標語がちりばめられた柄から
趣味の良い、
注意深くデザインされた
ハワイアン・モチーフへと
進歩したこと
・プルメリア柄は
(1954年から61年までの)
7年間で60万ヤードの
大ヒットを飛ばしたこと
・1961年時点で
6人の絵描きを雇っていること
ちなみに、ここに出てきた
プルメリア柄というのは、
おそらく、
ヤフオクでもよく見かける、
こちら ↓ でしょう。
(筆者コレクションより)
古着市場で、色違いが
たくさん見つかることからも
ヒットした柄だと
推測できます。
(過去のヤフオク出品物より)
それにしても、
6人の絵描きというのは
誰なのでしょうね?
名前を知りたいものです。
(次回に続く)