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ヤフオクで見かけたヴィンテージアロハシャツ(262)新出品のアロハシャツ [ヤフオクで見かけたヴィンテージアロハシャツ]

本日は週末なので、
恒例の「ヤフオクで見かけた
ヴィンテージアロハシャツ」を、
お届けします。

今回は、
「新出品のアロハシャツ」を
ご紹介します。

本日は簡単に。

まず最初はこちらです。

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https://page.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/1090245983

フラガールと守礼門の有名な
ピクチャープリントになります。

ブランドは「クウイポ」、
素材はレーヨン、
ボタンは竹ボタンです。


続いてはこちらです。
まもなく終了しそうですが。

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https://page.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/q1051756656

ヤシの木と家、
帽子をかぶった男の柄で、
ジョン・メイグスが描いたと
言われる柄です。

同じシャツが確か以前にも
ヤフオクに出品されていて
ご紹介したことがあるのですが
同じ人の再出品か、
落札した人の出品かの
どちらかでしょう。

素材はレーヨン、
プリントは抜染、
ボタンは貝ボタンで、
ブランドは「グローヴァー」
になります。
長袖というところが
珍しいですね。


そして次の4つは
同じ方が出品しています。

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https://page.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/s1090336543

「アッシュフィールド」の
フェズ帽とラクダの柄です。


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https://page.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/g1090337030

「ピルグリム・
スポーツウェア」の
ハイビスカス柄です。

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https://page.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/f1090332143

正方形タグが付いた
「デューク・カハナモク」の
有名な、ヤシの木と
ダイヤモンドヘッドの柄です。
最も有名なホリゾンタル・
パターンと言っていいでしょう。


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https://page.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/t1090336733

同じく正方形の
「デューク・カハナモク」の
カヌーと波の柄です。
グラフィカルで美しい
柄ですよね。
濃紺地というのも
評価が高そうです。


魅力的なヴィンテージが
続々と出品されていますよ。
是非チェックしてみてください。

それではこの辺で。



(次回に続く)

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ヤフオクで見かけたヴィンテージアロハシャツ(261)最近終了した注目のアロハシャツ [ヤフオクで見かけたヴィンテージアロハシャツ]

本日は週末なので、
恒例の「ヤフオクで見かけた
ヴィンテージアロハシャツ」を、
お届けします。

今回は、
「最近終了した
注目のアロハシャツ」を
ご紹介します。

まず最初はこちらです。

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https://page.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/1089468036

トム・マグワイヤーという男性と
ネリー・マグワイヤーという
女性が、観光客にレイを
渡そうとしているところから、
旅行会社の柄ではないかと
言われている有名柄です。
踊るフラガールや
飛ぶユナイテッドの飛行機など、
ハワイ的モチーフも満載です。

素材はレーヨン、
プリントはオーバープリント、
ボタンは竹ボタンで、
ブランドは「サーフライダーズ・
スポーツウェア」です。

それなりの高額でしたが
希少な有名柄で雰囲気も良い
ということを考えれば
この価格でも
お安かったのでは
ないでしょうか?


続いてはこちらです。

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https://page.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/c1089433824

岩の断崖と渓流、
そこを泳ぐ(遡上する)
鮎のような魚、
そして紅葉した木々という、
ペニーズメイドインジャパンに
ありそうなモチーフの和柄です。

それでいて、
素材はレーヨン縮緬で、
ブランドは「ポリネシアン・
スポーツウェア」というのが
面白いですね。

この柄は筆者も初めて見ました。

色落ちが進んでいて
リペアも多そうなので
状態はそれほど良くありませんが
それにしてはの高額で
落札されました。
希少な柄だからでしょうか?

ボタンは竹ボタンです。


最後にもう1つ。

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https://page.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/d1087865739

「デューク・カハナモク」の
有名な「朝顔柄」・・・、
かと思えば、
花が少し違うようです。
ハイビスカスでしょうか?
とはいえ、比較的有名な
カハナモクのハイビスカス柄 ↓

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(ヴィンテージが
見つからなかったので
サンサーフの復刻版で
柄をお見せします)
https://www.sunsurf.jp/news/1247/

とも違いますね。

この柄は意外に珍しいのでは
ないかと思います。

織ネームも
「HOOMANAU NUI
(TAKE IT EASY)
JACKET」と記載された
正方形タイプで、
これも珍しいものです。
1950年代初頭の一時期だけ
使われた織ネームです。

ジャケットと言うくらいですから
羽織るようにして
着たのかもしれません。
着丈もやや長いように
感じられます。

素材はレーヨン、
プリントは抜染、
ボタンは貝ボタンです。


今回はこの辺で。
次回をお楽しみに。



(次回に続く)

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ハワイの新聞記事から その379 1972年 ワットムルス~エレン・ジェンセン・ワットムルへのインタビュー(3) [ハワイの新聞記事から]

筆者が収集した、
アロハシャツに関する
ハワイの新聞記事の中から
面白そうなものを
ランダムに選び、
翻訳してご紹介しています。

現在は、
1972年に行われた
エレン・ジェンセン・
ワットムルへのインタビューを
翻訳しています。

****************************

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『ワットムルス~
エレン・ジェンセン・
ワットムルへのインタビュー(3)
インタビュー/
キャサリン・B・アレン

 なぜか私は、人生の早い時期に
物事をとてもよく理解することが
できたようで、4歳の時に
ピアノを弾くのと文字を読むのと
両方ができたことや、
毎週日曜日に兄に面白い手紙を
読もうとしたことを
記憶しています。

というのも、兄はまだ読み方を
覚えていなかったからです。

どうやら私は生まれつき
聡明だったようですが、
両親は私たち全員が
いろいろなことを学ぶのを
手助けしてくれました。

そういえば私が6歳くらいの時、
ママはデンマーク語の読み方や
書き方、それにデンマークの
祖母に出す手紙の書き方を
教えてくれました。

 私たちは幼い頃、
団地のようなところに
住んでいましたが、
自分たちだけのお風呂は
付いていませんでした。
そこには共同のお風呂があり、
同じ階に住む人たちはみんな
同じトイレと同じお風呂を
使わねばならず、
服もお風呂で
洗わねばなりませんでした。

ただ、それがその時代の
やり方だったので、
誰も気にしませんでした。

また、非常階段の脇に
洗濯物を一列に
吊るしていました。

現在でもニューヨークや
ほかの多くの場所で
目にするような光景です。』




(次回に続く)

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ハワイの新聞記事から その378 1972年 ワットムルス~エレン・ジェンセン・ワットムルへのインタビュー(2) [ハワイの新聞記事から]

筆者が収集した、
アロハシャツに関する
ハワイの新聞記事の中から
面白そうなものを
ランダムに選び、
翻訳してご紹介しています。

現在は、
1972年に行われた
エレン・ジェンセン・
ワットムルへのインタビューを
翻訳しています。

****************************

スクリーンショット 2023-04-26 230147.jpg

****************************

『ワットムルス~
エレン・ジェンセン・
ワットムルへのインタビュー(2)
インタビュー/
キャサリン・B・アレン

 ゴビンドラム・ジャマンダス
(訳者補足:エレンの夫、
G・J・ワットムル)は、
はるか遠く、インドの
ハイデラバードで、
とても奇妙なことに
私と同じ6月26日に生まれ、
年は1891年ですが、
そしてこれまた奇妙なことに、
彼のお父さんも
私の祖父と同じ煉瓦土建業者で
家を建てていました。

どちらの家族も
家計的には非常に難しい
時期にありました。

彼のお父さんは大事故に遭って
体が不自由になったからです。

そしてこの事故の結果、
彼のお父さんは
脚にできた癌がもとで
なくなりました。

 私の家族の話に戻ると、
パパとママはどちらも若い頃に
デンマークからアメリカに
渡って来ました。

なぜならどちらも
冒険心があったからです。

二人はこの国に着いて
おそらく2~3年後に
オレゴン州ポートランドで
出会いました。

もちろん移民に開放された
大きな仕事などありませんし、
産業だってたくさんは
ありませんでした。

そこでパパは門番に
ならなければ
なりませんでしたし、
ママも結婚前は
誰かの家のメイドでした。

しかし彼らはデンマークでは
良家の出だったので、
そんな程度ではなかった
はずなのです。

時が経って4人の子供を
もうけましたが、
一緒に育ったのは3人です。

兄のエワルド、2番目の私、
そして妹のエルシーです。』

****************************

話がなかなか進みませんが、
最後のところでようやく
妹のエルシーの名前が
出てきました。

退屈な話が続きそうですが
しばらくは辛抱して
お読みください。
なにか面白い話が
出てくるかもしれませんよ。



(次回に続く)

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ハワイの新聞記事から その377 1972年 ワットムルス~エレン・ジェンセン・ワットムルへのインタビュー(1) [ハワイの新聞記事から]

筆者が収集した、
アロハシャツに関する
ハワイの新聞記事の中から
面白そうなものを
ランダムに選び、
翻訳してご紹介しています。

今回から新たに、
(新聞記事ではありませんが)
1972年に行われた
エレン・ジェンセン・
ワットムルへのインタビューを
翻訳していきます。

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(エレン・ワットムルと
 夫のG・J・ワットムル)

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『ワットムルス~
エレン・ジェンセン・
ワットムルへのインタビュー(1)
インタビュー/
キャサリン・B・アレン

 私はエレン・ワットムルです。

1897年6月26日に
オレゴン州ポートランドで、
エレン・インゲボルグ・
ジェンセンとして生まれました。

ポートランドはその当時、
小さな町で、
私の最初期の記憶は、
2歳頃のものです。

それは7月4日に、
私の父が兄と私を、
ウィラメット川を見下ろす
断崖へと連れて行ってくれた
時の記憶です。

そこで私たちは、
美しい花火が
川を横切る荷船の上で
はじけるのを見ました。

私の父はとても優しい人で、
夏なのに私をコートで
くるんでくれて、
私は父に寄り添い、
素晴らしい景色を
見ていました。

 父の名前はカールで、
母の名前はマリーでした。

母は、ヴィボーという名の、
デンマークの小さな町で
マリー・クリステンセンとして
生まれました。

その町は、
今では大都市になっている
オーフスから
それほど遠くないところでした。

母の両親はもちろん農場を
持っていましたが、
祖父は土建業者で
煉瓦の家を建てていました。』

****************************

エレン・ジェンセン・
ワットムルは、
伝説のテキスタイル・
デザイナーである
エルシー・ダースの姉であり、
ワットムルスの社長であった
G・J・ワットムルの
妻でもある女性です。

エレンがワットムルと
結婚しなければ
エルシーはハワイに来ることも
アロハシャツのテキスタイル・
デザイナーになることも
なかったわけです。
そう考えると
アロハシャツの歴史に
間接的な影響を及ぼした人物と
言えるかもしれません。

長いインタビューなのですが、
ワットムルスや
エルシー・ダースに関する
興味深い話が数多く
出てくると思われるので、
気長にお付き合いください。



(次回に続く)

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ハワイの新聞記事から その376 1997年 キングスミス~エセル・チャン・ラムはハワイ初の「アロハシャツ」向けプリント柄をデザインした(3) [ハワイの新聞記事から]

筆者が収集した、
アロハシャツに関する
ハワイの新聞記事の中から
面白そうなものを
ランダムに選び、
翻訳してご紹介しています。

現在は、
1997年にホノルル・
スターブリトゥン紙に載った
エセル・チャン・ラムの
死亡記事を翻訳しています。

****************************

『キングスミス・スポーツウェア~
エセル・チャン・ラムは
ハワイ初の「アロハシャツ」向け
プリント柄をデザインした(3)

 画家のミラード・シーツと
ユック・マズレ・ルキエンスに
励まされ、エセルは
カリフォルニアの
シュイナード美術学校に通った。

 彼女の絵画はこれまで何度も
ホノルル美術館で
展示されてきた。

 しかしながらエセルは、
さまざまな支払いをするために
商業画家にならねば
ならなかった。

 彼女は、父親の
チャン・カム・チャウによって
創業された
家族経営の服飾会社を、
1950年にエラリーから買い取り、
キングスミス・スポーツウェアを
カラカウア通りに移転させた。

 エセルは1963年に引退するまで
その会社を経営した。

 遺族はエラリーのほかに
妹のワイ・チー・イーがいる。

 家族葬はすでに行われた。』

****************************

上の文章では、
「キングスミスの店舗が
(もともとあった
ダウンタウンから)
カラカウア通りに
1950年に移転した」
と書かれていますが、
カラカウア通りには
「ワイキキ支店」が
すでに1940年に
オープンしています。

ですので、より正確には
「1950年に
(ダウンタウンの本店は
閉鎖して)
カラカウア通りの支店を
本店とした」
ということではないかと
思います。

1940年に開店したときの話は
以前新聞記事を
翻訳しています ↓ 

https://vintage-aloha-shirt.blog.ss-blog.jp/2021-11-29

のでお読みください。

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(1940年にカラカウア通りに
 オープンしたワイキキ支店)


また、ユック・マズレ・
ルキエンスについては、
以下のウィキペディアを
お読みください。

https://en-m-wikipedia-org.translate.goog/wiki/Huc-Mazelet_Luquiens?_x_tr_sl=en&_x_tr_tl=ja&_x_tr_hl=ja&_x_tr_pto=sc

プナホウ高校とハワイ大学で
教えていたようなので、
エセルとも交流が
あったのでしょう。

Huc-Mazelet_Luquiens_-_'Manoa_Valley_from_Round_Top',_oil_on_canvas,_c._late_1930s.jpg

(ルキエンスが描いた
 マノア渓谷の風景
 ~ウィキペディアより)


この記事は今回で終わりです。
次回をお楽しみに。



(次回に続く)

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ハワイの新聞記事から その375 1997年 キングスミス~エセル・チャン・ラムはハワイ初の「アロハシャツ」向けプリント柄をデザインした(2) [ハワイの新聞記事から]

筆者が収集した、
アロハシャツに関する
ハワイの新聞記事の中から
面白そうなものを
ランダムに選び、
翻訳してご紹介しています。

現在は、
1997年にホノルル・
スターブリトゥン紙に載った
エセル・チャン・ラムの
死亡記事を翻訳しています。

****************************

『キングスミス・スポーツウェア~
エセル・チャン・ラムは
ハワイ初の「アロハシャツ」向け
プリント柄をデザインした(2)

 エセルの兄エラリー・チャンは
それら(訳者補足:エセルが
絵を描いた、トビウオ柄などの
シャツ)を「アロハシャツ」と
呼び、その商品名を登録した。

 その最初のシャツの主な色は、
茶色、黒色、紺色、鮮青色、
そして緑色であった。

 その最初の柄、
特にマロロ柄とキヒキヒ柄の
現代版は、
今日シャツに使われている。

 「もしも母が最初の創作を
しなかったとしたら、
私たちは今日、どんなものを
見ているのだろうとちょっと
思ってしまいます。」と
息子のアーノルド・ラムは
言った。

ちなみに彼も母親と同様
プナホウ高校の卒業生である。

 エセル・チャン・ラムは
ハワイ大学から家政学の学位を
授与され、彼女の卒業と同じ年
(訳者補足:1936年)に
アロハシャツはデビューした。』

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エセル・チャン.jpg

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エセルが柄を描くようになって
使った主な色は、
「茶色、黒色、紺色、鮮青色、
緑色」だった、という話は、
どこから出てきた話なのか
定かではありませんが
(昔の資料が残っているのか、
あるいは息子のアーノルドが
母から聞いた話なのかが
わかりません)、
参考程度に記憶しておいても
いいかもしれません。



(次回に続く)

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ヤフオクで見かけたヴィンテージアロハシャツ(260)最近終了した注目のアロハシャツ [ヤフオクで見かけたヴィンテージアロハシャツ]

本日は週末なので、
恒例の「ヤフオクで見かけた
ヴィンテージアロハシャツ」を、
お届けします。

今回は、
「最近終了した
注目のアロハシャツ」を
ご紹介します。

まず最初はこちらです。

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https://page.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/h1087854933

着物姿の男女や旅姿の男たち、
富士山やお城、松や家紋
などが並んだ和柄です。
非常に珍しい柄だと思います。
筆者は初めて見ました。

ブランドは「パシフィック・
スポーツウェア」で、
素材はおそらくレーヨン、
プリントはおそらく抜染、
ボタンはココナッツ製です。

和柄を抜染で描くのも
非常に珍しいです。
まだ検証は不十分ですが、
筆者は、
1940年代末のごく一時期だけ
作られたのではないかという
仮説を立てています。

そのような意味でも
このシャツは
非常に重要なものだと言えます。


続いてはこちらです。

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https://page.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/c1088725855

フラガールやスーツ姿の男、
王族の行列などと、
「Hawaii Calls」の文字が
並んだ、有名な柄です。

キロハナのものが知られており
『アロハシャツの真実』P100に
色違い(紺地)が
掲載されています。

また、サンサーフからも
復刻されていますが、
確かこの配色は
作られていなかったと思います。

素材はレーヨン、
プリントは抜染、
ボタンはココナッツ製です。


最後はこちら。

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https://page.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/d1088505999

パイナップルやヤシの木、
アンスリウムやカキの実(?)
などの植物と、タパ模様が
描かれています。
配色が地味なのが残念ですが
なかなか面白い柄ですし
珍しい柄でもあります。

ブランドは
「サーフライダーズ・
スポーツウェア」で、
素材はコットン、
ボタンはココナッツ製です。



今回はこの辺で。
次回をお楽しみに。




(次回に続く)

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ヤフオクで見かけたヴィンテージアロハシャツ(259)新出品のアロハシャツ [ヤフオクで見かけたヴィンテージアロハシャツ]

本日は週末なので、
恒例の「ヤフオクで見かけた
ヴィンテージアロハシャツ」を、
お届けします。

今回は
「新出品のアロハシャツ」、
をご紹介します。

ただし正確には
「『アロハ』ブランドのシャツ」
ですが。
ちょうど前回までの
翻訳のところで、
キングスミスを
取り上げていたので、
ある意味、タイムリーですね。

こちらです。

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https://page.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/l1089146696

「アロハ」ブランドの
パラカシャツです。

以前にも全く同じものが
違う出品者さんから
出品されていました
(織ネームの数字が一緒です)。

前回落札した人が
今回出品しているのでしょう。

注目したいのは織ネームです。

「スタイルド・イン・ハワイ
 アロハ
 クリエイティド・バイ・
 キングスミス」
となっています。

これはいつ頃の
織ネームでしょうか?

以下、検証していきます。


そもそも、一番古い
1930年代の織ネームは
「スタイルド・イン・ハワイ
 アロハ・スポーツウェア
 メイド・イン・ハワイ」
と、
「スポーツウェア」の文字が
入っており、最後の部分は
「メイド・イン・ハワイ」で、
色も紺色です。

このタイプが最も古い、と
考える根拠は、
1937年に商標登録が
完了した織ネームの
文字列として、
記録に残されているからです
(以前翻訳した、
ファンダバーク教授の著書に
その記述があります)。

サンサーフが所有している
最初期の縮緬の、
花柄の着物柄のアロハシャツにも
「スポーツウェア」と
「メイド・イン・ハワイ」の
文字が入っています
(『アロハシャツの真実』P25)。

そしてそのあとに出てきたのが
「スタイルド・イン・ハワイ
 アロハ・スポーツウェア
 クリエイティド・バイ・
 キングスミス」
というタイプだと思われます。

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(筆者コレクションより)

1930年代末から、「アロハ」や
「アロハシャツ」という言葉を
他社も盛んに使うようになり、
「ウチが権利を持っている」と
他社を牽制する意味で
「クリエイティド・バイ・
 キングスミス」
と付けたのではないかと、
筆者は推測します。

そのような背景を考えるなら、
1930年代末から1940年代初頭に
このタイプが使われたと
考えるとしっくりきます。


そのあとに出てくるのが
「スタイルド・イン・ハワイ
 アロハ・シャツ
 クリエイティド・バイ・
 キングスミス」
と、「シャツ」の文字が入った
織ネームだと思います。

LAVEL.jpg

king-smith_900x700.jpg

https://www.vintage-alohashirt.com/topics/118/

(サンサーフのHPより)

このシャツは、レーヨン地に
抜染でボーダーパターンが
描かれているところから見て、
1940年代末頃の製品だと思われ、
織ネームもその年代のものだと
筆者は推測します。

ここからは筆者の
当て推量になりますが、
戦争終結の1945年から、
店がエセルに譲渡され、
店名も「キングスミス・
スポーツウェア」となった
1950年まで、
「シャツ」の文字が入った
織ネームが使われたのでは
ないでしょうか?

そして、エセルが引き継いだ
1950年よりあとの時代に
付けられたのが、
今回ご紹介した出品物の
「スタイルド・イン・ハワイ
 アロハ
 クリエイティド・バイ・
 キングスミス」

スクリーンショット 2023-04-22 225104.jpg

ではないでしょうか?

さらに時代が下り、
エセルは1963年に店を売却して
引退したのですが、
それ以降に付けられたのが

スクリーンショット 2023-04-22 223604.jpg

(筆者コレクションより)

だと考えられます。

これだけを見ると
最初期のものと
同じ文字列なのですが、
これが付けられているシャツは
ポリエステル製なので、
1960年代末~70年代の
ものだと考えられるわけです。


以上、かなり長くなって
しまいましたが、
「アロハ」ブランドの
織ネームの変遷を
筆者なりに
まとめてみました。



今回はこの辺で。
次回をお楽しみに。



(次回に続く)

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ハワイの新聞記事から その374 1997年 キングスミス~エセル・チャン・ラムはハワイ初の「アロハシャツ」向けプリント柄をデザインした(1) [ハワイの新聞記事から]

筆者が収集した、
アロハシャツに関する
ハワイの新聞記事の中から
面白そうなものを
ランダムに選び、
翻訳してご紹介しています。

前回までと同様
エセル・チャン・ラムに関する、
1997年の死亡記事ですが、
別の新聞、ホノルル・
スターブリトゥン紙に載った
ものを翻訳していきます。

****************************

『キングスミス・スポーツウェア~
エセル・チャン・ラムは
ハワイ初の「アロハシャツ」向け
プリント柄をデザインした(1)

 エセル・チャン・ラムは
熟達した油彩画家であり、
また、「アロハシャツ」として
知られるようになったものに
使うための、
最初のプリント柄を
デザインした人物でもある。

 アーノルド・ラムは
自身の母親のことに言及して、
「母は
(訳者補足:アロハシャツの
テキスタイル・デザイナーとして
よりも)むしろ、
油彩の風景画家として
人々に記憶されていると
私は思います」と言った。

彼の母親は2月22日に
ホノルルの自宅で亡くなった。

82歳であった。

 「生計を立てるため、
母は商業美術をやらなくては
なりませんでした。」と
彼は付け加えた。

 1936年、マロロ(トビウオ)、
キヒキヒ(ムーリッシュ・
アイドル)、松明の火で
夜に漁をするハワイの男、
そして抽象的なタパの模様などを
手描きしたエセル・チャン・
ラムのデザインが、
富士絹の半袖シャツの上に
転写され、キングスミス・
クロージアズによって
1着1.95ドルで独占販売された。』

****************************

ここに出てくる柄は、
ヴィンテージの現物では
なかなか見られませんが、
サンサーフから
復刻されているので、
そちらをお見せします。

kihikihi.jpg

https://item.rakuten.co.jp/maunakeagalleries/ss30210/

m66626669144_1.jpg

https://an.assagpass.cyou/index.php?main_page=product_info&products_id=25724

i-img1200x1200-1660739382xy6bug441269.jpg


最後の「抽象的なタパの模様」
というのが、どの柄かは
不明ですが、
この柄 ↓ 

tapa.jpg

(筆者コレクションより)
を指しているのではないかと
思います。

なぜならこの端切れは
アーサー・ラム氏に
取材した際に
氏からもらったものだからです。
ただしこの生地は
富士絹ではなくレーヨンですが。


ところでこれらの柄の
アロハシャツが
「1着1.95ドルで
独占販売された」という
記述に関しては、
やや正確ではないと
筆者は思っています。

なぜなら1936年に
富士絹のシャツが
この価格で売られていたとは
思えない
(もっと高かったであろう)
からです。

実際、広告には
「1着1.95ドル」と
書かれていますが、
生地の素材までは
記載がありません。
ですから、その値段で
実際に売られていたのは
コットン製の、ほかの柄だった
のではないかと
筆者は考えています。


そしてこれらの柄は
原画が残っている
ことからも、
エセルが描いたのは
事実でしょうが、
描かれた時代が
1930年代末から
40年代にかけての
どこかではないか
(正確にはわかりません)と、
筆者は思うのです。



(次回に続く)

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