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会員誌「パートナー」2002年6月号掲載 「アロハシャツの歴史」その6 [月刊パートナー]

パートナー2002年6月号掲載 「アロハシャツの歴史」その6

京都の繊細な柄の生地が重宝された

(その5から続く)

 こうしてレーヨン製のアロハシャツは50年代にひとつの頂点を極めた。
ヴィンテージ・アロハと呼ばれるものだ。
ところがその繁栄は長くは続かなかった。
レーヨンという素材は柔らかな素材感と鮮やかな発色が特長なのだが、
洗濯に弱く、色があせやすいという欠点も持つ。
そんな特性が嫌われ、60年代には綿や新素材のポリエステルが好まれるようになり、
レーヨンは急速に使われなくなった。

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PICT0143.JPG
ポリエステルアロハ1.JPG
(筆者コレクションより)

また日本でのプリントの工賃が上がり、コストを減らすため色数の少ない柄が増え、
柄自体も独創的なものが減ってしまった。
こうしてアロハシャツはかつての輝きを失ってしまうのである。
(終わり)
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会員誌「パートナー」2002年6月号掲載 「アロハシャツの歴史」その5 [月刊パートナー]

パートナー2002年6月号掲載 「アロハシャツの歴史」その5

京都の繊細な柄の生地が重宝された

(その4から続く)

 第二次大戦後、冷房のない官庁や企業で働く人々が、
アロハシャツを職場で着ることを許可してほしいと運動し、
着用の権利を獲得することで、単なるみやげ品から地元の人の実用品へと変わっていく。
それと共にメーカーの数は飛躍的に増え、柄も多様化していった。
その要望に応えたのが、工賃が安く、少ない分量でも注文に応じてくれ、
しかも和服で培った高い技術を持つ、
復興期の日本の、主に京都のプリント工場だった。
レーヨンの縮緬や羽二重という和服独特の生地に、
ハワイや日本の風景、鷲や虎や龍といった動物の姿などを
繊細なタッチと陰影のある多色で描いたものが主にプリントされた。

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Takabuki Co. 鶴・富士・小槌 柄1.jpg
Takabuki Co. 鶴・富士・小槌 柄2.jpg
(筆者コレクションより)

中には20色以上使った驚異的な技による鮮やかな柄もあるほどだ。
そんな日本製のプリント生地が、
ハワイの、主に日系や中国系の人々が営む家族経営の小さな工場で
シャツに仕立てられるという組み合わせが、40~50年代は多かったようである。
(次回に続く)
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会員誌「パートナー」2002年6月号掲載 「アロハシャツの歴史」その4 [月刊パートナー]

パートナー2002年6月号掲載 「アロハシャツの歴史」その4

京都の繊細な柄の生地が重宝された

(その3から続く)

 名前の由来はともかく、アロハシャツはその後、徐々に認知されていく。
35年に来島したビング・クロスビーの影響で、
30年代後半のハリウッドでは、アロハシャツを着ることがカッコいいと見なされ、
映画スターたちがわざわざハワイを訪れては買っていくようになった。

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(amazonより転載)

こうしたこともあって、アロハシャツは
ハワイを訪れる観光客に人気のみやげ品となっていった。

 ところが39年頃、サーファーやフラガール、熱帯の花といった、
いかにもハワイらしい柄のシャツが売り出されるようになった。

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(筆者コレクションより)

日本調の柄が飽きられたのかハワイらしくないと思われたのか、理由はわからない。
が、確かなことは、既製の和服地を使うのではなく、
リゾート気分にあふれたハワイ的な柄の生地をわざわざ新しく作っても元が取れるほど、
アロハシャツは大量に作られ、一般的になったということだ。
そしてこのころを境に、アロハシャツはハワイ的な柄が主流になるのである。
(次回に続く)
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会員誌「パートナー」2002年6月号掲載 「アロハシャツの歴史」その3 [月刊パートナー]

パートナー2002年6月号掲載 「アロハシャツの歴史」その3

最初は日本調の和服柄だった

(その2から続く)

 そもそもこの「アロハ」という言葉は、よく「愛」という意味だと思われているが、
実際は「歓迎」というニュアンスに近い。
そして1935年頃には一種の流行語だったようだ。
流行のきっかけは、34年7月に、当時アメリカ中で人気のあったルーズベルト大統領が
ハワイを訪れたことにあると私は想像している。

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(『ウィキペディア(Wikipedia)』より転載)

そのとき発行された新聞の特別版を見ると、
企業や商店の広告に「アロハ ルーズベルト大統領」というフレーズが溢れている。
それ以前の新聞には、アロハという文字はほとんど出ていなかったのにだ。
翌35年には入港した太平洋艦隊を人々は大歓迎し、
再び新聞に「アロハ」が氾濫する。
この35年という年は、大恐慌後の不景気から立ち直り、
観光客が増えていく節目となる時期に当たる。
パンナムがアメリカ西海岸とハワイを結ぶ小型飛行機便を就航させたのも
この年の4月のことだ。

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(『ウィキペディア(Wikipedia)』より転載)

こうして「アロハ」が、
盛り上がりつつある観光業界の流行語になったとしても不思議ではない。
実際、「アロハティーセット」や「アロハコースター」というみやげ品もあったくらいだ。
「アロハシャツ」という言葉もこのころ生まれたと考えるのが自然である。
ムサシヤ・ショウテン(武蔵屋商店)という生地店が
「アロハシャツ」の文字を新聞広告に使ったのがこの35年6月のことであり、
これが活字として記録された最初の文字とされているから、
34~35年頃に生まれた言葉だと言えそうである。
(次回に続く)
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会員誌「パートナー」2002年6月号掲載 「アロハシャツの歴史」その2 [月刊パートナー]

パートナー2002年6月号掲載 「アロハシャツの歴史」その2

最初は日本調の和服柄だった

(その1から続く)

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(筆者コレクションより)

 意外だと思う人もいるだろうが、
アロハシャツはもともとは和服の柄のシャツだった。
日本からハワイに渡った人々が家庭で、
着古した和服から仕立てたのが最初だと考えられているからだ。
貧しかった彼らは和服を、生地が擦り切れるほど長く着て、
擦り切れたら何度も継ぎを当てて着て、最後の最後に、
破れていない部分を有効に使って子供用のシャツにしたということらしい。
おそらくは1920年代から30年代初頭のことだろう。
そのようなシャツは日系や中国系の人々の間に徐々に広がり、
そのうち、日本から輸出されていた和服用の新品の反物から
直接作る人も出てきただろう。
そして子供だけでなく若者の間にも、一種のファッションとして広がっていく。
30年代のはじめから半ばにかけて、チャンの店かどうかはともかく、
下町のどこかの雑貨店が既製品として売り始め、また誰かがアロハシャツと名付けた。
そうしてあちこちの店で売られるようになっていった。
アロハシャツの始まりはこんな感じであろうか。
(次回に続く)
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会員誌「パートナー」2002年6月号掲載 「アロハシャツの歴史」その1 [月刊パートナー]

以前ご紹介した別冊ライトニングの記事と同様、
筆者が過去に執筆した雑誌の記事を、数回に分けて再録します。

今回は、三菱UFJニコス(クレジットカード会社)が発行する、
会員向け情報誌「partner」の、2002年6月号に掲載された記事です。
この雑誌は、
「「旅」「食」「物」をテーマに「本物」の魅力を改めて伝えるとともに、
皆様の生活を彩る上質な情報をご紹介します。」
というコンセプトを持つ会員誌です。

内容は、「アロハシャツの歴史」をコンパクトにまとめたものになります。
過去の記事と重なる部分もありますが、ご了承ください。

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パートナー2002年6月号掲載 「アロハシャツの歴史」その1

最初は日本調の和服柄だった

 おととし、つまり2000年の6月上旬、全国紙数紙に、ある人物の訃報が掲載された。
(紙面ではチュンと表記)という名の中国系アメリカ人二世で、
「アロハシャツの考案者」とされる人物である。

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(「定本ハワイアンシャツ」より転載)
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(todayonline.comより転載)

彼自身が語る、アロハシャツ誕生のいきさつはこうだ。
彼はイエール大学を卒業後、1932年にホノルルに戻り、父親が営む雑貨店を継承。
地元の高校生が着ていた花柄のシャツにヒントを得て、
別の店で数十枚のシャツを反物から作ってもらい、
「アロハシャツ」と命名して34年頃発売。
36年にはその名前を商標として登録した、と。
商標の登録以外は確たる証拠がないので、この話がどこまで本当かはわからないが、
仮に本当だとしても、
アロハシャツを製品として最初に作ったのが彼だということにすぎない。
その「原型」はもっと自然発生的に生まれてきたものであろう。
(次回に続く)

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