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ハワイの衣料品製造業の歴史 その301 「メイド・イン・ハワイ」のレーベルの現在の状況(2) [ファンダバーク著ハワイの衣料品製造業]

ファンダバーク教授の本『ハワイの衣料品製造業の歴史』の翻訳をお届けしています。

この章「ハワイで製造される衣料品の種類」では、衣料品のタイプ別に語られており、
「『メイド・イン・ハワイ』のレーベルの現状」についてまとめた部分を
ご紹介しています。
そして今回で、この本の翻訳は最終回となります。



『「メイド・イン・ハワイ」のレーベルの現在の状況(2)

(前回から続く)
それに加えて、本土の小売企業は、ハワイ製衣料の販促活動を行う際、
ハワイのまた別のシンボル、例えば蘭の花やフラガールやヤシの木で演出したり、
店内のレストランでココナッツやハワイの特別料理を出したりもしてきた。

 ハワイ製衣料の販促活動は、
本土の大規模百貨店で、戦後すぐの頃に始まったのだが、
1958年から60年、すなわち州昇格の、前年、同年、翌年に
最高潮を迎えたのである。』



本土の小売企業(百貨店など)は、ハワイ製衣料の販促活動を行う際、
蘭の花やヤシの木を会場に飾って、南国の感じを出したり、
ハワイの女性がフラガールの格好をして、音楽と共に踊ったり、
あるいはレストランで、ハワイ料理を提供したり、と、
さまざまな演出で、雰囲気を盛り上げていた、ということです。

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(Kamaaina56さんのFlickrより引用)

上の写真は、1950年代のハワイでのフラショーの様子ですが、
こんなふうに「踊り子と太鼓の男性」のような少人数で、本土の百貨店を回り、
「14時からフラショー開催!」みたいに告知して、踊っていたのではないでしょうか?

さながら現代日本の「北海道フェア」のようですね。

そのようなハワイ・フェアは、ハワイの州昇格の前後に
最も盛り上がったといいます。

ハワイの州昇格の話題が新聞などで大きく取り上げられることで、
ハワイという「異国的な土地」に対する興味や、
「あまりよく知らない土地」のことをもっと知りたいという欲求が、
本土の多くの人の間に広まったということでしょうか。

そのわりには、1959年前後のアロハシャツは、
一部の「50州柄」を除けば目立つ柄も新鮮味もあまりなく、パッとしません。
どこかで見たような柄が多く、シャツ自体にパワー(熱気)が感じられないのです。
何とも残念ですね。
コストとの闘いだったのかもしれません。


ファンダバーク教授の本『ハワイの衣料品製造業の歴史』の翻訳は
今回で最終回となります。
長い間、読んでくださり、ありがとうございました。

次回からは、また別の本の翻訳を始めたいと思っています。
引き続きお読みください。


(一旦終わり)

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ハワイの衣料品製造業の歴史 その300 「メイド・イン・ハワイ」のレーベルの現在の状況(1) [ファンダバーク著ハワイの衣料品製造業]

ファンダバーク教授の本『ハワイの衣料品製造業の歴史』の翻訳をお届けしています。

この章「ハワイで製造される衣料品の種類」では、衣料品のタイプ別に語られており、
今回から「『メイド・イン・ハワイ』のレーベルの現状」についてまとめた部分を
ご紹介します。
いよいよこの本の終わりが近づいてきました。



『「メイド・イン・ハワイ」のレーベルの現在の状況(1)

 衣料品を買う観光客にとって、
メイド・イン・ハワイのレーベルは現在、
おそらく過去のいかなる時よりも、重要になっているであろう。

ハワイ製の商品に対する需要は、
観光業の発展と共にますます高まっていくだろう。

 本土でハワイ製衣料を販売する際、
メイド・イン・ハワイのレーベルがいかに重要であるかは、
この20年間ずっと、
大規模小売店が店内にハワイ製品専門店を設けてきたという事実、
また、ハワイ製品専門店がいくつかの州、
特に西部の諸州で開かれてきたという事実を見ればよくわかる。』



「メイド・イン・ハワイ」のレーベルの「現在」の状況が語られています。

もちろん「現在」というのは、この本の出版年である1965年、
または、執筆年と思われる(出版の1年前とすれば)1964年頃の状況、
ということになります。

1940年代、50年代には、
「メイド・イン・ハワイ」という魔法の言葉が威力を持っていたと
前の部分で述べられていましたが、
1960年代になって、さらに重要になってきているというのです。

現在でも「メイド・イン・ハワイ」は魔法の言葉ですから、
ずっとブランド価値を維持してきたのでしょう。

その陰には、ハワイ政府観光局による、
(それなりの予算をかけた)プロモーションのおかげもあったかもしれませんね。

現在のハワイでも、例えばカハラのように
「メイド・イン・ハワイ」にこだわり続けるブランドがあるのは、
そこに価値があると思う消費者がいるからなのでしょう。

kahala.jpg

https://kahala.com/ より引用)



(次回に続く)
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ハワイの衣料品製造業の歴史 その299 「メイド・イン・ハワイ」というレーベルの開発と承認(13) [ファンダバーク著ハワイの衣料品製造業]

ファンダバーク教授の本『ハワイの衣料品製造業の歴史』の翻訳をお届けしています。

この章「ハワイで製造される衣料品の種類」では、衣料品のタイプ別に語られており、
現在は「『メイド・イン・ハワイ』というレーベルの開発と承認」について
まとめた部分をご紹介しています。
この話題は、今回で最後となります。


『「メイド・イン・ハワイ」というレーベルの開発と承認(13)

 本土での広告が、
本土製衣料を取り上げる場合は
ブランド名や登録商標や会社名を使うだけなのに対して、
それらがハワイ製衣料を取り上げる場合はたいてい、
その衣料品がハワイ由来のものだとほのめかしているという事実を見れば、
メイド・イン・ハワイのレーベルがいかに役に立っているかがわかるだろう。

広告の文面に関して言えば、
ハワイ製衣料という表現は、パリやイタリアやその他の国の衣料品と同様に、
バイライン
(訳注:ブランド名や商品名のすぐ下に書かれる、それらを補足する説明文)の位置に
置かれることがとても多い。』



上の文章は、わかりやすく言うと次のようなことになります。

本土製衣料(例えば「マクレガー」のプリントシャツ)を紹介する広告の場合、
「マクレガー」というブランド名を書けば、
「メイド・イン・USA」だと断らなくても読む人はそのことを知っており、
それよりもどんな柄かとか、どんな素材かといったことを
説明する場合が多いのに対して、
ハワイ製衣料の広告の場合は、
(ブランド名を書いても本土の人はおそらく知らないであろうから)
「メイド・イン・ハワイ」だと大きくバイライン(2段目)に書いた方が、
「ハワイ製なら欲しいな」と思わせることができて効果的であり、
そこにこそ「魔力」がある、
それは「パリやイタリアから来た服」が持つ魔力と同様である、
と述べているわけです。

DSCN0298.JPG



「メイド・イン・ハワイ」というレーベルにはとても大きな威力がある、
ということが、長々と語られてきましたが、
それも今回で終わりです。

次回は、「メイド・イン・ハワイ」というレーベルの現在
(執筆時の1965年の状況)について語られます。

お楽しみに。


(次回に続く)

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ハワイの衣料品製造業の歴史 その298 「メイド・イン・ハワイ」というレーベルの開発と承認(12) [ファンダバーク著ハワイの衣料品製造業]

ファンダバーク教授の本『ハワイの衣料品製造業の歴史』の翻訳をお届けしています。

この章「ハワイで製造される衣料品の種類」では、衣料品のタイプ別に語られており、
現在は「『メイド・イン・ハワイ』というレーベルの開発と承認」について
まとめた部分をご紹介しています。
この話題はまだもうしばらく続きます。



『「メイド・イン・ハワイ」というレーベルの開発と承認(12)

 1962年9月のホノルル・スターブリトゥン紙に載った、
マーク・ウォーターズのインタビュー記事の中で、
サン・ファッションズ社の社長であり、
当時ハワイ・ファッション協会の会長でもあったハワード・ホープ氏は、
次のようにコメントしている。

  ”「我々(訳注:ハワイの衣料品メーカー)に有利なものが常に2つあります」と
  彼は言った。”

  ”「メイド・イン・ハワイのレーベルと、ハワイ独自のプリント生地です。」”

  ”「我々はいま、よりハイ・ファッションの領域に入ろうとしています。」”

  ”「競争力を維持し続けるためには、替えの効かない
  独自の存在でなければなりません。」”

  ”「低価格市場を巡って東洋のメーカーと競うわけにはいきません
  (訳注:低価格市場を席巻している日本メーカーと、
   価格で競っても勝ち目はありません、という意味)。」”

  ”「色と新鮮なデザインとファッション性とで
  彼らに先んじるのが我々がいまやるべきことなのです。」” 』



ここに出てくるハワード・ホープ氏とは、
アロハシャツ研究家のデール・ホープ氏のお父様ですね。

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(westernaloha.comより引用。右側がハワード・ホープ氏でしょうか?)


さて、上の文章には、1962年の、ハワイと日本の関係が書かれていて、
非常に意味深い内容です。

数日前のブログで筆者は、「日本製のアロハシャツとハワイ製のアロハシャツが、
米国本土で競合しているのではないか」という話をちょうどしたところでしたね。

やはり工賃の安さ(と、質の高さ)から来る、日本製アロハシャツのお得感が、
ハワイ製アロハシャツの脅威になっていたことが、上の記述からよくわかります。

1962年と言えば、ハワイのメーカーが使っているプリント生地の大部分は
おそらく日本製だったでしょう
(一部の例外はアルフレッド・シャヒーンによるハワイ製)し、
日本の縫製も高品質だったでしょうから、
ハワイのメーカーが日本の製品を超えるのは容易ではなかったはずです。

そこでホープ氏は、
「色と新鮮なデザインとファッション性とで彼らに先んじるのが
 我々がいまやるべきことなのです。」と言っているわけです。

そしてそのことは「よりハイ・ファッションの領域に入ろうと」することに
つながるのです。

ただしここで出てきているのは、(男性物の)アロハシャツの話というよりは、
女性物のハワイアン・ウェアの話のようですが。



(次回に続く)

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ハワイの衣料品製造業の歴史 その297 「メイド・イン・ハワイ」というレーベルの開発と承認(11) [ファンダバーク著ハワイの衣料品製造業]

ファンダバーク教授の本『ハワイの衣料品製造業の歴史』の翻訳をお届けしています。

この章「ハワイで製造される衣料品の種類」では、衣料品のタイプ別に語られており、
現在は「『メイド・イン・ハワイ』というレーベルの開発と承認」について
まとめた部分をご紹介しています。
この話題はまだもうしばらく続きます。



「メイド・イン・ハワイ」というレーベルの開発と承認(11)

 1961年9月のロサンゼルス・タイムズに載ったある記事には
次のようなことが書かれていた。

  ”商品に付いた「メイド・イン・ハワイ」のタグは、
  南カリフォルニアに、
  たいていのハワイ製品のオーダーメード販売部門を作ってしまうほどで、
  販売総額も右肩上がりで増えている。”

  ”ロサンゼルスには、ハワイ風商品を販売する店が20以上あり、
  そのうちのいくつかはハワイで製造された商品を独占的に販売している。

  ちなみにそれらの店は、
  ハワイの州昇格の雰囲気が盛り上がり始めた時期にオープンしたのである。” 』



ロサンゼルスにあったハワイアン・ショップの中でとくに有名なのが
「ウォルター・クラークス・ハワイアン・ショップ」でしょう。

IMG_2186.JPG

http://milanofhawaii.blogspot.com/2015/10/waltah-clarkes-hawaiian-shops.html

(milan of hawaii から引用)


お店の写真もありました。

201213008.jpg

(CAMERON CLARK COLLECTION/Palm Springs Historical SocietyのHPより引用)

パーム・スプリングスにあった店舗の前で、1960年代初頭に撮られた写真で、
右から2人目がウォルター・クラークさんだそうです。


また、広告もいろいろあります
(ハワイの、アラモアナ・センターにも店舗がありました)。

広告1.jpg

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デューク・カハナモクと一緒のレコード(1963年)もあります。

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カハナモク・ブランドのシャツと、ウォルター・クラークス・ブランドのシャツの
両方が写っている感じですね。



(次回に続く)


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ハワイの衣料品製造業の歴史 その296 「メイド・イン・ハワイ」というレーベルの開発と承認(10) [ファンダバーク著ハワイの衣料品製造業]

ファンダバーク教授の本『ハワイの衣料品製造業の歴史』の翻訳をお届けしています。

この章「ハワイで製造される衣料品の種類」では、衣料品のタイプ別に語られており、
現在は「『メイド・イン・ハワイ』というレーベルの開発と承認」について
まとめた部分をご紹介しています。
この話題はまだもうしばらく続きます。



「メイド・イン・ハワイ」というレーベルの開発と承認(10)

  ”本土の人々は、こなれた価格で品質の良いハワイのカジュアルウェアを、
  『いつの日か行くハワイへの1000ドル旅行の最良の代用品』として、
  ますます買うようになっていると、ロバート・T・ガフニーは確信している。”

  ”「昨年、ハワイの衣料品製造業の総生産額2000万ドルの半分は、
  郊外で催される、正装を必要としない、家庭的なパーティで着る服として、
  ハワイ州外で販売されました。

  ハワイ以外の衣料品製造都市が
  『ハワイから着想を得た服』をついつい作り始めてしまうほど、
  『メイド・イン・ハワイ』のレーベルには魔法のような力があるのです。」と
  ガフニーは言った。”

  ”「そのような服は、ハワイの本物の服に比べればお粗末な代用品ですし、
  そもそもハワイは本物の服で有名なのです。

  ハワイ以外の衣料品製造都市は真似ようと試みるかもしれませんが、
  我々が誇りを持っている、優れた職人技や着心地の良さを
  複製することはできません。

  縫製技術はハワイの女性たちに生まれつき備わったものであり、
  ハワイでは職人の技能に非常に重きを置いているのです。」” 』




ハワイ製よりもおそらく安く売られていたであろう「日本製のアロハシャツ」が、
米国本土で、ハワイ製と競合したのではないか、と筆者は推測しているという話を、
先日のブログで書きました。

今回の記述の中に、
「ハワイ以外の衣料品製造都市は真似ようと試みるかもしれません」とか、
「そのような服は、ハワイの本物の服に比べればお粗末な代用品です」などと
書かれていますが、それは、
「日本製のアロハシャツ(やハワイ調の服)」を指すのではないかと思えてきます。

ハワイの人は「優れた職人技や着心地の良さ」に誇りを持ち、
それを大切にしていると、
ハワイ・ファッション組合の理事長、ロバート・T・ガフニー氏は語っていますが、
そもそもそのようなハワイの優れた縫製をしているのは、主に日系の女性たちであり、
材料として使っているプリント生地(のほとんど)は日本から来たものであることには
彼も気づいていないのかもしれません。

また、もしも「お粗末な代用品」というのが
「日本製のハワイアンウェア」を指しているとしたら、
日本製品を侮っていると言えるでしょう。



(次回に続く)

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ハワイの衣料品製造業の歴史 その295 「メイド・イン・ハワイ」というレーベルの開発と承認(9) [ファンダバーク著ハワイの衣料品製造業]

ファンダバーク教授の本『ハワイの衣料品製造業の歴史』の翻訳をお届けしています。

この章「ハワイで製造される衣料品の種類」では、衣料品のタイプ別に語られており、
現在は「『メイド・イン・ハワイ』というレーベルの開発と承認」について
まとめた部分をご紹介しています。
この話題はまだもうしばらく続きます。



「メイド・イン・ハワイ」というレーベルの開発と承認(9)

 1961年5月のホノルル・アドヴァタイザー紙に載ったある記事が、
メイド・イン・ハワイのレーベルについてコメントしている。

  ”「急速に拡大しているアロハの州(訳注:ハワイ州のこと)の衣料品産業は、
  ハワイを訪れる観光客への販売促進活動に大きな力を注いでいます」と
  ハワイ州観光局の総支配人、チャールズ・G・ブレーデンは言う。”

  ”「『メイド・イン・ハワイ』のレーベルはとてつもなく重要です。
  なぜなら、本土とカナダの旅行好きの多くの地域では、
  そのレーベルがすでに有名なトレードマークになっているからです。」”

  ”「伝統的なポリネシアの服は、1年中、毎日、
  広告宣伝費百万ドル相当の価値を無料でハワイにもたらしてくれます。」と、
  衣料品メーカー35社から成る
  ハワイ・ファッション組合の理事長、ロバート・T・ガフニーは認めた。

  「新聞や雑誌に載る、百貨店の広告や編集ファッション・ページを通じて、
  ハワイ製の衣料品が、夢の休暇地・ハワイに、
  人々の注意を集中的に惹きつけてくれるのです。」” (続く)』



(次回に続く)

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ハワイの衣料品製造業の歴史 その294 「メイド・イン・ハワイ」というレーベルの開発と承認(8) [ファンダバーク著ハワイの衣料品製造業]

ファンダバーク教授の本『ハワイの衣料品製造業の歴史』の翻訳をお届けしています。

この章「ハワイで製造される衣料品の種類」では、衣料品のタイプ別に語られており、
現在は「『メイド・イン・ハワイ』というレーベルの開発と承認」について
まとめた部分をご紹介しています。
この話題はまだもうしばらく続きます。



「メイド・イン・ハワイ」というレーベルの開発と承認(8)

  (「1959年に書かれた記事」からの抜粋、の続き)

  ”「本土の店が、(ハワイの州昇格という)降って湧いたような宣伝効果を利用して、
  ハワイの服を強く押し出しているのに合わせて、
  ハワイのメーカーも非常に忙しい季節を迎えています。」と
  彼(訳注:リバティ・ハウスの副社長兼総支配人、アーサー・E・ジョーンズ)は
  言った。”

  ”若返り。
  このようなハワイの服の流行は、
  単なる商品計画のサイクルに過ぎないのかもしれないが、
  ジョーンズ氏は、この流行はハワイの衣料品産業を決定的に若返らせたと考えており、
  衣料品産業がその若返りを維持することを期待している。”

  ”「春にカリフォルニアのペブル・ビーチで次の会合が開かれるときには、
  勢いが増していることでしょう。
  商品政策分野のリーダーたちの多くは
  ハワイを訪れる計画を立ててもいるでしょうからね。」と彼は言った。”

  ”ハワイ製のスポーツウェアは本土で非常によく売れており、
  水着やショートパンツやペダル・プッシャーやブラウスは
  依然として、ムームーよりもずっと人気がある。” 』



上の文章の最後の部分は、筆者の深読みを交えて解釈すると
「ハワイ製のスポーツウェアは本土で非常によく売れており、
 (女物では)水着やショートパンツやペダル・プッシャーやブラウスが人気であるが、
 それらに比べて、ムームーは(やや古臭く見えるため)あまり人気がない。」
と言っているように聞こえます。

ここでは女物に話を絞っているようなので、
ハワイ製のアロハシャツが本土で人気なのかどうかは実はよくわかりません。

カハラやカメハメハやアルフレッド・シャヒーンなどのハワイ製アロハシャツは
本土でも販売されていたので、そこそこ人気はあったでしょう。

ただ、1959年と言えば、日本製のアロハシャツ
(プリント生地だけではなく、縫製まで日本製)も本土では売られており、
ハワイ製よりも売値は安かったでしょうから、広く売られていたのではないかと
筆者は考えています。

ここで少し話が逸れますが、
1959年当時の日本製アロハシャツの本土での販売状況について考えてみたいと思います。


最もよく知られているものではレーヨン製の「ペニーズ」があります
(古着屋さんあたりでは、ペニーズは1960年代のものと言われていますが、
 筆者は1950年代後半からあったと考えています)。

このような ↓ 織ネームですね。

DSCN9310.JPG

そしてこのような ↓ 柄のものです。

s-DSCN8629.jpg

(筆者コレクションより)

シアーズの似たようなアロハシャツも同年代製だったでしょう。


また、後期のパリ・ハワイアン・スタイルにも日本製のものがありました。
こちら ↓ はコットン製ですが、
1950年代末(~60年代初頭)頃のものだと思われます。

s-DSCN3924.jpg

(筆者コレクションより)

織ネームに「メイド・イン・ジャパン」↓ と明記されています。

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ティキが描かれているあたりからも、
ハワイの伝統文化を前面に出した柄が多い、
州昇格の年(1959年)の製品のように思えます
(正確にはわかりません。筆者の推測です)。


さらに「スポーツウェア」という織ネーム ↓ のアロハシャツも
同時代の、1950年代後半のものだと筆者は考えています。

DSCN5885.JPG

「ハワイの伝統柄」である「タパ柄」が描かれている ↓ ので、
これも同様に、1959年の製品のように思えてきます。

s-DSCN5883.jpg

(筆者コレクションより)


もしも1959年に、全米で「ハワイ・ブーム」のようなものがあったとすれば、
それに乗じて、(ハワイ製よりも安価な)日本製のアロハシャツが出回ったとしても
不思議ではないでしょう。

これはあくまでも筆者の仮説です。
将来的には、本土の新聞広告などを調べて、
1959年に日本製のアロハシャツが本土でも広く売られていたことを
確認していきたいと思います。


ちなみに、上でご紹介した「スポーツウェア」という織ネームは
「T HIRAMINE」という、ニューヨークにあった会社が使っていたことが
わかっています。
そうであるなら、このアロハシャツは米国東部で広く売られていたかもしれませんね。



(次回に続く)

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ハワイの衣料品製造業の歴史 その293 「メイド・イン・ハワイ」というレーベルの開発と承認(7) [ファンダバーク著ハワイの衣料品製造業]

ファンダバーク教授の本『ハワイの衣料品製造業の歴史』の翻訳をお届けしています。

この章「ハワイで製造される衣料品の種類」では、衣料品のタイプ別に語られており、
現在は「『メイド・イン・ハワイ』というレーベルの開発と承認」について
まとめた部分をご紹介していますが、
この話題はまだもうしばらく続きます。



「メイド・イン・ハワイ」というレーベルの開発と承認(7)

 メイド・イン・ハワイのレーベルは、
1959年、すなわち州昇格の年に最高潮となった。

小売店によるたくさんの広告宣伝や、新聞に載った記事を見れば、
そのことがわかる。

1959年に書かれた記事の1つからの抜粋を以下に引用する。

  ”「ハワイ」という言葉は、本土全体で、いまだに魔法の言葉なのです、と、
  リバティ・ハウスの副社長兼総支配人、アーサー・E・ジョーンズは言った。”

  ”ジョーンズ氏は、2カ月にわたる本土への商品買い付け旅行から
  最近戻ったところであるが、
  彼は、ウェスト・ヴァージニア州ホワイト・サルファー・スプリングにある
  リゾート地ザ・グリーンブライヤーで開かれた
  流通業店舗連合社長会にも出席した。”

  ”「州昇格がハワイにもたらしたであろう宣伝効果の総額は
  本当に信じられないほどです」とジョーンズ氏は言った。” 』




「ハワイが州に昇格した1959年に、
 メイド・イン・ハワイのレーベルは最高潮となった」という話は、
筆者も知りませんでした。

アロハシャツの歴史を年ごとに追っている身からすると、
1950年前後に、品質・人気ともに頂点を迎え、その後はジリジリと下降し、
1950年代後半には、品質も人気も低調になっていたように感じていました。

ところが、州昇格という一大イベントをきっかけとして
ハワイ州が大きくクローズアップされ、
その結果、「メイド・イン・ハワイ」の製品や衣料品が全米で注目され、
そして大いに売れた、ということが、上の文章には書かれています。


確かに、1959年という年は、
「州昇格」や「伝統文化」に焦点を当てた柄が多いように感じます。

例えば、こちら ↓ は、1959年に発売された、
アルフレッド・シャヒーンの「50州柄」です。

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こちら ↓ は、同年のパシフィック・スポーツウェア
(ブランドはハワイアン・サーフ)の「50州柄」の広告です。

50州柄.jpg

カヒリを手にした王族の姿で、「ハワイの伝統」を表現しているのでしょう。


「50州柄」は作られた年が容易にわかるため、人気が高く、
ヴィンテージ価格も高額になっているようです。



(次回に続く)

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ハワイの衣料品製造業の歴史 その292 「メイド・イン・ハワイ」というレーベルの開発と承認(6) [ファンダバーク著ハワイの衣料品製造業]

ファンダバーク教授の本『ハワイの衣料品製造業の歴史』の翻訳をお届けしています。

この章「ハワイで製造される衣料品の種類」では、衣料品のタイプ別に語られており、
現在は「『メイド・イン・ハワイ』というレーベルの開発と承認」について
まとめた部分をご紹介しています。



「メイド・イン・ハワイ」というレーベルの開発と承認(6)

 1955年に百貨店ローズ・オブ・シアトルは
ハワイ製衣料の全面広告を出した。

以下がその広告文からの抜粋である。

  ”ハワイの島々から着想を得た、
  当店の輸入パウ・ハナ・プリントについて。

  このパウ・ハナ・プリントはハワイから輸入されたものですが、
  家族みんなで着られる、一連のコットン製の浜遊び着に仕立てられており、
  それはあたかも、米国の出不精の人々をハワイへと誘っているかのようです。” 』




ローズ・オブ・シアトルは、1927年にできた百貨店で、
ちょうど1950年頃の写真があるので、ご覧ください。

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(PSTOSのHPより引用)

また、the department store museumにも写真がありましたので、ご紹介します。

rhodes+seattle.jpg

rhodes+seattle+int.jpg

http://www.thedepartmentstoremuseum.org/2010/11/rhodes-of-seattle-seattle-washington.html


「パウ・ハナ・プリント」というのがどのような柄だったのかは不明ですが、
「パウ・ハナ」とは「仕事のあと」という意味なので、
仕事のあとのウキウキ気分を描いた、楽しい柄であろうと、筆者は想像します。

家族みんなで着られるように、
男性物・女性物・男児物・女児物が全て作られていたとも書かれています。

この当時は、1つのプリント柄で、
老若男女向けの様々な形の服が作られるのが普通でした。
そのため、例えば婦人服や子供服を見たら、
「これと同じ柄のアロハシャツがあるに違いない」と推測できるわけです。




(次回に続く)

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