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リンダ・アーサー著『20世紀のアロハ服』その71 1945年~1950年代半ばの衣料品生産(5) [リンダ・アーサー著『20世紀のアロハ服』]

元ハワイ大学教授のリンダ・アーサー氏が書いた
『20世紀のアロハ服』という本の翻訳をお届けしています。

現在は「1945年~1950年代半ばの衣料品生産」について語られています。


『第5章「1945年~1950年代半ば
     :クラシック・シルキーズ(古典的レーヨン羽二重)

  衣料品生産(5)

(続)
当時、ほとんどの生地は米国でプリントされ、
パナマ運河を通ってハワイに運ばれていた。

ハワイのメーカーは、(訳注:運搬に時間がかかるため)
大きな在庫を持ち続けなくてはならなかった。

「朝鮮戦争が1950年に勃発するまでに2年間
アロハシャツ・ビジネスをやっていましたが、
抱えている生地は約4カ月分でした。」』



米国本土から調達していたプリント生地は、
運搬に時間がかかるため、多めに在庫を積んでおかなくてはならず、
そのために資金的にも余計に負担がかかっていた、ということのようです。

それなのに、朝鮮戦争の勃発という情勢変化によって
生地価格が暴落することになり、
価格変動のリスクがあることも顕在化したわけです。

ハワイでプリントすれば、
余計な在庫を積まなくても済むし、
プリント生地を計画的に生産すれば価格変動リスクも抑えられる、
ということに気付き、自社でプリントするという賭けに出たのです。



(次回に続く)

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ヤフオクで見かけたヴィンテージアロハシャツ(106)アルフレッド・シャヒーン [ヤフオクで見かけたヴィンテージアロハシャツ]

今回は週末なので、翻訳はお休みして、
週末恒例の「ヤフオクで見かけたヴィンテージアロハシャツ」をお届けします。

今回のテーマは「アルフレッド・シャヒーン」です。

と、その前に。

先々週の日曜日のブログ
「ヤフオクで見かけたヴィンテージアロハシャツ(104)メニュー柄」
で、いろいろなメニュー柄をご紹介しました。

https://vintage-aloha-shirt.blog.ss-blog.jp/2021-05-16

その後の2週間で、新しく、「超スペシャルなメニュー柄」が出品されましたので、
今回は、その後報告から始めましょう。こちら ↓ です。

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https://page.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/s823281275

サベージのメニュー柄で、
1950年代半ば頃に、レーヨン壁縮緬で作られたものになります
(上のブログ執筆時にはヤフオクでは出品がなかったため、
 楽天のお店に出されていたもの=パリハワイアン製をご紹介しました)。

今回のメニュー柄は「イオラニ・スポーツウェア」のものですが、
そのイオラニとも関係の深いアロハ貿易(パリハワイアンの製造元)の生地を
使っていると思われます。
コンディションがいいため、色の鮮やかさがよくわかりますね。
縮緬のランドオブアロハと同じ頃にプリントされたものでしょう。
アロハ貿易ならではの、「超絶多色重ね」による逸品と言えるでしょう。
30万円持っていたら、ぜひ欲しいところですね。


さて、今回の本題に移ります。

前回のブログ
「リンダ・アーサー著『20世紀のアロハ服』その70」
https://vintage-aloha-shirt.blog.ss-blog.jp/2021-05-28-1
で、アルフレッド・シャヒーンの話題だったので、
今回はそれにちなんでシャヒーンをヤフオクで探すことにしました。

まず最初は、こちら ↓ などはいかがでしょうか?

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https://page.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/e493346280

織ネームは「ホアロハ」ですが、「サーフン・サンド」の織ネームが付いたものもあり、
おそらく「サーフン・サンド」製なのでしょう。
ボンバックスの花が描かれていると言われていますが、
正しくは「レフア」の花のようです
(見た目が非常に似ていますが、系統的には異なる種のようです)。
サーフン・サンドが自社プリント工場を確立する前の1950年頃に
米国本土のプリントメーカーに発注したレーヨン抜染生地が使われています。
つまりシャヒーン(サーフン・サンド)では珍しい、初期の、レーヨンの製品です。


もう1つ、こちら ↓ もレーヨン製のシャヒーンになります。

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https://page.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/s822343542

オークションはちょうど終了してしまいました。
織ネームは「シャヒーンズ・オブ・ホノルル」になっています。
この配色のプリントは、抜染ではなくオーバープリントのようですが、
配色(地色が紺、黒、赤など)によっては抜染のものもあるかもしれません。
1950年前後の製品でしょうか。


続いてのご紹介は、こちら ↓ です。

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https://page.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/j734465666

以前にも一度ご紹介したことがあるシャツですが、
最近再出品されていました。
織ネームは「サーフン・サンド」です。
「ハンド・プリンティド・イン・ハワイ」という表示があり
(この表示自体非常に珍しいものです)、
自社プリントであることがわかります。
柄は「サメ」の顔と歯を組み合わせた、非常に珍しいものです
(サメ柄のアロハシャツというのは、筆者は他に見たことがありません)。
ボタンが尿素ボタンを使っているところからも、
サーフン・サンドでもかなり早い時期のものだと思われます
(普通はココナッツボタンが使われています)。
かなり高額の出品ですが、希少性から言っても古さから言っても、
まあ、仕方がないかなと思います。


そして、こちら ↓ です。

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https://page.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/w474889347

織ネームは「アンドレード」になっていますが、
「サーフン・サンド」とのダブルネームですね。
裏側にはロイヤルハワイアンホテルとモアナサーフライダーホテルの2つが
書かれているところから、1952年頃の製品と思われます
(モアナホテルの隣にサーフライダーホテルが作られたのは1952年なので、
 それ以降の製品であることは確かなのですが、
 サーフン・サンドでシルクのプリントが作られるのもごく短期間なので、
 工場が本格的に操業を始めた1952年か、その1~2年後くらいまででしょう)。
絵のタッチはかなり雑ですが、
ノスタルジックな感じとごちゃまぜなところが個人的には好きです。


もう1つ、こちら ↓ もシルク・プリントです。

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https://page.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/n436540674

織ネームが欠損していますが、この柄もシャヒーンズかサーフン・サンドの
織ネームが付いていたと思われます。
絵のタッチは異なりますが、これも、ハワイ的な要素がてんこ盛りになっていて、
かなりいい雰囲気です。
ボタンはココナッツボタンです。


そして再びコットンの、こちら ↓ 。

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https://page.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/b548391948

織ネームは「ペラコ・スポーツマスター」という非常に珍しいもの
(専門書などにも掲載されていない織ネームで、筆者も初見)になります。
しかしながら、この柄は、サンサーフでも復刻している有名柄です。

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https://page.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/l591716119

1957年に作られた柄です。

両社を比べると、ヨークにカヒリが、袖に人物が、出てきているところが、
イレギュラーな感じがしますね。
おそらくシャヒーンズの製品であったら、サンサーフのような生地取りをするでしょう。
そう考えると、生地だけシャヒーンから買い、別のところで裁断し縫製した、
と推測されます。


さらには、こちら ↓ 。

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https://page.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/u290616140

織ネームは「シャヒーンズ・オブ・ホノルル」で、
ボタンはココナッツボタンです。
専門書にも掲載されている有名柄で、
1955年頃の製品になります。


最後はこちら。

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https://page.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/b469813271

織ネームは「アルフレッド・シャヒーン」です
(珍しいタイプです)。
柄自体は1950年代から長期間プリントされている定番的なものなので、
このシャツがいつぐらいのものか特定するのは難しいですが、
袖付けが巻き縫いなので、1950年代のものでしょうか?
襟にステッチが入っているのは珍しいですね。
ボタンはおそらく後から交換されたものでしょう。


シャヒーンは面白い柄が多くて、奥が深いです。

今回はこの辺で。
次回をお楽しみに。



(次回に続く)

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リンダ・アーサー著『20世紀のアロハ服』その70 1945年~1950年代半ばの衣料品生産(4) [リンダ・アーサー著『20世紀のアロハ服』]

元ハワイ大学教授のリンダ・アーサー氏が書いた
『20世紀のアロハ服』という本の翻訳をお届けしています。

現在は「1945年~1950年代半ばの衣料品生産」について語られています。


『第5章「1945年~1950年代半ば
     :クラシック・シルキーズ(古典的レーヨン羽二重)

  衣料品生産(4)

 アルフレッド・シャヒーンは2、3年間、両親と共に
オーダーメイド・ドレスのビジネスをしていたが、
自身のレーベル、サーフン・サンドを登録した1947年に創業し、
翌48年に自身のアロハシャツ・ビジネスを、
4台の機械と6人の従業員とで立ち上げ、
まもなくアロハシャツだけでなく女性服を生産するところまで手を広げた。』




こちら ↓ は両親が営んでいたドレス・ショップ
(ジョージ・A・シャヒーンはアルフレッドの父の名前)の広告
(1945年のパラダイス・オブ・ザ・パシフィック誌に掲載)です。

1945年 パラダイスオブザパシフィック誌 ジョージ・A・シャヒーン広告.jpg

(筆者コレクションより)

アルフレッド・シャヒーンは、第二次世界大戦に従軍していたので、
帰還後の数年(1945、6年~47、8年)、この店で働いていたのでしょう。

そして、1947年にアロハウィークが始まり、
アロハシャツというものが売れそうだと感じ取って、
すぐさまビジネスを始めたのでしょう。

1947年からの数年は、アロハウィークの盛り上がりや、
大型旅客機の就航による、米国本土からの観光客の増加などにより、
アロハシャツが飛ぶように売れたでしょうから、
シャヒーンのビジネスも急拡大したことでしょう。




(次回に続く)

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リンダ・アーサー著『20世紀のアロハ服』その69 1945年~1950年代半ばの衣料品生産(3) [リンダ・アーサー著『20世紀のアロハ服』]

元ハワイ大学教授のリンダ・アーサー氏が書いた
『20世紀のアロハ服』という本の翻訳をお届けしています。

現在は「1945年~1950年代半ばの衣料品生産」について語られています。


『第5章「1945年~1950年代半ば
     :クラシック・シルキーズ(古典的レーヨン羽二重)

  衣料品生産(3)

 アロハウィークはハワイの衣料品に強い影響力を持っており、
地元消費者によるアロハ服の需要はより増大した。

そのようなアロハ服の需要は、
最初は地元民がアロハウィークの祭りで着る服に対するものであったが、
人々はアロハ服を、少しずつ、より頻繁に着るようになった。

ハワイのメーカーはそれまで、
独創性を欠いた本土の流行的な服がハワイの服装に取って代わるかもしれないと
恐れ始めていたので、
地元民によるアロハ服の着用を肯定的な動きであると理解した。』




1947年に始まったアロハウィークによって、
ハワイの人々が、アロハシャツ(やホロクなど)を着る習慣ができ、
その後次第に、祭りの時だけでなく日常的に着るようになっていきました。

つまり、アロハウィークがアロハシャツの普及に一役買ったわけです。

そして(これは以前にも述べたことですが)、それと共に、
「アロハシャツ」という言葉が、
商標登録された特定のブランド名(もしくは特定の商品名)から
派手な開襟シャツ全般を指す一般名称に変わっていったわけです。



(次回に続く)

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リンダ・アーサー著『20世紀のアロハ服』その68 1945年~1950年代半ばの衣料品生産(2) [リンダ・アーサー著『20世紀のアロハ服』]

元ハワイ大学教授のリンダ・アーサー氏が書いた
『20世紀のアロハ服』という本の翻訳をお届けしています。

前回から「1945年~1950年代半ばの衣料品生産」について語られています。


『第5章「1945年~1950年代半ば
     :クラシック・シルキーズ(古典的レーヨン羽二重)

  衣料品生産(2)

(続)
いくつかの衣料品メーカーが(1940年代後半から50年代前半に)ビジネスを始め、
地元ハワイ市場と米国本土市場との両方に狙いを付けた。

1946年にマリヒニ・スポーツウェアは
男女両方向けの衣料品を製造するべく法人化した。

この家族経営ビジネスは現在も操業しており、
デザイナーのレイ・ササキは、観光客向けの月並みなものではないアロハ服を
首尾一貫して創作してきた
(著者注:1980年9月のホノルル・スターブリトゥン紙記事より引用)。

スポーツウェアの、よりグローバルな未来像に狙いをつけることで、
シャヒーンやのちのトリ・リチャードも同様に月並みでないアロハ服を創作し、
これらのメーカーは成功し続けた。』



1940年代後半から50年代前半にビジネスを始めた
アロハシャツメーカーがいくつか取り上げられています。

ここに挙げられたメーカーだけでなく、
はっきり言って、ヴィンテージで知られるアロハシャツメーカー
(戦前からやっている御三家=カメハメハ/カハラ/ロイヤルハワイアンを除けば)の
ほとんどすべては、この時代にスタートしたと言っても過言ではないでしょう。

マリヒニは、それほど独自だったとは思いませんが、
シャヒーンズは一風変わった(例えば東洋風など)アロハシャツを作っていましたし、
トリ・リチャードも、あえてハワイ柄ではない、
ハイファッションな柄のシャツを作っていたようなので、
この2社は独自だっただろうと思います。

トリ・リチャードは、アロハシャツ全盛期が過ぎたあとの1956年の創業なので、
ハイファッションに目を向けていたというのは納得できるところではあります。

ただし、初期のトリ・リチャードのヴィンテージシャツというのは
なぜかほとんど出てきません。
確かに初期は女性物に力を入れていたようなので少ないのは確かですが、
それでも1950年代製のヴィンテージシャツは絶対に現存するはずなのです。

古そうなトリ・リチャードのシャツを筆者は1度だけ見たことがあり、
それが、筆者が見かけた唯一の「ヴィンテージ・トリ・リチャード」です。
シルク製なので1950年代後半頃のものだと思います。

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(過去のヤフオク出品物より引用)

絵皿柄なので、和柄の一種ですね。
絵皿柄は1950年代後半頃に多かった柄になります。

ぜひ「ヴィンテージ・トリ・リチャード」をもっと見つけ出したいですね
(アロハシャツっぽい柄でなくてもいいです)。




(次回に続く)

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リンダ・アーサー著『20世紀のアロハ服』その67 1945年~1950年代半ばの衣料品生産(1) [リンダ・アーサー著『20世紀のアロハ服』]

元ハワイ大学教授のリンダ・アーサー氏が書いた
『20世紀のアロハ服』という本の翻訳をお届けしています。

今回から新しく、「1945年~1950年代半ばの衣料品生産」という話題になります。


『第5章「1945年~1950年代半ば
     :クラシック・シルキーズ(古典的レーヨン羽二重)

  衣料品生産(1)

 1940年代後半から50年代前半に、
米国本土の主要な小売店はハワイ製衣料の販売促進を行った。

フィリーンズ・オブ・ボストン(訳注:ボストンを拠点とする高級百貨店)は、
「ハワイ諸島の外でかつて開かれた中で最大の、ハワイ商材の展示会」を
開いたと主張した。

この種の販促活動は、ハワイ・米国本土間の航空便の就航と結びついて、
パン・アメリカン航空やアメリカン航空を使った、
カメハメハ・ガーメントやカハラ・スポーツウェアからの衣料品の、
ボストンへの空輸という結果となった。』



フィリーンズ・オブ・ボストンというのは、ボストンを拠点とする高級百貨店です。
古い写真は、こちら ↓ 。

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(boston.comより引用)

このようなハワイ製品の販促活動のおかげなのか、
1940年代後半から50年代前半には全米でアロハシャツが人気となったようです。

シスコ社のデューク・カハナモクが登場し、
広く米国本土で販売されたのも1950年です。

この時代に、ハワイ的なものが、
ある種熱病のように全米でもてはやされたのではないでしょうか?



(次回に続く)

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リンダ・アーサー著『20世紀のアロハ服』その66 1945年~1950年代半ばの布地(11) [リンダ・アーサー著『20世紀のアロハ服』]

元ハワイ大学教授のリンダ・アーサー氏が書いた
『20世紀のアロハ服』という本の翻訳をお届けしています。

現在は、「1945年~1950年代半ばの布地」について語られています。


『第5章「1945年~1950年代半ば
     :クラシック・シルキーズ(古典的レーヨン羽二重)

  布地(11)

 (訳注:1950年代後半には)けばけばしい花柄は派手すぎると見なされ、
もはや流行に乗ったものではなかった。

ファンダバーク(訳注:ハワイの服飾史を研究したハワイ大学教授)は、
「現在(訳注:著書執筆時の1960年代前半)ではコットンが、
 ハワイ柄プリントに使われる上での主要な生地となってきている。」
と言及している。

1950年代後半にはコットンとアーネル(訳注:トリアセテート。レーヨンに近い)の
混紡生地が誕生し、
またパーマネント・プレス生地
(訳注:コットンとポリエステルの混紡生地で、防シワ加工されているもの)の
明るい将来性が、コットンと合成繊維との混紡を流行に乗ったものにしたのである。』





1950年代後半からコットン生地が優勢になり、
1960年代になるとコットンサテンが多くなりました
(上の、ファンダバーク教授が言及している1960年代前半は
 コットンサテンの全盛期です)。
同時に、色合いも地味なもの(茶系やくすんだグリーン系)が増えていきました。

例えば、こんな感じ ↓ です。1960年代前半頃の製品でしょう。

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https://page.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/c904148851


また、コットンとレーヨンの混紡も1950年代末頃に出てきて、
一時期はかなり使われたようです。



「1945年~1950年代半ばの布地」についての記述は今回で最後になります。
次回からは「1945年~1950年代半ばの衣料品生産」が語られます。


(次回に続く)

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リンダ・アーサー著『20世紀のアロハ服』その65 1945年~1950年代半ばの布地(10) [リンダ・アーサー著『20世紀のアロハ服』]

元ハワイ大学教授のリンダ・アーサー氏が書いた
『20世紀のアロハ服』という本の翻訳をお届けしています。

現在は、「1945年~1950年代半ばの布地」について語られています。


『第5章「1945年~1950年代半ば
     :クラシック・シルキーズ(古典的レーヨン羽二重)

  布地(10)

 サーフン・サンドのレーベルのもとに生産された
(スクリーン・)ハンドプリント生地は、1947年から55年にかけて
シャヒーンのデザイナー・チームによってデザインされたものである。

また彼らのデザインのいくばくかはレーヨン地にプリントされた。

1950年代後半までには、レーヨンはもはやアロハ服には使われなくなった。

このことは、ハワイ大学民族衣装コレクションの中の、
証拠書類の整ったアロハシャツの数からも明らかであったが、
その時期に製造者であったアルフレッド・シャヒーンによっても
以下のようにはっきりと説明された。

「デュポンでの火災によってレーヨンを使うのをやめたという意見は作り話です。
レーヨンは古臭くなった、つまり単に流行遅れになったに過ぎないのです。以上。」』



一般にシャヒーンズは「1947年からアロハシャツを作っていた」とされますが、
上の記述にあるように「1947年から」自社でデザインしていたわけではないと
筆者は考えています。

なぜなら、アルフレッド・シャヒーンの両親がドレスショップを営んでいたため、
おそらくその人材や生産設備を利用する形でアロハシャツの生産も始めたでしょうし、
そうであれば、最初からデザインまで行う余裕はなかっただろうと考えるからです。

つまり最初のうちは、本土の生地メーカーから出来合いのプリント生地を買い、
それをシャツに仕立てていたけれど、
数年たってそこそこの数が売れるようになり、
「それじゃあ、オリジナルのデザインで作ってみようか」となり、
その時点で(仮に1949年頃としておきましょう)デザイナーを雇い、
独自の柄をデザインするようになった、と考えるのが自然だと思うのです。

また、自社プリント工場のサーフン・サンドを始めたのも
創業した1947年ではなくその数年後
(確か1948年と語っていたように記憶しています)でした。

「本土からのプリント生地の入荷がたびたび遅れたため、
 自社でプリントしようと考えた」とシャヒーン自身が述べていることからも、
創業時にはプリント事業は行っていなかったのは明らかです。

しかもゼロから立ち上げたため試行錯誤も多く、
安定的にプリント生地を生産できるようになったのはさらに数年後なのです。

そしてサーフンサンドの生地を大々的に広告し始めたのは1952年だったことから、
本格的に稼働したのは1952年からであると筆者は考えています。

サーフンサンドはハンドスクリーンプリントを行っていたので、
大部分がコットン、ごく一部がシルクでした。

サーフンサンド.jpg

(公式HPより引用)

裏を返せば、「レーヨン製のシャヒーンズ」は、1947年頃から1952年頃に、
本土のプリント生地を使って作られたものであるということになります。

シャヒーンの場合は、自社でコットンのプリントを行うようになったため
1952年頃からレーヨンを使わなくなったのです。

「レーヨンは流行遅れになった」から使われなくなったというのは
シャヒーン以外では、ある意味、正しいのかもしれませんが、
筆者は、「コットンのほうがコスト面から魅力的になったため」というのも
理由の1つではないかと考えています。


ちなみに上の文章に出てくる
「デュポンでの火災によってレーヨンを使うのをやめた」という説は、
洋書『THE HAWAIIAN SHIRTS』の記述で広まった俗説のようです。

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(次回に続く)

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ヤフオクで見かけたヴィンテージアロハシャツ(105)ジョン・メイグス作品 [ヤフオクで見かけたヴィンテージアロハシャツ]

今回は週末なので、翻訳はお休みして、
週末恒例の「ヤフオクで見かけたヴィンテージアロハシャツ」をお届けします。

今回のテーマは「ジョン・メイグス作品」です。

「翻訳はお休み」と言いましたが、
実は翻訳と少し関係しています。

前回のブログ(その64)で、ちょうどジョン・メイグスの話が出てきて、
カヒリ柄をご紹介したところでした。

https://vintage-aloha-shirt.blog.ss-blog.jp/2021-05-22

で、それ以外の作品も出品されていないかとチェックしてみた次第です。

すると、結構な数が出品されていました。


さっそく行きましょう。まず最初はこちら ↓ になります。

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https://page.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/t811470589

「バタフライ」または「プレレフア」と呼ばれる柄です。
サンサーフでも「ケオニ」シリーズで復刻されていますね。
織ネームは「メイドインカリフォルニア」です。


続いてはこちら ↓ になります。

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https://page.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/h550313812

「コートオブアームスタパ」と呼ばれる柄になります。
これも織ネームは「メイドインカリフォルニア」です。


そして、こちら。

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https://page.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/t800960159

「サウスシートレイダー」と名付けられている柄ですね。
ブランドは「クオナカカイ」です。


さらに、こちら ↓ もそうです。

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https://page.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/f513920472

「ハワイアンヴィレッジ」という作品名が付けられています。
織ネームは欠損しており、ブランドは不明です。


続いてもう1つ。

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https://page.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/r486449325

「パイナップル」です。
パイナップルの断面が描かれているところが斬新ですね。
濃い地色と、白/グレーという、抜染プリントならではの、
シンプルな配色がかっこいいですよね。
人気があるようで、サンサーフから配色を変えて何度も復刻されています。
これも織ネームは欠損しており、ブランドは不明です。


実はここまでの作品は、生地スワッチやスケッチなどが残っていて、
ジョン・メイグスの作品であると、ほぼ確実視されているものばかりになります。


そしてここからは、「ジョン・メイグスの作品だろう」と言われていますが、
スケッチなどが残っていないもの、
(つまり、彼の作品ではない可能性が残されたもの)になります。


1つ目は、こちら ↓ 。

i-img1200x1200-1562479208xhzzor293211.jpg

https://page.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/h407603728

「ワイキキサンド」と呼ばれている作品ですね。
これも織ネームは「メイドインカリフォルニア」です。


2つ目は、こちら ↓ 。

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https://page.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/d454946646

「サウスシーアウトリガー」と名付けられている作品ですね。
これまた「メイドインカリフォルニア」になります。
なぜかメイドインカリフォルニアが多いですね。


お次はこちら。

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https://page.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/e514827739

さきほどちょうどオークションは終了し、落札されてしまいましたが、
ご紹介しておきましょう。
作品名は「バードオブパラダイス」。
織ネームはまたまた「メイドインカリフォルニア」になります。
(ブランド名が付いた織ネームは、クオナカカイ以外にないのでしょうか?)


最後はこちらになります。

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https://page.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/g525413634

「ハイビスカス」です。長袖になります。
織ネームは、これでもかの「メイドインカリフォルニア」です。
本当に、メイドインカリフォルニアばかりですね。
逆に不思議です。


ジョン・メイグスがデザインしていたのは「1940年代~51年」というだけあって、
見事に「レーヨンの抜染」ばかりです。
まさに「アロハシャツ黄金時代のテキスタイル・デザイナー」と言っても
過言ではありません。


それにしても、ヤフオクには多くのジョン・メイグス作品が出品されていました。
下手な古着屋さんを超える品揃えですね。おそるべし。


それでは今回はこの辺で。
次回をお楽しみに。



(次回に続く)

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リンダ・アーサー著『20世紀のアロハ服』その64 1945年~1950年代半ばの布地(9) [リンダ・アーサー著『20世紀のアロハ服』]

元ハワイ大学教授のリンダ・アーサー氏が書いた
『20世紀のアロハ服』という本の翻訳をお届けしています。

現在は、「1945年~1950年代半ばの布地」について語られています。
今回は、ジョン・メイグスについてです。


『第5章「1945年~1950年代半ば
     :クラシック・シルキーズ(古典的レーヨン羽二重)

  布地(9)

 ジョン・メイグスはタパのデザインに魅了された画家であった。

彼は大手メーカーのために作品をデザインし始め、
またケオニというハワイの名前でデザインすることもした。

1939年に創作した、タパをベースにした彼のデザイン例は現在残っていないが、
その一方で、ハワイの文化、花、海中生物といった、
タパ以外のものに関するモチーフを使った彼のデザインによるアロハシャツは、
現在、個人的に収集されている。

ケオニの後期(1940年代後半から1951年まで)の作品は、
ハワイのテキスタイル・デザインにおける抽象芸術の始まりを予言していた。』



ジョン・メイグスはイリノイ州シカゴで生まれ、
1938年にハワイに渡ってきたそうです。

1940年代に入ってからテキスタイル・デザインを行っていたと
筆者は聞いていましたが、
上の記述には「タパをベースにしたデザインを1939年に創作した」とあります。
また「タパのデザインに魅了された画家であった」とも書かれています。

筆者には初耳の話です。
出典が明らかにされていないのがいささか残念です。

彼もまたビショップ博物館に足しげく通い
スケッチをたくさんしたという話は聞いているので、
タパのデザインに魅了されたとしても確かに不思議ではありません。

1939年とか40年代前半頃はタパ・デザインが人気だったので、
彼の手になるタパ柄が(そうとは知られずに)存在するのかもしれません。

ジョン・メイグス.jpg

ジョン・メイグス2.jpg


「ハワイの文化」を取り上げた柄としては、
カヒリを描いた、こちら ↓ や、

i-img600x600-1611892629vzrqqz147335.jpg

https://page.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/q430983131

カヒリとヘルメットを描いた、こちら ↓

i-img1200x900-1619910648norrnt257835.jpg

https://page.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/j727698138

などが、ジョン・メイグスの作だと言われており、
どちらも、ビショップ博物館でのスケッチを元にしたと思われるような
ハワイ文化をストレートに表現した柄となっています。



(次回に続く)

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