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リンダ・アーサー著『20世紀のアロハ服』その57 1945年~1950年代半ばの布地(2) [リンダ・アーサー著『20世紀のアロハ服』]

元ハワイ大学教授のリンダ・アーサー氏が書いた
『20世紀のアロハ服』という本の翻訳をお届けしています。

前回から、「1945年~1950年代半ばの布地」について語られています。


『第5章「1945年~1950年代半ば
     :クラシック・シルキーズ(古典的レーヨン羽二重)

  布地(2)

 1945年から58年までの間、女性服を作るのに最もよく使われた生地は、
コットンまたはシルクであった。

高級品メーカーは、滑らかな質感を持つコーマ綿を使った。

レーヨン生地は第二次世界大戦後に広く使われるようになった。

再生セルロース繊維であるレーヨンは1924年に命名されたのであるが、
それから30年かかってようやく使用に耐えうる生地へと成長した
(著者注:1997年刊行のフィリス・トートラ&ビリー・コリアー著
 『生地を理解する』より引用)。』




「レーヨン生地は第二次世界大戦後に広く使われるようになった。」
と書いているところを見ると、
リンダ・アーサー氏も、
「戦前・戦中にレーヨンプリント生地を使った服はそれほど多くはないがあった」
と考えているように読めます。

そうであれば、筆者の考えるところとそれほど違わないのかもしれません。
筆者も、分量的にはコットン製の服のほうがレーヨン製の服よりも多かっただろうと
考えるからです。

しかも戦前・戦中にあったレーヨンプリント生地は
「オーバープリント」によるものであろうと推測しています。

それはつまり、レーヨン生地に「抜染プリント」を施したアロハシャツは、
「おそらく戦後製であろう」ということです。

以前にもご紹介したように、
1939年にはすでに「レーヨンの抜染生地」自体は存在しているので、
それを使ったアロハシャツは、可能性としてはあったかもしれませんが、
おそらくなかっただろうと筆者は思うのです。


こちら ↓ は1942年6月の、ワットムルスの新聞広告です。

S1942.06.18 ワットムルス.jpg

(筆者コレクションより)

ここに出てくる「セラニーズ・ファブリック」というのは、
「セラニーズ社(化学メーカー)が生産していたレーヨン生地」を指しているようです。
「ハワイ柄のレーヨン製アロハシャツ」は1942年には確かに存在したのです。
ただし、プリント法が記載されていないため、
抜染なのかオーバープリントなのかはわかりません。
筆者は、オーバープリントだと思いますが。


「戦争中は物資が不足していて、ぜいたくなアロハシャツなどなかったはず」
と考えるのは、日本人的な発想なのかもしれません。
米国本土では、生地の生産などは普通に行われていたと考えるべきで、
開戦から半年の1942年6月くらいであれば、
本土からハワイへの生地の輸送もまだそれほど滞ってはいなかったのかもしれません。



(次回に続く)

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