リンダ・アーサー著『20世紀のアロハ服』その49 1930年代~1945年の男性服:アロハシャツ(5) [リンダ・アーサー著『20世紀のアロハ服』]
元ハワイ大学教授のリンダ・アーサー氏が書いた
『20世紀のアロハ服』という本の翻訳をお届けしています。
現在は、「1930年代~1945年の男性服」、
特に「アロハシャツ」について語られています。
『第4章「1930年代~1945年
男性服:アロハシャツ(5)
(続)
しかしながら、「アロハシャツ」という用語を1936年に商標登録したのは
エラリー・チャンであった。
彼もまた、伝統的な着物地で作られたシャツを売り始めた。
とはいえ本当のところは、
はっきりとハワイ的なシャツを作りたいと思っていたのであるが。
その後、彼は絵描きたち(とりわけ自分の妹であるエセル・ラム)に、
地元の花や魚などのハワイ柄を描いてくれるように依頼し、
そうした柄を壁縮緬にプリントしてもらった。
そのような柄のシャツはよく売れたため、
「商標を所有するのが良いアイデアだと考えた」とチャンは語った
(著者注:GQ誌1978年夏号の記事より引用)。』
「エラリー・チャンも(ムサシヤ・ショウテンやブランフリートと同様に)
伝統的な着物地で作られたシャツを売り始めた」
と書かれています。
ちなみに、ハワイ大学の衣装コレクションの中に
このような ↓ シャツがありました。
(ハワイ大学・衣装コレクションより引用)
「1940年代」という説明がありますが、
柄の雰囲気から、
筆者には「1930年代半ばの、最初期の、和柄のアロハシャツ」のように見えます
(現物を手に取り、細部を確認してみないとわかりませんが)。
また、
「絵描きたち(とりわけ自分の妹であるエセル・ラム)に、
地元の花や魚などのハワイ柄を描いてくれるように依頼し、
そうした柄を壁縮緬にプリントしてもらった。」
という記述は、特に注目しておきたい部分です。
というのも、1930年代後半(1938年頃)に出てきたとされる「ハワイ柄」は、
これまで「コットン製」だとされてきましたが、
エラリー・チャンはこのインタビューで、「壁縮緬にプリントしてもらった」と
語っているからです。
コットンであればプリントは米国で行われたと考えられますが、
「壁縮緬のプリント」ということは、日本に発注したことになります。
その時期(戦争が始まる数年前)に、問題なく日本と貿易ができたのか、
筆者には判断が付きませんし、
そもそも現物の存在も確認できない(筆者は見たことも聞いたこともない)ため、
にわかには信じられないのです。
筆者としては、現物が現れるまで、1930年代後半製の「壁縮緬のハワイ柄」の存在は
一旦留保しておきたいと思います。
ところで、エセル・ラム(当時はまだ未婚なのでエセル・チャン)が
1938年に描いたとされる絵が見つかったので、
ご紹介しておきます。
(https://www.worthpoint.comより引用)
(次回に続く)
『20世紀のアロハ服』という本の翻訳をお届けしています。
現在は、「1930年代~1945年の男性服」、
特に「アロハシャツ」について語られています。
『第4章「1930年代~1945年
男性服:アロハシャツ(5)
(続)
しかしながら、「アロハシャツ」という用語を1936年に商標登録したのは
エラリー・チャンであった。
彼もまた、伝統的な着物地で作られたシャツを売り始めた。
とはいえ本当のところは、
はっきりとハワイ的なシャツを作りたいと思っていたのであるが。
その後、彼は絵描きたち(とりわけ自分の妹であるエセル・ラム)に、
地元の花や魚などのハワイ柄を描いてくれるように依頼し、
そうした柄を壁縮緬にプリントしてもらった。
そのような柄のシャツはよく売れたため、
「商標を所有するのが良いアイデアだと考えた」とチャンは語った
(著者注:GQ誌1978年夏号の記事より引用)。』
「エラリー・チャンも(ムサシヤ・ショウテンやブランフリートと同様に)
伝統的な着物地で作られたシャツを売り始めた」
と書かれています。
ちなみに、ハワイ大学の衣装コレクションの中に
このような ↓ シャツがありました。
(ハワイ大学・衣装コレクションより引用)
「1940年代」という説明がありますが、
柄の雰囲気から、
筆者には「1930年代半ばの、最初期の、和柄のアロハシャツ」のように見えます
(現物を手に取り、細部を確認してみないとわかりませんが)。
また、
「絵描きたち(とりわけ自分の妹であるエセル・ラム)に、
地元の花や魚などのハワイ柄を描いてくれるように依頼し、
そうした柄を壁縮緬にプリントしてもらった。」
という記述は、特に注目しておきたい部分です。
というのも、1930年代後半(1938年頃)に出てきたとされる「ハワイ柄」は、
これまで「コットン製」だとされてきましたが、
エラリー・チャンはこのインタビューで、「壁縮緬にプリントしてもらった」と
語っているからです。
コットンであればプリントは米国で行われたと考えられますが、
「壁縮緬のプリント」ということは、日本に発注したことになります。
その時期(戦争が始まる数年前)に、問題なく日本と貿易ができたのか、
筆者には判断が付きませんし、
そもそも現物の存在も確認できない(筆者は見たことも聞いたこともない)ため、
にわかには信じられないのです。
筆者としては、現物が現れるまで、1930年代後半製の「壁縮緬のハワイ柄」の存在は
一旦留保しておきたいと思います。
ところで、エセル・ラム(当時はまだ未婚なのでエセル・チャン)が
1938年に描いたとされる絵が見つかったので、
ご紹介しておきます。
(https://www.worthpoint.comより引用)
(次回に続く)
リンダ・アーサー著『20世紀のアロハ服』その48 1930年代~1945年の男性服:アロハシャツ(4) [リンダ・アーサー著『20世紀のアロハ服』]
元ハワイ大学教授のリンダ・アーサー氏が書いた
『20世紀のアロハ服』という本の翻訳をお届けしています。
現在は、「1930年代~1945年の男性服」、
特に「アロハシャツ」について語られています。
『第4章「1930年代~1945年
男性服:アロハシャツ(4)
1930年代半ばには、「アロハ」という単語は多くの商品に付けられ、
「アロハ」・ティー・セットや「アロハ」・コースターもあったくらいなので、
この単語がスポーツウェアだけに使われたわけではない。
アロハシャツという単語を広告の中で最初に使ったのは、
1935年6月28日付ホノルル・アドヴァタイザー紙に広告を出した
ムサシヤ・ザ・シャツメーカーである
(訳注:正しくは「ムサシヤ・ショウテン」が出した広告。
「ムサシヤ・ショウテン」をもともと経営していた宮本孝一郎は
1933年に同店を藤井順一商店に譲渡し、
自らは「ムサシヤ・ザ・シャツメーカー」という別の店を新たに出した)。
その広告の文面は以下のようなものであった。
「『アロハ』シャツ—美しいデザインと派手な色で、きれいに仕立てられています」』
最初の部分で
「1930年代半ばには、「アロハ」という単語は多くの商品に付けられ、
「アロハ」・ティー・セットや「アロハ」・コースターもあった」
と説明されていますが、アロハシャツも同様で、
最初に広告に登場したときは「アロハ」シャツと、
引用符が付いた表記がなされていました。
そして「アロハ」・ティー・セットや「アロハ」・コースターが
観光客向けの、ハワイ来島記念の土産物だったことを考えれば、
アロハシャツも同様の位置づけの商品だったことがわかります。
そもそも「アロハ」という言葉には
「ウェルカム(=歓迎)」という意味があるのですが、
1934年にルーズベルト大統領や米国艦隊がハワイに来た際に頻繁に使われていました。
当時の新聞には「アロハ・プレジデント(歓迎・大統領)」や
「アロハ・フリート(歓迎・艦隊)」という文字が躍っており、
(これは想像ですが)町中の垂れ幕にも同じ表現があったことでしょう。
ハワイの人々がこの言葉を幾度となく目にしたことで、
米国本土からやって来た人を歓迎するという意味を込めて、
当時、土産物に冠するのが流行したのではないか?と、
筆者は推測しています
(このような説を唱えている人は筆者の他には知りませんので、
ある種、異端の説だと思っておいてください)。
「ムサシヤ・ショウテン」と「ムサシヤ・ザ・シャツメーカー」の関係は
上の訳注に書いた通りです。
ちなみに「ムサシヤ・ザ・シャツメーカー」が、ハリウッドスターに
アロハシャツを作ったのが最初という話もあるようです。
この店はオーダーメードのシャツ店なので、
1935年以前に「派手な花柄のシャツ」を作った可能性はもちろんありますが、
「アロハシャツ」とは呼んでいなかったでしょうから、
それをもってアロハシャツを最初に作ったとまでは言えないのではないかと
筆者は考えます。
なお、上の記述に出てくる、ムサシヤ・ショウテンの、最初の「アロハ」シャツ広告は、
(何度かご紹介していますが)このような ↓ ものでした。
(次回に続く)
『20世紀のアロハ服』という本の翻訳をお届けしています。
現在は、「1930年代~1945年の男性服」、
特に「アロハシャツ」について語られています。
『第4章「1930年代~1945年
男性服:アロハシャツ(4)
1930年代半ばには、「アロハ」という単語は多くの商品に付けられ、
「アロハ」・ティー・セットや「アロハ」・コースターもあったくらいなので、
この単語がスポーツウェアだけに使われたわけではない。
アロハシャツという単語を広告の中で最初に使ったのは、
1935年6月28日付ホノルル・アドヴァタイザー紙に広告を出した
ムサシヤ・ザ・シャツメーカーである
(訳注:正しくは「ムサシヤ・ショウテン」が出した広告。
「ムサシヤ・ショウテン」をもともと経営していた宮本孝一郎は
1933年に同店を藤井順一商店に譲渡し、
自らは「ムサシヤ・ザ・シャツメーカー」という別の店を新たに出した)。
その広告の文面は以下のようなものであった。
「『アロハ』シャツ—美しいデザインと派手な色で、きれいに仕立てられています」』
最初の部分で
「1930年代半ばには、「アロハ」という単語は多くの商品に付けられ、
「アロハ」・ティー・セットや「アロハ」・コースターもあった」
と説明されていますが、アロハシャツも同様で、
最初に広告に登場したときは「アロハ」シャツと、
引用符が付いた表記がなされていました。
そして「アロハ」・ティー・セットや「アロハ」・コースターが
観光客向けの、ハワイ来島記念の土産物だったことを考えれば、
アロハシャツも同様の位置づけの商品だったことがわかります。
そもそも「アロハ」という言葉には
「ウェルカム(=歓迎)」という意味があるのですが、
1934年にルーズベルト大統領や米国艦隊がハワイに来た際に頻繁に使われていました。
当時の新聞には「アロハ・プレジデント(歓迎・大統領)」や
「アロハ・フリート(歓迎・艦隊)」という文字が躍っており、
(これは想像ですが)町中の垂れ幕にも同じ表現があったことでしょう。
ハワイの人々がこの言葉を幾度となく目にしたことで、
米国本土からやって来た人を歓迎するという意味を込めて、
当時、土産物に冠するのが流行したのではないか?と、
筆者は推測しています
(このような説を唱えている人は筆者の他には知りませんので、
ある種、異端の説だと思っておいてください)。
「ムサシヤ・ショウテン」と「ムサシヤ・ザ・シャツメーカー」の関係は
上の訳注に書いた通りです。
ちなみに「ムサシヤ・ザ・シャツメーカー」が、ハリウッドスターに
アロハシャツを作ったのが最初という話もあるようです。
この店はオーダーメードのシャツ店なので、
1935年以前に「派手な花柄のシャツ」を作った可能性はもちろんありますが、
「アロハシャツ」とは呼んでいなかったでしょうから、
それをもってアロハシャツを最初に作ったとまでは言えないのではないかと
筆者は考えます。
なお、上の記述に出てくる、ムサシヤ・ショウテンの、最初の「アロハ」シャツ広告は、
(何度かご紹介していますが)このような ↓ ものでした。
(次回に続く)
リンダ・アーサー著『20世紀のアロハ服』その47 1930年代~1945年の男性服:アロハシャツ(3) [リンダ・アーサー著『20世紀のアロハ服』]
元ハワイ大学教授のリンダ・アーサー氏が書いた
『20世紀のアロハ服』という本の翻訳をお届けしています。
現在は、「1930年代~1945年の男性服」、
特に「アロハシャツ」について語られています。
『第4章「1930年代~1945年
男性服:アロハシャツ(3)
ジョージ・ブランジエとそのパートナー、ナット・ノーフリートは、
彼らの会社ブランフリート(のちのカハラ・スポーツウェア)を1936年に始め、
アロハシャツの前身である、着物地のシャツを発売した。
ちなみにそのような着物地のシャツはほかでも売られていたものである。
そうしたシャツは、日系人の母親が、学校に通う子供たちのために、
シルクや縮緬の着物をバラした布地から作ったものだと伝えられている。
同様に、私立学校高学年の生徒たちが、
特別な社交活動で着るために明るい色の着物地で仕立てたシャツを着始めた
という話も存在するが、
最も一般的な説明は、複数の家族が特別な行事用のお揃いのシャツを、
明るい色の着物地で仕立ててもらったというものである。』
1936年の創業直後の「着物地のシャツ」がどのようなものだったかは
写真などがないため定かではないが、
カハラの「着物地の女性用水着」 ↓ がコレクターのサイトで紹介されていました。
カハラの最初期(1936~37年頃)のアロハシャツには、
これと同じような着物地が使われたのではないかと筆者は推測します
(これは水着なのでコットンでしょうか?)。
そのあとの記述は「アロハシャツの起源」に関するものですが、
ここでは、「古着物リサイクル説」、「社交活動着仕立て説」、
「家族行事着仕立て説」の3つが紹介されています。
リンダ・アーサー氏は3番目の説が「最も一般的な説明」だと述べていますが、
筆者は2番目の説(エラリー・チャンが新聞のインタビューで語っていた話)が
もっともありそうなものだと考えています。
ただし、本当のところはわかりません。
(次回に続く)
『20世紀のアロハ服』という本の翻訳をお届けしています。
現在は、「1930年代~1945年の男性服」、
特に「アロハシャツ」について語られています。
『第4章「1930年代~1945年
男性服:アロハシャツ(3)
ジョージ・ブランジエとそのパートナー、ナット・ノーフリートは、
彼らの会社ブランフリート(のちのカハラ・スポーツウェア)を1936年に始め、
アロハシャツの前身である、着物地のシャツを発売した。
ちなみにそのような着物地のシャツはほかでも売られていたものである。
そうしたシャツは、日系人の母親が、学校に通う子供たちのために、
シルクや縮緬の着物をバラした布地から作ったものだと伝えられている。
同様に、私立学校高学年の生徒たちが、
特別な社交活動で着るために明るい色の着物地で仕立てたシャツを着始めた
という話も存在するが、
最も一般的な説明は、複数の家族が特別な行事用のお揃いのシャツを、
明るい色の着物地で仕立ててもらったというものである。』
1936年の創業直後の「着物地のシャツ」がどのようなものだったかは
写真などがないため定かではないが、
カハラの「着物地の女性用水着」 ↓ がコレクターのサイトで紹介されていました。
カハラの最初期(1936~37年頃)のアロハシャツには、
これと同じような着物地が使われたのではないかと筆者は推測します
(これは水着なのでコットンでしょうか?)。
そのあとの記述は「アロハシャツの起源」に関するものですが、
ここでは、「古着物リサイクル説」、「社交活動着仕立て説」、
「家族行事着仕立て説」の3つが紹介されています。
リンダ・アーサー氏は3番目の説が「最も一般的な説明」だと述べていますが、
筆者は2番目の説(エラリー・チャンが新聞のインタビューで語っていた話)が
もっともありそうなものだと考えています。
ただし、本当のところはわかりません。
(次回に続く)
リンダ・アーサー著『20世紀のアロハ服』その46 1930年代~1945年の男性服:アロハシャツ(2) [リンダ・アーサー著『20世紀のアロハ服』]
元ハワイ大学教授のリンダ・アーサー氏が書いた
『20世紀のアロハ服』という本の翻訳をお届けしています。
前回から、「1930年代~1945年の男性服」、
特に「アロハシャツ」について語られています。
『第4章「1930年代~1945年
男性服:アロハシャツ(2)
(続き)
これまで書いたところでより詳しく説明したように、
1930年代前半のシャツに見られる支配的な生地は、
コットンのブロードクロスであり、
白地に、普通は1色だけ、まれに異なる2色の、プリントが施されたものである。
そのようなシャツは、
ループ付き3つボタン留めのプルオーバー・スタイルで作られ、
男女共に着たのである。
「1930年代には、彼らがアロハシャツを発明するまでは、
我々は街では白いシャツを着ていた。」
初期のアロハシャツには、
ハワイアン・モチーフは現れていなかったのであり、
アロハシャツが発明された1935年まで極端にシンプルなデザインであった。
1930年代後半になってようやく、
アロハシャツにトロピカル・モチーフが採用されたのであり、
それらはカーテン地で作られたシャツであった
(著者注:1998年11月のスパーキー・ドゥーへのインタビュー
及び1999年2月のアルフレッド・シャヒーンへのインタビューより)。』
まず、
「1930年代には、彼らがアロハシャツを発明するまでは、
我々は街では白いシャツを着ていた。」
という発言は、著者の注にある、
スパーキー・ドゥーかアルフレッド・シャヒーンのどちらかの言葉でしょうが、
本文に記載がないためどちらであるか明確ではありません。
ただ、「白いシャツを着ていた」という部分は、筆者もほぼ同意します。
「1930年代前半のシャツに見られる支配的な生地は、コットンのブロードクロス」
という部分は、「1935年のアロハシャツ誕生以前のシャツ」と捉えるなら、
まあ、そうかもしれません(筆者はそこまで断言はできませんが)。
そして「1935年以降の(初期の)アロハシャツ」に関しては、
ここでは触れられていませんが、
それは、コットン製もあったでしょうが、
シルクや縮緬の着物の生地を使ったアロハシャツも
かなりの割合で作られたであろうと、筆者は考えています。
当時の現物を手に取れる機会は非常に少ないため、
写真で判断するしかないのが残念ですが、
1930年代中頃の、初期のアロハシャツの画像を以下に並べておきます。
ちなみに、上の記述にもあるように
「ループ付き3つボタン留めのプルオーバー・スタイル」(2つボタンもある)
というのが、この時代の特徴になります。
まず、1930年代後半の雑誌に載った、1930年代半ば頃のシャツ ↓ です。
次が、当時の人気子役シャーリー・テンプルがハワイに来たとき
(1935年頃?)に着ていたシャツ ↓ です。
そして、ビング・クロスビーがハワイに来たとき
(1935~36年頃?)に着ていたシャツ ↓ です
(シルクだと思いますが、コットンのようにも見えます)。
さらに、1939年の新聞に載った「全布哇對島ゴルフ大会 大会役員」が着ていたシャツ
(その何年か前に作られたシャツでしょう)↓ です。
現物は非常に少ないですが、
かつてヤフオクに出品されていたシャツの画像 ↓ がこちらです。
これも、シルク又は縮緬に見えます。
このように、シルク又は縮緬の着物地を使ったアロハシャツは
この当時、結構多かったのではないでしょうか?
さて、上の記述に関する考察に戻りますが、最後の
「1930年代後半になってようやく、
アロハシャツにトロピカル・モチーフが採用されたのであり、
それらはカーテン地で作られたシャツであった」
という部分に関しては、筆者は疑問を呈しておきたいと思います。
確かに、「トロピカル・モチーフが最初に採用された」のはカーテン地であり、
それは「1930年代後半」であるという部分は同意します
(それはエルシー・ダースが描いたとされています)が、
それと同じ時期の「1930年代後半」に、そのような「カーテン地をシャツにした」
という話は、聞いたことがありませんし、
またそのようなシャツは、実物でも新聞広告でも見たことがありません。
だから無かったとは、もちろん言いませんが、その可能性は低いと思います。
なぜなら、もしそのようなシャツが作られていたら、
新聞広告で「カーテン地をシャツにした」といった記述があっただろうと思うからです。
「トロピカル・モチーフが最初に採用された」アロハシャツは、
カーテン地ではなく、コットンのブロードクロスであったと、筆者は考えます
(日本ではなく米国本土でプリントされた生地でしょう)。
ちなみにハワイ大学の服飾コレクションに
「ウォングス・ドレイパリー・ショップ」のカーテン地のシャツがありました ↓ が、
(ハワイ大学の服飾コレクションより引用)
その説明に「1948年」と書かれています。
筆者も、カーテン地のシャツは戦前ではなく戦後(1940年代後半頃)のものだと
考えています。
(次回に続く)
『20世紀のアロハ服』という本の翻訳をお届けしています。
前回から、「1930年代~1945年の男性服」、
特に「アロハシャツ」について語られています。
『第4章「1930年代~1945年
男性服:アロハシャツ(2)
(続き)
これまで書いたところでより詳しく説明したように、
1930年代前半のシャツに見られる支配的な生地は、
コットンのブロードクロスであり、
白地に、普通は1色だけ、まれに異なる2色の、プリントが施されたものである。
そのようなシャツは、
ループ付き3つボタン留めのプルオーバー・スタイルで作られ、
男女共に着たのである。
「1930年代には、彼らがアロハシャツを発明するまでは、
我々は街では白いシャツを着ていた。」
初期のアロハシャツには、
ハワイアン・モチーフは現れていなかったのであり、
アロハシャツが発明された1935年まで極端にシンプルなデザインであった。
1930年代後半になってようやく、
アロハシャツにトロピカル・モチーフが採用されたのであり、
それらはカーテン地で作られたシャツであった
(著者注:1998年11月のスパーキー・ドゥーへのインタビュー
及び1999年2月のアルフレッド・シャヒーンへのインタビューより)。』
まず、
「1930年代には、彼らがアロハシャツを発明するまでは、
我々は街では白いシャツを着ていた。」
という発言は、著者の注にある、
スパーキー・ドゥーかアルフレッド・シャヒーンのどちらかの言葉でしょうが、
本文に記載がないためどちらであるか明確ではありません。
ただ、「白いシャツを着ていた」という部分は、筆者もほぼ同意します。
「1930年代前半のシャツに見られる支配的な生地は、コットンのブロードクロス」
という部分は、「1935年のアロハシャツ誕生以前のシャツ」と捉えるなら、
まあ、そうかもしれません(筆者はそこまで断言はできませんが)。
そして「1935年以降の(初期の)アロハシャツ」に関しては、
ここでは触れられていませんが、
それは、コットン製もあったでしょうが、
シルクや縮緬の着物の生地を使ったアロハシャツも
かなりの割合で作られたであろうと、筆者は考えています。
当時の現物を手に取れる機会は非常に少ないため、
写真で判断するしかないのが残念ですが、
1930年代中頃の、初期のアロハシャツの画像を以下に並べておきます。
ちなみに、上の記述にもあるように
「ループ付き3つボタン留めのプルオーバー・スタイル」(2つボタンもある)
というのが、この時代の特徴になります。
まず、1930年代後半の雑誌に載った、1930年代半ば頃のシャツ ↓ です。
次が、当時の人気子役シャーリー・テンプルがハワイに来たとき
(1935年頃?)に着ていたシャツ ↓ です。
そして、ビング・クロスビーがハワイに来たとき
(1935~36年頃?)に着ていたシャツ ↓ です
(シルクだと思いますが、コットンのようにも見えます)。
さらに、1939年の新聞に載った「全布哇對島ゴルフ大会 大会役員」が着ていたシャツ
(その何年か前に作られたシャツでしょう)↓ です。
現物は非常に少ないですが、
かつてヤフオクに出品されていたシャツの画像 ↓ がこちらです。
これも、シルク又は縮緬に見えます。
このように、シルク又は縮緬の着物地を使ったアロハシャツは
この当時、結構多かったのではないでしょうか?
さて、上の記述に関する考察に戻りますが、最後の
「1930年代後半になってようやく、
アロハシャツにトロピカル・モチーフが採用されたのであり、
それらはカーテン地で作られたシャツであった」
という部分に関しては、筆者は疑問を呈しておきたいと思います。
確かに、「トロピカル・モチーフが最初に採用された」のはカーテン地であり、
それは「1930年代後半」であるという部分は同意します
(それはエルシー・ダースが描いたとされています)が、
それと同じ時期の「1930年代後半」に、そのような「カーテン地をシャツにした」
という話は、聞いたことがありませんし、
またそのようなシャツは、実物でも新聞広告でも見たことがありません。
だから無かったとは、もちろん言いませんが、その可能性は低いと思います。
なぜなら、もしそのようなシャツが作られていたら、
新聞広告で「カーテン地をシャツにした」といった記述があっただろうと思うからです。
「トロピカル・モチーフが最初に採用された」アロハシャツは、
カーテン地ではなく、コットンのブロードクロスであったと、筆者は考えます
(日本ではなく米国本土でプリントされた生地でしょう)。
ちなみにハワイ大学の服飾コレクションに
「ウォングス・ドレイパリー・ショップ」のカーテン地のシャツがありました ↓ が、
(ハワイ大学の服飾コレクションより引用)
その説明に「1948年」と書かれています。
筆者も、カーテン地のシャツは戦前ではなく戦後(1940年代後半頃)のものだと
考えています。
(次回に続く)
リンダ・アーサー著『20世紀のアロハ服』その45 1930年代~1945年の男性服:アロハシャツ(1) [リンダ・アーサー著『20世紀のアロハ服』]
元ハワイ大学教授のリンダ・アーサー氏が書いた
『20世紀のアロハ服』という本の翻訳をお届けしています。
今回から話題が変わり、「1930年代~1945年の男性服」について語られています。
ずばり、アロハシャツの話題です。
『第4章「1930年代~1945年
男性服:アロハシャツ(1)
ハワイアン・シャツに関する他の本に記載されていることと
相容れないのだが、
アロハシャツが作られたのは、1920年代ではなく、1930年代でさえない。
ハワイアン・シャツの前身が1930年代半ばまでに発明された一方、
初期のハワイアンシャツであると世界中で見なされているもの、
すなわち、ハワイアン・モチーフが描かれた、
明るい色のレーヨン製プリントシャツは、
第二次世界大戦の後に創作されたシャツである。』
今回の記述は、短いですが、非常に重要なことが語られています。
言葉の使われ方がやや特殊で、「ハワイアン・シャツ」とか「アロハシャツ」と
いろいろな呼び方をしているので、少々わかりにくくなっています。
そこでリンダ・アーサー氏の意味するところを一度整理しておきたいと思います。
「ハワイアン・シャツの前身」・・・「1930年代半ばまでに発明された」
→ 「最初期の和柄のアロハシャツ」を指していると思われます
「初期のハワイアンシャツ(であると世界中で見なされているもの)」
=「ハワイアン・モチーフが描かれた、明るい色のレーヨン製プリントシャツ」
=「第二次世界大戦の後に創作されたシャツ」
→「レーヨン(特に抜染)のハワイ柄のアロハシャツ」を指していると思われます。
そのため「アロハシャツ(=レーヨン製のハワイ柄のシャツ)が作られたのは、
「1920年代ではなく、1930年代でさえない」
「第二次世界大戦の後」と述べているわけです。
ただし、この後の記述にも出てくるのですが、
ムサシヤ・ショウテンが広告を出し、エラリー・チャンが商標登録した
「『アロハ』シャツ」(狭義のアロハシャツ)というものが存在するため
話がややこしくなってきます。
それは、「最初期の、着物地の、和柄のシャツ」のことなのですが、
ここでは「ハワイアン・シャツの前身」と呼んで、
「アロハシャツ」(=レーヨン製のハワイ柄のシャツ)とは
異なるものと認識しているようです。
ややこしいですね。
おわかりいただけたでしょうか?
これに対して筆者は、違う言葉使いをしています。
まず、ハワイで作られたシャツは「ハワイアン・シャツ」とは呼ばず、
すべて「アロハシャツ」と呼んでいます。
そして、「最初期の、着物地の、和柄のシャツ」は
「最初期のアロハシャツ」とか「着物地のアロハシャツ」と呼び、
また「レーヨン製のハワイ柄のシャツ」は
「レーヨン製のハワイ柄のアロハシャツ」と呼んでいます
(ですから、これを「初期の」ハワイアン・シャツとは考えていません)。
また、これも以前に述べましたが、
「ハワイアン・モチーフが描かれた、明るい色のレーヨン製プリントシャツ」が
すべて「第二次世界大戦後」に作られたとは言い切れないと考えています
(1色のような簡単なレーヨンプリントなら戦前にも作られていた可能性があります)。
実際のところ、よくわからないのです。
(次回に続く)
『20世紀のアロハ服』という本の翻訳をお届けしています。
今回から話題が変わり、「1930年代~1945年の男性服」について語られています。
ずばり、アロハシャツの話題です。
『第4章「1930年代~1945年
男性服:アロハシャツ(1)
ハワイアン・シャツに関する他の本に記載されていることと
相容れないのだが、
アロハシャツが作られたのは、1920年代ではなく、1930年代でさえない。
ハワイアン・シャツの前身が1930年代半ばまでに発明された一方、
初期のハワイアンシャツであると世界中で見なされているもの、
すなわち、ハワイアン・モチーフが描かれた、
明るい色のレーヨン製プリントシャツは、
第二次世界大戦の後に創作されたシャツである。』
今回の記述は、短いですが、非常に重要なことが語られています。
言葉の使われ方がやや特殊で、「ハワイアン・シャツ」とか「アロハシャツ」と
いろいろな呼び方をしているので、少々わかりにくくなっています。
そこでリンダ・アーサー氏の意味するところを一度整理しておきたいと思います。
「ハワイアン・シャツの前身」・・・「1930年代半ばまでに発明された」
→ 「最初期の和柄のアロハシャツ」を指していると思われます
「初期のハワイアンシャツ(であると世界中で見なされているもの)」
=「ハワイアン・モチーフが描かれた、明るい色のレーヨン製プリントシャツ」
=「第二次世界大戦の後に創作されたシャツ」
→「レーヨン(特に抜染)のハワイ柄のアロハシャツ」を指していると思われます。
そのため「アロハシャツ(=レーヨン製のハワイ柄のシャツ)が作られたのは、
「1920年代ではなく、1930年代でさえない」
「第二次世界大戦の後」と述べているわけです。
ただし、この後の記述にも出てくるのですが、
ムサシヤ・ショウテンが広告を出し、エラリー・チャンが商標登録した
「『アロハ』シャツ」(狭義のアロハシャツ)というものが存在するため
話がややこしくなってきます。
それは、「最初期の、着物地の、和柄のシャツ」のことなのですが、
ここでは「ハワイアン・シャツの前身」と呼んで、
「アロハシャツ」(=レーヨン製のハワイ柄のシャツ)とは
異なるものと認識しているようです。
ややこしいですね。
おわかりいただけたでしょうか?
これに対して筆者は、違う言葉使いをしています。
まず、ハワイで作られたシャツは「ハワイアン・シャツ」とは呼ばず、
すべて「アロハシャツ」と呼んでいます。
そして、「最初期の、着物地の、和柄のシャツ」は
「最初期のアロハシャツ」とか「着物地のアロハシャツ」と呼び、
また「レーヨン製のハワイ柄のシャツ」は
「レーヨン製のハワイ柄のアロハシャツ」と呼んでいます
(ですから、これを「初期の」ハワイアン・シャツとは考えていません)。
また、これも以前に述べましたが、
「ハワイアン・モチーフが描かれた、明るい色のレーヨン製プリントシャツ」が
すべて「第二次世界大戦後」に作られたとは言い切れないと考えています
(1色のような簡単なレーヨンプリントなら戦前にも作られていた可能性があります)。
実際のところ、よくわからないのです。
(次回に続く)
ヤフオクで見かけたヴィンテージアロハシャツ(97)デューク・カハナモク [ヤフオクで見かけたヴィンテージアロハシャツ]
今回は週末なので、翻訳はお休みして、
週末恒例の「ヤフオクで見かけたヴィンテージアロハシャツ」をお届けします。
今回は「デューク・カハナモク」をご紹介します。
先日の翻訳(「1930年代~1945年の衣料品生産(7)」)で、
デューク・カハナモク・ブランドについて語られていました。
詳しくは、https://vintage-aloha-shirt.blog.ss-blog.jp/2021-04-20
をご覧ください。
「デューク・カハナモク」・ブランドと言えば、ヴィンテージアロハ界の
「横綱級ブランド」(?)と言ってもよいくらいの、
最強のブランド力を誇っています。
映画に登場する有名な柄が多く、
古着屋さんへ行っても、非常に高額で売られています。
ただし、人気が高いのは、第2期の、シスコ社の製品であり、
普通「デューク・カハナモク」と言ったら、このシスコ社のものを指します。
一方、第3期や第4期のものは(一部を除けば)それほど人気が高いとは言えません。
第3期や第4期にも良い柄はあるのですが・・・。
というわけで、(第1期はほとんど現存していないので)
第2期~第4期のカハナモクを探してみました。
たくさんあるので、今回は細かいコメントはせず、どんどんご紹介していきます。
まず第2期のシスコ社のものは、たくさん出品されています。
以前にご紹介したものも多いので、最近出てきたものを選んでみました。
https://page.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/u425192219
https://page.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/k537479024
https://page.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/j572953073
次に第3期のカハラ社のものですが、現在は意外に少ししか出品されていません。
見つけたのは2つです。
https://page.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/k394277600
https://page.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/r396539466
第3期で特に有名(で、よい柄)なのは「サックエムアップ」なのですが、
「カハラ」ネームしか見つかりませんでした。
柄は同じなので、「デューク・カハナモク」・ブランドだと思ってご覧ください。
https://page.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/f246659153
ちょうど今年、サンサーフから実名シリーズで発売されていますね。
https://store.toyo-enterprise.co.jp/shopdetail/000000000153/
しかし、シスコ社の織ネームを流用して付けています。
もちろんその方がマニア的にはうれしいのだろうなと理解はできますが、
筆者としては、本物に忠実にカハラ社の織ネームを付けてもらいたかったです。
そして第4期の、カリフォルニアのカタリナ社のものですが、
あまり人気がないのか、それほどたくさんは出ていませんでした。
https://page.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/n419938100
https://page.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/q443091052
https://page.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/d519610551
以上、今回はデューク・カハナモクを見てきました。
人気ブランドのため出品も多いようです。
またいいものが出てきたら随時ご紹介しますね。
お楽しみに。
(次回に続く)
週末恒例の「ヤフオクで見かけたヴィンテージアロハシャツ」をお届けします。
今回は「デューク・カハナモク」をご紹介します。
先日の翻訳(「1930年代~1945年の衣料品生産(7)」)で、
デューク・カハナモク・ブランドについて語られていました。
詳しくは、https://vintage-aloha-shirt.blog.ss-blog.jp/2021-04-20
をご覧ください。
「デューク・カハナモク」・ブランドと言えば、ヴィンテージアロハ界の
「横綱級ブランド」(?)と言ってもよいくらいの、
最強のブランド力を誇っています。
映画に登場する有名な柄が多く、
古着屋さんへ行っても、非常に高額で売られています。
ただし、人気が高いのは、第2期の、シスコ社の製品であり、
普通「デューク・カハナモク」と言ったら、このシスコ社のものを指します。
一方、第3期や第4期のものは(一部を除けば)それほど人気が高いとは言えません。
第3期や第4期にも良い柄はあるのですが・・・。
というわけで、(第1期はほとんど現存していないので)
第2期~第4期のカハナモクを探してみました。
たくさんあるので、今回は細かいコメントはせず、どんどんご紹介していきます。
まず第2期のシスコ社のものは、たくさん出品されています。
以前にご紹介したものも多いので、最近出てきたものを選んでみました。
https://page.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/u425192219
https://page.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/k537479024
https://page.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/j572953073
次に第3期のカハラ社のものですが、現在は意外に少ししか出品されていません。
見つけたのは2つです。
https://page.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/k394277600
https://page.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/r396539466
第3期で特に有名(で、よい柄)なのは「サックエムアップ」なのですが、
「カハラ」ネームしか見つかりませんでした。
柄は同じなので、「デューク・カハナモク」・ブランドだと思ってご覧ください。
https://page.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/f246659153
ちょうど今年、サンサーフから実名シリーズで発売されていますね。
https://store.toyo-enterprise.co.jp/shopdetail/000000000153/
しかし、シスコ社の織ネームを流用して付けています。
もちろんその方がマニア的にはうれしいのだろうなと理解はできますが、
筆者としては、本物に忠実にカハラ社の織ネームを付けてもらいたかったです。
そして第4期の、カリフォルニアのカタリナ社のものですが、
あまり人気がないのか、それほどたくさんは出ていませんでした。
https://page.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/n419938100
https://page.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/q443091052
https://page.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/d519610551
以上、今回はデューク・カハナモクを見てきました。
人気ブランドのため出品も多いようです。
またいいものが出てきたら随時ご紹介しますね。
お楽しみに。
(次回に続く)
リンダ・アーサー著『20世紀のアロハ服』その44 1930年代~1945年の女性服(3) [リンダ・アーサー著『20世紀のアロハ服』]
元ハワイ大学教授のリンダ・アーサー氏が書いた
『20世紀のアロハ服』という本の翻訳をお届けしています。
現在は、「1930年代~1945年の女性服」について語られています。
前回はホロクについてでしたが、
今回はムームーに話題が変わります。
『第4章「1930年代~1945年
女性服(3)
これ(訳注:ホロク)に対してムームーは、同じ1930年代にはまだ、
下着または家庭着であると考えられており、家でのみ着られていた。
そして一般的には、無地または小柄プリントの、
淡色のコットン生地で作られていた。
地元民は泳ぐ際に、水着よりもむしろムームーを着ていた。
ムームーが、みんなが着る服だと見なされるようになったのは、
ハワイ柄が発明されてからのことであり、
1940年代にハワイ柄がムームーに使われてからのことである。』
筆者はムームーの歴史についてはまったく疎く、
「ムームーは、1930年代にはまだ、
下着または家庭着であると考えられており、家でのみ着られていた。」
という事実は知りませんでした。
また、
「地元民は泳ぐ際に、水着よりもむしろムームーを着ていた。」
という話も意外でした。
ハワイ柄がムームーに採用されるようになってから
外着と認識されるようになったというのも
面白いですね。
(次回に続く)
『20世紀のアロハ服』という本の翻訳をお届けしています。
現在は、「1930年代~1945年の女性服」について語られています。
前回はホロクについてでしたが、
今回はムームーに話題が変わります。
『第4章「1930年代~1945年
女性服(3)
これ(訳注:ホロク)に対してムームーは、同じ1930年代にはまだ、
下着または家庭着であると考えられており、家でのみ着られていた。
そして一般的には、無地または小柄プリントの、
淡色のコットン生地で作られていた。
地元民は泳ぐ際に、水着よりもむしろムームーを着ていた。
ムームーが、みんなが着る服だと見なされるようになったのは、
ハワイ柄が発明されてからのことであり、
1940年代にハワイ柄がムームーに使われてからのことである。』
筆者はムームーの歴史についてはまったく疎く、
「ムームーは、1930年代にはまだ、
下着または家庭着であると考えられており、家でのみ着られていた。」
という事実は知りませんでした。
また、
「地元民は泳ぐ際に、水着よりもむしろムームーを着ていた。」
という話も意外でした。
ハワイ柄がムームーに採用されるようになってから
外着と認識されるようになったというのも
面白いですね。
(次回に続く)
タグ:ムームー ハワイの衣料品の歴史
リンダ・アーサー著『20世紀のアロハ服』その43 1930年代~1945年の女性服(2) [リンダ・アーサー著『20世紀のアロハ服』]
元ハワイ大学教授のリンダ・アーサー氏が書いた
『20世紀のアロハ服』という本の翻訳をお届けしています。
前回から、「1930年代~1945年の女性服」が話題になっています。
『第4章「1930年代~1945年
女性服(2)
伝統的な、ゆったりしたスタイルのホロクが、
歴史的一貫性と伝統を反映する形で存続し続けた一方で、
体にフィットしたホロクは西洋ファッションに高度に影響されたものであり、
若年女性が好むスタイルとなった。
バイアス・カットとジッパーが、
ぴったりしたフィットを生み出すために加えられた。
1937年にエルシー・クラッサスはホロクに目を向けてこの服を流線形にし、
ガーデン・パーティやホロク舞踏会で、自身がモデルになって着て見せた。
すると流行を追いかける人々は
この現代化されたホロクを急速に自分のものとして取り入れたのである。』
ホロクはもともとゆったりしたシルエットのドレスであり、
中高年層はそのような伝統を踏襲してゆったりしたホロクを好んだけれど、
1930年代の若年層は、体にフィットするようなホロクを着るようになった、
ということが書かれています。
若い女性が、体にフィットして、よりセクシーに見える服を好み、
中高年の女性が、体のラインが目立たないゆったりした服を好むのは、
現代も同じですね。
ハワイでは、1930年代頃から、
服に対する保守的な意識が変化してきたということでしょうか?
(次回に続く)
『20世紀のアロハ服』という本の翻訳をお届けしています。
前回から、「1930年代~1945年の女性服」が話題になっています。
『第4章「1930年代~1945年
女性服(2)
伝統的な、ゆったりしたスタイルのホロクが、
歴史的一貫性と伝統を反映する形で存続し続けた一方で、
体にフィットしたホロクは西洋ファッションに高度に影響されたものであり、
若年女性が好むスタイルとなった。
バイアス・カットとジッパーが、
ぴったりしたフィットを生み出すために加えられた。
1937年にエルシー・クラッサスはホロクに目を向けてこの服を流線形にし、
ガーデン・パーティやホロク舞踏会で、自身がモデルになって着て見せた。
すると流行を追いかける人々は
この現代化されたホロクを急速に自分のものとして取り入れたのである。』
ホロクはもともとゆったりしたシルエットのドレスであり、
中高年層はそのような伝統を踏襲してゆったりしたホロクを好んだけれど、
1930年代の若年層は、体にフィットするようなホロクを着るようになった、
ということが書かれています。
若い女性が、体にフィットして、よりセクシーに見える服を好み、
中高年の女性が、体のラインが目立たないゆったりした服を好むのは、
現代も同じですね。
ハワイでは、1930年代頃から、
服に対する保守的な意識が変化してきたということでしょうか?
(次回に続く)
リンダ・アーサー著『20世紀のアロハ服』その42 1930年代~1945年の女性服(1) [リンダ・アーサー著『20世紀のアロハ服』]
元ハワイ大学教授のリンダ・アーサー氏が書いた
『20世紀のアロハ服』という本の翻訳をお届けしています。
今回から新しく、「1930年代~1945年の女性服」に関する部分へと進みます。
『第4章「1930年代~1945年
女性服(1)
幅広い民族服からの影響をアレンジしたような、
いくつもの独特なシルエットが、
1930年代のハワイの女性服のデザインを活気づけた。
米国から輸入された服が増えてはいたが、
それでもほとんどの女性服は、家庭で作られるか、
あるいはマーゴズのようなオーダーメイド・ドレスの店で作られた。
ハワイのデザインは、アジアと西洋のデザイン要素に影響を受けていた。
1930年代以前のパラカ・シャツと同様、
ラウハラ帽は機能性を重んじる労働服からハイファッションへと価値転換した。
これは、ハワイ初のデザイナーの1人である
エルシー・クラッサスの影響を受けたためである。
彼女は1933年に、
女性が被るラウハラ帽(パパレ)をデザインすることで
キャリアをスタートさせた。
もともとラウハラ帽は、機能性の観点から、
男女を問わず被られていたもので、
高いクラウン(訳注:頭に被る部分)と、
平ら、あるいはロールした縁を備えていた。
そんなラウハラ帽をクラッサスは、
女性のおしゃれなドレスに合わせて被れるようにデザインし、
カパ(訳注:樹皮をたたいて伸ばしたもの)や、木製のバラや、貝や、
その他ハワイの自然由来のものを使って縁飾りを付けたのである。』
「マーゴズ」というのは、アルフレッド・シャヒーンの母親が営んでいた
オーダーメイド・ドレスの店です。
こちら ↓ は戦後の1949年の広告ですが、
シャヒーンズ(アルフレッド・シャヒーンの父親が営んでいた店)と一緒の広告です。
(筆者コレクションより)
一方エルシー・クラッサスは、上の記述ではデザイナーと書かれていますが、
自らがデザインした服を、自らの名前を冠した店で売る、
オーナー・デザイナーのような存在でした。
こちら ↓ のブログに、ラウハラ帽の話が出ていました。
https://deltalandscape.blogspot.com/2016/06/pandanus.html
こちら ↓ のラウハラ帽が、1935年のエルシー・クラッサスのものではないか?
とのことです。
「乾燥させた海藻で装飾された帽子」という説明があります。
またこちら ↓ は、ラウハラやカパを使った、1935年頃の帽子だそうです。
ちなみに、こんな風にして地元の女性たちがラウハラ帽を編んでいたようです
(これも1935年頃)。
(次回に続く)
『20世紀のアロハ服』という本の翻訳をお届けしています。
今回から新しく、「1930年代~1945年の女性服」に関する部分へと進みます。
『第4章「1930年代~1945年
女性服(1)
幅広い民族服からの影響をアレンジしたような、
いくつもの独特なシルエットが、
1930年代のハワイの女性服のデザインを活気づけた。
米国から輸入された服が増えてはいたが、
それでもほとんどの女性服は、家庭で作られるか、
あるいはマーゴズのようなオーダーメイド・ドレスの店で作られた。
ハワイのデザインは、アジアと西洋のデザイン要素に影響を受けていた。
1930年代以前のパラカ・シャツと同様、
ラウハラ帽は機能性を重んじる労働服からハイファッションへと価値転換した。
これは、ハワイ初のデザイナーの1人である
エルシー・クラッサスの影響を受けたためである。
彼女は1933年に、
女性が被るラウハラ帽(パパレ)をデザインすることで
キャリアをスタートさせた。
もともとラウハラ帽は、機能性の観点から、
男女を問わず被られていたもので、
高いクラウン(訳注:頭に被る部分)と、
平ら、あるいはロールした縁を備えていた。
そんなラウハラ帽をクラッサスは、
女性のおしゃれなドレスに合わせて被れるようにデザインし、
カパ(訳注:樹皮をたたいて伸ばしたもの)や、木製のバラや、貝や、
その他ハワイの自然由来のものを使って縁飾りを付けたのである。』
「マーゴズ」というのは、アルフレッド・シャヒーンの母親が営んでいた
オーダーメイド・ドレスの店です。
こちら ↓ は戦後の1949年の広告ですが、
シャヒーンズ(アルフレッド・シャヒーンの父親が営んでいた店)と一緒の広告です。
(筆者コレクションより)
一方エルシー・クラッサスは、上の記述ではデザイナーと書かれていますが、
自らがデザインした服を、自らの名前を冠した店で売る、
オーナー・デザイナーのような存在でした。
こちら ↓ のブログに、ラウハラ帽の話が出ていました。
https://deltalandscape.blogspot.com/2016/06/pandanus.html
こちら ↓ のラウハラ帽が、1935年のエルシー・クラッサスのものではないか?
とのことです。
「乾燥させた海藻で装飾された帽子」という説明があります。
またこちら ↓ は、ラウハラやカパを使った、1935年頃の帽子だそうです。
ちなみに、こんな風にして地元の女性たちがラウハラ帽を編んでいたようです
(これも1935年頃)。
(次回に続く)
リンダ・アーサー著『20世紀のアロハ服』その41 1930年代~1945年の衣料品生産(8) [リンダ・アーサー著『20世紀のアロハ服』]
元ハワイ大学教授のリンダ・アーサー氏が書いた
『20世紀のアロハ服』という本の翻訳をお届けしています。
現在は、「1930年代~1945年の衣料品生産」に関する部分で、
今回はやや短いですが、
第3のブランド「ロイヤル・ハワイアン」について述べられています。
『第4章「1930年代~1945年
衣料品生産(8)
観光業は成長し続け、観光客ならではの独特な需要が
ロイヤル・ハワイアン・マニュファクチャリング社
(1937年にマックス・ルイスが創設)を発展させることとなった。
マックス・ルイスは、観光客に販売するための服や、
レーベルの付いたものとしては最初期のいくつかのハワイアン・シャツ
(それはロイヤル・ハワイアン・マニュファクチャリング社が発明したものである)を
生産することに特化した。
なお同社は1955年にワットムルスに買収された。』
ハワイ大学の衣装コレクションには、こちら ↓
(ハワイ大学の衣装コレクションより引用)
の画像がアップされていました。
このアロハシャツは、「レーベルなし」との記載ですが、
おそらくこれはロイヤル・ハワイアンのもので、上の文章で言及されている、
ロイヤル・ハワイアンが発明した「最初期のハワイアン・シャツ」の1つだと思われます。
「ハワイのイベントを告知したポスター」の柄だそうですが、
確かに、「発明した」と言っていいほどオリジナルな柄ですね。
(次回に続く)
『20世紀のアロハ服』という本の翻訳をお届けしています。
現在は、「1930年代~1945年の衣料品生産」に関する部分で、
今回はやや短いですが、
第3のブランド「ロイヤル・ハワイアン」について述べられています。
『第4章「1930年代~1945年
衣料品生産(8)
観光業は成長し続け、観光客ならではの独特な需要が
ロイヤル・ハワイアン・マニュファクチャリング社
(1937年にマックス・ルイスが創設)を発展させることとなった。
マックス・ルイスは、観光客に販売するための服や、
レーベルの付いたものとしては最初期のいくつかのハワイアン・シャツ
(それはロイヤル・ハワイアン・マニュファクチャリング社が発明したものである)を
生産することに特化した。
なお同社は1955年にワットムルスに買収された。』
ハワイ大学の衣装コレクションには、こちら ↓
(ハワイ大学の衣装コレクションより引用)
の画像がアップされていました。
このアロハシャツは、「レーベルなし」との記載ですが、
おそらくこれはロイヤル・ハワイアンのもので、上の文章で言及されている、
ロイヤル・ハワイアンが発明した「最初期のハワイアン・シャツ」の1つだと思われます。
「ハワイのイベントを告知したポスター」の柄だそうですが、
確かに、「発明した」と言っていいほどオリジナルな柄ですね。
(次回に続く)