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リンダ・アーサー著『20世紀のアロハ服』その97 1950年代後半の布地(3) [リンダ・アーサー著『20世紀のアロハ服』]

元ハワイ大学教授のリンダ・アーサー氏が書いた
『20世紀のアロハ服』という本の翻訳をお届けしています。

現在は「1950年代後半の布地」が話題になっています。



『第6章「1950年代後半
     :ハイファッションの時代

  布地(3)

 シャヒーンは、自分の頭の中にあるデザインを、
主任テキスタイル・デザイナーのボブ・サトウが
どのように形にしたのかを説明している時、
ボブ・サトウは「私の手のよう」だったと言った。

「ボブと私、そして普通は彼のほかに4人のテキスタイル・デザイナー、
それに、服をデザインするリチャード・グッドウィンが一緒に作業しました。

また、(ハワイ調の服向けの、シャヒーンのレーベルである)
サーフン・サンドの服を創作するために
メタリック染料を使ってプリントしました。」 

シャヒーンの(テキスタイル・)デザインは
他の多くの(テキスタイル・)デザイナーや生地メーカーにコピーされた。

彼は、リバティ・ハウスやマキナニーやシアーズ
(それらは当時、高所得層向けの店だと考えられていた)などの
特定の小売店向けに、その店だけのプリント生地を創作した。』




以前にもご紹介しましたが、左側の人物 ↓ がボブ・サトウです。

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(アルフレッド・シャヒーンのHPより引用)


またメタリック染料の話が出てきますが、
1950年代半ばに、金や銀のメタリックなプリントをハワイで初めて行ったのが
シャヒーンだと言われています

これ ↓ ですね。

DSCN8867.JPG

(筆者コレクションより)


筆者も、新聞広告をいろいろ調べましたが、
年代順に見て、シャヒーンが確かに早い時期から使っていたと、筆者も思います。




(次回に続く)

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リンダ・アーサー著『20世紀のアロハ服』その96 1950年代後半の布地(2) [リンダ・アーサー著『20世紀のアロハ服』]

元ハワイ大学教授のリンダ・アーサー氏が書いた
『20世紀のアロハ服』という本の翻訳をお届けしています。

現在は「1950年代後半の布地」について語られています。



『第6章「1950年代後半
     :ハイファッションの時代

  布地(2)

 「私は無地で白の布地を買い、プリントの準備をしました。

  ウチ仕様で織ってもらったので、
  一度に10万ヤード(訳注:約9万1440メートル)を注文しました。

  そのため棚卸表に記載されていたのは無地の布地です。

  必要になるまでプリントしませんでした。

  棚卸表で行き詰まることは決してありませんでした。

  そういうことは、1万ヤード(訳注:約9144メートル)買うとき、
  いや、3千ヤード(訳注:約2743メートル)しか買わなくても、
  起こることなのです。

  60ヤード(訳注:約54.8メートル)の捺染台が16台あって、
  1日に4回転していました。

  8時間勤務で4千ヤード(訳注:約3658メートル)近くです。」』



元の文章には、誰の言葉であるかの記述はありませんが、
前後関係から、アーサー氏がインタビューした
アルフレッド・シャヒーンの、実際の言葉であると考えられます。


ちなみにアルフレッド・シャヒーンのHPに、
ここで話題になっている捺染台の写真がありましたので、
ご紹介しておきます。
1台の長さが約55mというのはかなり長い捺染台だと思われます。

シャヒーン工場3.jpg

シャヒーン工場4.jpg

ちなみに上に吊り上げられた、プリント後の生地の柄は、
前回ご紹介した、茶碗と箸の柄ですね。

シャヒーンズ.jpg

(筆者コレクションより)


手捺染の様子も、こちら ↓ の写真からよくわかります。

シャヒーン工場2.gif


また、このプリント工場でファッション写真を撮影していた ↓ ようです。

シャヒーン工場1.jpg

(アルフレッド・シャヒーンのHPより引用)


シャヒーンは、ハワイでプリントしていた、ほぼ唯一の会社であり、
その写真が残っているのは非常に貴重だと思います。



(次回に続く)

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リンダ・アーサー著『20世紀のアロハ服』その95 1950年代後半の布地(1) [リンダ・アーサー著『20世紀のアロハ服』]

元ハワイ大学教授のリンダ・アーサー氏が書いた
『20世紀のアロハ服』という本の翻訳をお届けしています。

今回から話題が変わり、「1950年代後半の布地」について語られます。



『第6章「1950年代後半
     :ハイファッションの時代

  布地(1)

 シャヒーンはこの時期(訳注:1950年代後半)、
ハワイで最も革新的な布地を創作し、
ハワイと本土の両方の衣料品産業に大きな衝撃をもたらした。

彼は自社用の布地を作るだけでなく、
他の衣料品メーカー向けの布地も作り、
さらにはホームソーイングする人向けの反物も作ったのである。』




シャヒーンは「ハワイで最も革新的な布地を創作」したと述べられています。
革新的な(innnovative)という言葉が意味するところは正確にはわかりませんが、
「独創的なデザインの」という意味であるとするなら、筆者も同意します。

とにかく、他のブランドが作りそうもない、ヘンな柄が多かったからです。
例えば、こちら ↓ などは、
もはやアロハシャツとは呼べないような柄ではないでしょうか?

シャヒーンズ.jpg

(筆者コレクションより)

そのような、ハワイっぽくない独創的な柄のことを、アーサー氏は、
(この章の副題にあるように)「ハイファッション」的だと評しているようです。
こんな柄のワンピースドレスを着てパーティに出席している女性が、
当時は、ハイファッションでおしゃれだと思われたのかもしれませんね。
想像すると、かなり強烈ですが・・・。



(次回に続く)

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ヤフオクで見かけたヴィンテージアロハシャツ(110)ペニーズ メイド・イン・ジャパン [ヤフオクで見かけたヴィンテージアロハシャツ]

今回も「ヤフオクで見かけたヴィンテージアロハシャツ」をお届けします。

前回のブログで、ペニーズのヴィンテージ・アロハについて軽く触れたため、
「そうだ、ペニーズ!」と思って探してみたところ、
(以前にもこのテーマで一度取り上げていますが)
新しいものがいろいろと出てきていたので、今回は急遽、
「ペニーズ メイド・イン・ジャパン」をご紹介することにしました。

まず最初はこちらになります。

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https://page.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/g507943683

富士山と藁ぶき屋根の家、橋とあやめが描かれています。
ペニーズに日本の風景の柄はかなりありますが、
筆者はこの柄、初めて見ました。かなり珍しいと思います。


もう1つ日本の風景の柄をご紹介します(以前取り上げたかも)。

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https://page.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/x782130462

帆掛け船と木橋の柄です。海の青さがきれいですね。


さらにもう1つ(これも以前取り上げたかも)。

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https://page.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/r429944822

断崖の峡谷と木造船と紅葉する林が描かれています。


日本の風景の柄はこのくらいにして、ハワイの風景の柄をご紹介しましょう。

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https://page.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/g451592086

この柄も珍しいと思います。初めて見ました。
2層構造になっていて、
遠景にダイヤモンドヘッドなどの風景を黄色系の同系色で描き、
近景にアンスリウムやシダの葉を赤や青の色でくっきり描くことで、
植物を浮き上がらせています。


ハワイの風景柄をもう1つ。

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https://page.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/308490873

山と海とヤシという、シンプルな風景柄です。


続いてもう1つ。

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https://page.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/f517422874

荒波とダイヤモンドヘッドとヤシとプルメリアです。
これは完全にパリハワイアンの世界ですね。
プリントしたのは、パリハワイアンと同じアロハ貿易ではないでしょうか?


荒波と言えば、ペニーズには荒波が背景になっている柄が非常に多いです。
例えばこちら。

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https://page.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/e524958736

赤や青や緑のアゲハチョウが、動き出しそうな様子で飛んでいます。
完全に日本画の技法で描かれていますね。
それもそのはず、京都の絵師、細見豊さんが描いたと判明している柄です
(筆者は以前、細見さんを取材したことがあるのですが、
 この柄の生地スワッチを、作品集として保管されていました)。

実はこの柄、レーヨン縮緬でも作られていました。

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(筆者コレクションより)

ブランドは「ロイヤルハワイアン」です。
海の色が、レーヨンのペニーズ(濃いブルー)よりも淡くなっています。


再びヤフオクに戻りましょう。
こちらの柄も、遠景と近景を対比したタイプです。

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https://page.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/s502216669

ハイビスカスを近景にした柄はペニーズには多いです。
最もハワイらしい花だったからでしょうか?


さらにこちらも「遠景と近景」です。

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https://page.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/u447976152

この柄も珍しいと思います。筆者は初見です。


ペニーズは本当にバリエーションが多く、無限にありますね。
新しい柄を探して、また今度ご紹介しましょう。

今回はこの辺で。



(次回に続く)

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ヤフオクで見かけたヴィンテージアロハシャツ(109)新出品のヴィンテージアロハシャツ [ヤフオクで見かけたヴィンテージアロハシャツ]

翻訳部分のキリがちょうどいいのと、週末なので、
週末恒例の「ヤフオクで見かけたヴィンテージアロハシャツ」を、
今回と次回の2回にわたってお届けします。

特にテーマは設けず、「最近新たに出品されたもの」を探してみました。

まず最初はこちらです。
「デューク・カハナモク」の新出品物がありましたのでご紹介します。

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https://page.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/x791013272

『20世紀のアロハ服』の翻訳の「その87」に、
「地色は普通、濃茶、赤、または紺であり、
 柄の色は白だけということが多いが、
 時には白と第3の色ということもある」
という記述が出てきましたが、
「地色は濃緑で、柄の色は白だけ」という、この葉っぱ柄は、
その記述通りの柄になります。
しかも「正方形の織ネーム」は初期のものとされていますので、
1950年か51年くらいの製品だと推測されます。

アロハシャツっぽくはない(ハワイ的な柄ではない)ですが、
シンプルで合わせやすそうな柄です。


続いてはこちら。

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https://page.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/j714253707

クラック模様の地に、大小のヤシの木をちりばめた、味のある柄です。
専門書などには掲載されていないと思われる、珍しい柄ではないでしょうか?
ブランドは「ハーパー」になります。


そして次は、レーヨン縮緬のタイプをいくつかご紹介しましょう。
最初はこちら。

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https://page.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/w472871191

カモと水草の柄になります。
カモの柄は、日本製のペニーズあたりにあったと思いますが、
縮緬のタイプは珍しいのではないでしょうか?
筆者はこの柄、初めて見ました。
ちなみにブランドは「ホオカノ」になります。


次も和柄です。

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https://page.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/o471870440

吊り灯篭や御所車が描かれた柄です。
これも珍しい柄だと思います。
ブランドは「シルバー・オブ・ハワイ」で、日本製になります。



今回は、専門書などでもあまり見かけない、比較的珍しい柄をご紹介しました。
珍しい柄を古着屋さんなどで見つけたとき、うれしいですよね?
(たとえ高くて買えないとしても、見るだけでも楽しいですよね?)
ヴィンテージ・アロハシャツって、見たことのない柄がどんどん出てくるので、
ホント、楽しみが尽きません。



(次回に続く)

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リンダ・アーサー著『20世紀のアロハ服』その94 1950年代後半の文化的背景(5) [リンダ・アーサー著『20世紀のアロハ服』]

元ハワイ大学教授のリンダ・アーサー氏が書いた
『20世紀のアロハ服』という本の翻訳をお届けしています。

現在は「1950年代後半の文化的背景」について述べられています。



『第6章「1950年代後半
     :ハイファッションの時代

  文化的背景(5)

(続)
競合、特に西海岸からの競合が問題となり、
ハワイの衣料品メーカーはアロハ服の中に
「メイド・イン・ハワイ」のレーベルを付け始めた。

このキャンペーンは成功し、アロハ服の販売はもう一度上向いた。

最も成功したメーカー、特にシャヒーンとトリ・リチャードは、
会社の利益のためにアロハ服に依存することはなかった。

彼らは、本土向けの衣料品だけでなくヨーロッパ向けの衣料品も
デザインし生産することによって、
よりグローバルなアプローチをとったのである。』



「メイド・イン・ハワイ」のレーベルを付けるようになったのは、
1950年代に入ってからのことであろうと思います。

上の記述に出てくるシャヒーン(シャヒーンズ・オブ・ホノルル)には
2種類の織ネームがあるのですが、
それは、「メイド・イン・ハワイ」の記載がないものと、あるものという
2種類なのです(正確には、表面には「ない」ですが「裏面」に記載があります)。

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(筆者コレクションより)

こちらは、レーヨン抜染のアロハシャツに付けられた、
1940年代後半頃の織ネームです。
表面には「メイド・イン・ハワイ」の記載がありません。


DSCN6758.JPG

(筆者コレクションより)

一方、こちらは、コットンのアロハシャツに付けられた、
1950年代半ば頃の織ネームです。
「メイド・イン・ハワイ」の記載が目立つ位置にありますね。


ここには、「アロハシャツの本場」で作られた
「本物」であるというメッセージが込められているのです。

当時の人は、西海岸(カリフォルニア)製よりもハワイ製のアロハシャツに
より高い魅力を感じていたようなのです。


例えば、こちら ↓ が、カリフォルニア製の一例になります。

DSCN8123.JPG

(筆者コレクションより)


現在の我々にはちょっと想像するのが難しいですが、
「メイド・イン・ハワイ」という言葉には、
異国情緒の雰囲気が漂っていたのでしょうね。



「1950年代後半の文化的背景」についての記述は今回で終わり、
次回からは「1950年代後半の布地」がテーマになります。
お楽しみに。



(次回に続く)
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リンダ・アーサー著『20世紀のアロハ服』その93 1950年代後半の文化的背景(4) [リンダ・アーサー著『20世紀のアロハ服』]

元ハワイ大学教授のリンダ・アーサー氏が書いた
『20世紀のアロハ服』という本の翻訳をお届けしています。

現在は「1950年代後半の文化的背景」について述べられています。



『第6章「1950年代後半
     :ハイファッションの時代

  文化的背景(4)

(続)
本土の大学でムームーが流行したことで、
ハワイアン・ポリネシアン・スタイルの衣料品は集中的に生産され続けた。

「アロハ服は1950年代に有力な地位を築きました。」と
アルフレッド・シャヒーンは言った。

「ムームー、ホロム、アロハシャツが服装とイコールになったのが
まさに1950年代なのです。」(続)』




(次回に続く)

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リンダ・アーサー著『20世紀のアロハ服』その92 1950年代後半の文化的背景(3) [リンダ・アーサー著『20世紀のアロハ服』]

元ハワイ大学教授のリンダ・アーサー氏が書いた
『20世紀のアロハ服』という本の翻訳をお届けしています。

現在は「1950年代後半の文化的背景」について述べられています。



『第6章「1950年代後半
     :ハイファッションの時代

  文化的背景(3)

 ハワイの異国情緒は米国民の想像力を掻き立てた。

ハワイを舞台にした大ヒット映画作品が少なくとも年に1本あり、
その効果には計り知れないものがあった。

ハワイは、合衆国議会での数年にわたる売り込み活動ののち、
1959年8月21日に州となった。

マスメディアが絶えず注目した結果、1959年の前年と翌年は、
ハワイが全国的に注目された期間となった。(続)』




(次回に続く)

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リンダ・アーサー著『20世紀のアロハ服』その91 1950年代後半の文化的背景(2) [リンダ・アーサー著『20世紀のアロハ服』]

元ハワイ大学教授のリンダ・アーサー氏が書いた
『20世紀のアロハ服』という本の翻訳をお届けしています。

前回から章が新しくなり「1950年代後半の文化的背景」が論じられています。



『第6章「1950年代後半
     :ハイファッションの時代

  文化的背景(2)

(続)
「当時のファッションビジネスのほとんどは富裕層相手の取引でした。
 ロイヤル・ハワイアン・ホテルに泊まる冬の旅行者はいましたが、
 観光業がまだ通年の産業ではない時代でしたし、
 ホテルもほんの2、3軒しかありませんでした。」
 (著者注:1999年2月のアルフレッド・シャヒーンへのインタビューより引用) 

ハワイは、富裕層の長期休暇の目的地としては依然として魅力を備えていた。

サーフライダー・ホテルが1951年に開業し、
続いてプリンセス・カイウラニ・ホテル、(ワイキキ)ビルトモア・ホテル、
ハワイアン・ヴィレッジ・ホテルが1955年に開業したとき、
観光業はおおむね伸びていた。』




サーフライダー・ホテルは、モアナ・ホテルのダイヤモンドヘッド側に
建てられたホテルで、現在はモアナ・サーフライダー・ホテルの
ダイヤモンドヘッド・ウイングとなっている部分です。

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s-l1600 A.jpg

(イーベイ出品の絵葉書を引用)



(次回に続く)

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リンダ・アーサー著『20世紀のアロハ服』その90 1950年代後半の文化的背景(1) [リンダ・アーサー著『20世紀のアロハ服』]

元ハワイ大学教授のリンダ・アーサー氏が書いた
『20世紀のアロハ服』という本の翻訳をお届けしています。

今回から章が変わり、「1950年代後半の文化的背景」が論じられることになります。



『第6章「1950年代後半
     :ハイファッションの時代

  文化的背景(1)

 ハワイの1950年代は、西洋化への絶え間ない圧力を反映した時代であった。

米国の準州としての半世紀が過ぎた後、
1959年に州となることで1950年代の10年を終えた。

この間、ワシントンで州昇格が議論されるにつれて
ハワイに関する興味が全米レベルで増し、
そのおかげで衣料品製造産業は販売額を3倍近くまで伸ばした。

全国的なメーカーやハワイのメーカーが販売促進に力を入れたため、
また、郊外での暮らしが良くなったことも相まって、
カジュアルウェアの販売が伸びた。
そして成長していた観光業も今まさに飛躍的に伸びようとしていた。(続)』




(次回に続く)

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