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ハワイの新聞記事から その329 1956年 7つの会社、新しいアパレル・センターで増産へ(1) [ハワイの新聞記事から]

筆者が収集した、
アロハシャツに関する
ハワイの新聞記事の中から
面白そうなものを
ランダムに選び、
翻訳してご紹介しています。

前回まで、「アパレル・
センター・ビル」を紹介する、
1956年の記事を
ご紹介しましたが、
今回からは、同じ建物を
別の角度から紹介する
新聞記事を翻訳していきます。

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『7つの会社、
新しいアパレル・センターで
増産へ(1)
文/ナンシー・ハーロッカー

 華やかなりし20年代は、
ハワイの衣料品メーカーに
とっては華やかではなかった。

というのも、
衣料品産業が
ハワイに持ち込まれたのが
1920年頃だからである。

そして3つの独立した会社が、
100人以下の従業員を抱えて
衣料品ビジネスに参入した。

アロハシャツの生産は
1936年頃になって
ようやく始まったのであるが、
衣料品製造を1つの産業と
本当の意味で呼べるように
なったのは、さらにあとの
1948年のことである。』

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アパレル・センター 当時.jpg

当時のアパレル・センター

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ハワイで、ある程度の規模で、
つまり工場のようなところで
衣料品が作られるように
なったのは、1920年代前半の
ことです。しかも
そこで作られたのは、
プランテーション等で着る
ワークウェアが中心でした。

アロハシャツが、工場で
作られるようになったのも、
カハラやカメハメハが創業した
1936年以降のことです。

そしてその2社に
ロイヤルハワイアンを加えた
3社が衣料品を作る時代が
しばらく続きます。

ようやく戦後になって
いくつかのメーカーが誕生し、
「産業」と呼べるような
規模になった、
それが1948年である、というのが
上の記事の趣旨なのです。

裏を返せば、現在目にする
ハワイ製のヴィンテージ・
アロハシャツのほとんどは、
1948年以降に作られた
ものである、とも
言えるでしょう。



(次回に続く)

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