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ハワイの新聞記事から その317 1956年 ラウハラ~ラウハラは本土風にデザインする(6) [ハワイの新聞記事から]

筆者が収集した、
アロハシャツに関する
ハワイの新聞記事の中から
面白そうなものを
ランダムに選び、
翻訳してご紹介しています。

現在は、
1956年のホノルル・
アドヴァタイザー紙掲載の、
ハワイの衣料品産業に関する
シリーズ記事の第11回、
ラウハラ・スポーツウェアを
翻訳中です。

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Lauhala 5.jpg

(1950年代前半頃の織ネーム
~筆者コレクションより)

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『シリーズ ハワイの
ファッション産業(11)
~ラウハラ・スポーツウェア
ラウハラは本土風に
デザインする(6)

 チン夫妻は、
ニューモデル用の素材を
選ぶ段になると、
最近ますますコットン生地に
傾倒している。

チン氏によれば、
コットン生地はレーヨン生地より
少しだけ高価かもしれないが、
コットン地こそが
一般消費者が求めるもの
なのだそうである。

 チン夫妻は、
自社の、シャーリングを付けた
水着に自信を持っており、
その水着は、
彼らが主張するには、
フィット感が並外れて
良いのだという。

また男性用の水泳ショーツは
リバーシブルで作られている。

ラウハラ社はまた、
裏地が対照的な
無地色になっている
二重のひだ飾りが付いた、
見栄えの良いホロムーも
作っている。』

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なかなか興味深いことが
書かれています。
チン氏が語るところによれば
「コットン生地は
レーヨン生地より
少しだけ高価かもしれないが、
コットン地こそが
一般消費者が求めるもの」
なのだそうです。

レーヨンよりコットンが
少しとはいえ
高価だったというのは
意外です。

1956年と言えば、
日本製のペニーズなどに
見られるような、
やや安価なレーヨンの
プリント生地が
主に日本で
作られていたと思います。

そのような生地よりも
コットンのプリント生地
(こちらもおそらく日本製)
の方が高価で人気もあった
としたら、
ここで言うコットン生地は
もしかしたら
「コットンサテン」あたりを
指しているのかもしれません。
コットンサテンは
1950年代後半から人気となる
生地だからです。


この記事は今回で終わりです。
次回からはまた別の記事を
ご紹介します。
お楽しみに。



(次回に続く)

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ハワイの新聞記事から その316 1956年 ラウハラ~ラウハラは本土風にデザインする(5) [ハワイの新聞記事から]

筆者が収集した、
アロハシャツに関する
ハワイの新聞記事の中から
面白そうなものを
ランダムに選び、
翻訳してご紹介しています。

現在は、
1956年のホノルル・
アドヴァタイザー紙掲載の、
ハワイの衣料品産業に関する
シリーズ記事の第11回、
ラウハラ・スポーツウェアを
翻訳中です。

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Lauhala 5.jpg

(1950年代前半頃の織ネーム
~筆者コレクションより)

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『シリーズ ハワイの
ファッション産業(11)
~ラウハラ・スポーツウェア
ラウハラは本土風に
デザインする(5)

 同社の、厳密な意味での
ハワイアン・プリントや
ハワイアン・スタイルの
ラインには、
優美な長い袖が付いた、
明るい色の花柄のシルクの、
本物の日本のキモノや、
ずっとハワイの人々の
お気に入りの1つであった
ようなものも含まれている。

 こうしたデザインの服を、
同社は主にワイキキの
複数の店に卸している。』

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少々わかりにくい文章ですが、
ラウハラでは、
キモノ風のガウンなどではなく、
「本物の日本のキモノ」
そのものも卸していた、
ということのようです。

しかも「明るい色の花柄」
ということで、
厳密にはキモノの柄であっても
「ハワイ柄」として
売っていたようです。

また上の記事の最後の部分には
「主にワイキキの
複数の店に卸している」と
書かれていますね。
観光客向けの土産物店などで
売られていたのでしょう。
ワイキキには、
中国系の経営者の店は
多かったでしょうから。



(次回に続く)

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ハワイの新聞記事から その315 1956年 ラウハラ~ラウハラは本土風にデザインする(4) [ハワイの新聞記事から]

筆者が収集した、
アロハシャツに関する
ハワイの新聞記事の中から
面白そうなものを
ランダムに選び、
翻訳してご紹介しています。

現在は、
1956年のホノルル・
アドヴァタイザー紙掲載の、
ハワイの衣料品産業に関する
シリーズ記事の第11回、
ラウハラ・スポーツウェアを
翻訳中です。

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Lauhala 5.jpg

(1950年代前半頃の織ネーム
~筆者コレクションより)

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『シリーズ ハワイの
ファッション産業(11)
~ラウハラ・スポーツウェア
ラウハラは本土風に
デザインする(4)

 販売が増えるにつれて、
この新会社(訳者補足:
旧会社のラウハラ・
セールスに対して、
新会社のラウハラ・
スポーツウェア)が
取り扱った商品の幅も
増加した。

他のメーカーから買った
アロハシャツやムームーを
売ることから、
自社オリジナルの服を
作ることへと転換するのは
それほど大きな
一歩ではなかった。

今日彼らはカラカウア通りに
新しい建物を借りており、
そこでほど良い数の
熟練労働者を雇っている。』

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ラウハラ社は
1942年に創業し、
当初はラウハラ編みの
バッグ類を仕入れて
販売していました。
そして初めの頃
(おそらく1942年から
1940年代後半まで)は
アロハシャツやムームーも
他社から仕入れて、
販売だけをしていたと
上の記事には書かれています。

そうだったのですね!

初期の製品は
おそらく「ラウハラ」の
ブランド名は付いていなかった
でしょうから、
「ラウハラ」の織ネームが
付いている製品は、
1940年代末以降のものだと
言えるのではないでしょうか。



(次回に続く)

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ハワイの新聞記事から その314 1956年 ラウハラ~ラウハラは本土風にデザインする(3) [ハワイの新聞記事から]

筆者が収集した、
アロハシャツに関する
ハワイの新聞記事の中から
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アドヴァタイザー紙掲載の、
ハワイの衣料品産業に関する
シリーズ記事の第11回、
ラウハラ・スポーツウェアを
翻訳中です。

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『シリーズ ハワイの
ファッション産業(11)
~ラウハラ・スポーツウェア
ラウハラは本土風に
デザインする(3)

 ラウハラ・スポーツウェアの
ビジネスはどの点から見ても
ファミリー・ビジネスである。

同社は1942年にチン氏によって
創業されたのであるが、
当初は衣料品製造会社として
ではなく、
オーナーがハワイ島から輸入した
ラウハラ編みのハンドバッグの
小売店として創業された。

商品の仕上げは
彼の家族によって行われ、
その小さなビジネスは
チン氏の家から
運営されていたのである。』

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「ラウハラ編みのハンドバッグ」
というのは、例えば、
こんな感じのもの ↓ 

f83d44cb40871f3bc8e7e998347519f47cd5cc72.800x600.jpg

https://www.aloha-program.com/curriculum/lecture/detail/141

(アロハプログラムの
HPより引用)

ではないかと想像します。


ラウハラ・スポーツウェアは
最初は「ラウハラ・セールス」
という社名の会社でした。
上の記事にあるように、
ラウハラ編みの雑貨を
ハワイ島から仕入れて
オアフ島で販売していた
わけです。

「セールス」から
「スポーツウェア」に
社名を変更したのは、
筆者が調べた限りでは、
1953年頃でした。

ハワイでは
1940年代末頃から
アロハシャツや
ハワイアンドレスが
人気となり、
ラウハラ社でも、次第に
軸足が衣料品に移っていき、
1953年頃に、
遅ればせながら社名を
実態に合わせたのでは
ないでしょうか?

それにしても
創業が1942年だったというのは
今回初めて知りました。
ただ、衣料品の製造を
始めたのは1940年代末だと
筆者は推測します。



(次回に続く)

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ハワイの新聞記事から その313 1956年 ラウハラ~ラウハラは本土風にデザインする(2) [ハワイの新聞記事から]

筆者が収集した、
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現在は、
1956年のホノルル・
アドヴァタイザー紙掲載の、
ハワイの衣料品産業に関する
シリーズ記事の第11回、
ラウハラ・スポーツウェアを
翻訳中です。

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『シリーズ ハワイの
ファッション産業(11)
~ラウハラ・スポーツウェア
ラウハラは本土風に
デザインする(2)

 これら(訳者補足:
無地のドレスや、本土タイプの
プリント柄のドレス)は通常、
小規模なドレス・ショップ、
すなわち、観光客よりも
地元客のニーズを
満たすような店に販売される。

ラウハラ・スポーツウェアの
オーナーである
E・C・チン夫妻は、
ハワイの女性たちは
確実に無地色を好むと
いうことに気付いたのである。

 同社の、本土スタイルの
カジュアル服の多くは、
夫妻の、才能あふれる娘、
クレアによって
デザインされている。

彼女は現在、
スティーブンソン中高一貫校の
9年生である。

同社の最多販売商品の1つは、
クレアが自分のために
デザインした、
青と白のチェック柄の
ドレスであり、
彼女の両親は
そのドレスを生産に回し、
同社のティーンエージャー・
ラインに加えたのである。』

****************************

lauhala 4''.jpg

lauhala 4.jpg

クレア・チンの両親が
ラウハラ・スポーツウェアを
所有しているのであるが、
その彼女が紺と白の
ストライプ柄のドレスを
着て見せてくれる。
彼女はそのドレスを
ティーンエージャーのために
デザインした。

****************************

ラウハラ・スポーツウェアは
中国系のE・C・チン
(正確にはエン・チョン・チン)
とその妻アルマ・C・チンが
夫婦で営んでいたメーカーです。

その娘がドレスのデザインを
行っていたというのは
今回初めて知りました。



(次回に続く)

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ハワイの新聞記事から その312 1956年 ラウハラ~ラウハラは本土風にデザインする(1) [ハワイの新聞記事から]

筆者が収集した、
アロハシャツに関する
ハワイの新聞記事の中から
面白そうなものを
ランダムに選び、
翻訳してご紹介しています。

現在、1956年のホノルル・
アドヴァタイザー紙掲載の、
ハワイの衣料品産業に関する
シリーズ記事を
お送りしています。

前回第10回はホロホロ・
アパレルに関する
記事でしたが、
今回からは、第11回の、
ラウハラ・スポーツウェアです。

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Lauhala 5.jpg

(1950年代前半頃の織ネーム
~筆者コレクションより)

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『シリーズ ハワイの
ファッション産業(11)
~ラウハラ・スポーツウェア
ラウハラは本土風に
デザインする(1)

編集者注:これは、
ハワイ衣料品メーカー組合に
属する会社に関する
シリーズ記事の第11回である。

 「ハワイの衣料品メーカー」と
いう慣用句は最近は
不適切な名称のようなものに
なってきた。

その言葉は、
地元メーカーが作る衣類は
ハワイアン・プリントの
ものだけであるという
ニュアンスを含んでいる
からである。

 それは実態からほど遠い。

 ラウハラ・スポーツウェアは、
ハワイ衣料品メーカー組合に
属する他の16社の多くと同様、
ハワイ柄のドレスと
ほとんど同じくらいの数量の、
無地のドレスや、
本土タイプのプリント柄の
ドレスを生産している。』

****************************

この記事が書かれた
1956年には、
「ハワイのメーカーは
ハワイアン・プリントの
比重が、かつてに比べて
減ってきている」
ようです。

確かに1950年代も
後半になると、
和柄や中国柄も増えてきていると
筆者も実感していましたが、
この記事でそのことが
裏付けられました。

それ以外にも
無地やストライプの服も
作り始めていたという
ことのようです。

そりゃそうですよね。
ハワイの人だって
ハワイ柄ではない、
普通の服を
着たくなるでしょうから、
それに応えてハワイのメーカーも
普通の服を作ったとしても
何ら不思議ではありませんよね。



(次回に続く)

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ヤフオクで見かけたヴィンテージアロハシャツ(236)スペシャルなアロハシャツ [ヤフオクで見かけたヴィンテージアロハシャツ]

本日も引き続き、
週末恒例の「ヤフオクで見かけた
ヴィンテージアロハシャツ」
をお届けします。

少し前に、年頭らしい
「スペシャルなアロハシャツ」を
ご紹介しましたが、
今回はその続きです。

1着目はこちら ↓ です。

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https://page.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/s1058112626

フラガールのバックパネル・
パターンです。
『定本ハワイアンシャツ』の
P87に、同じ柄が
掲載されています。

ブランドは「アートヴォーグ」、
素材はコットンのホップサック
(目の粗い厚手の生地)で、
ボタンは尿素ボタンのようです。

非常に希少なため、
出品価格も高額ですね。


続いては、シャツではなく
ドレスですが、
スペシャルなのでご紹介します。

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https://page.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/b557606080

「パケムー(pake muu)」と
呼ばれる、チャイニーズ・
スタイルのドレスです。
袖が三角形になっていて、
チャイニーズボタン
(フロッグボタン)が
付いているのが特徴です。

フランク・マッキントッシュの
メニュー柄というところが
スペシャルな所以です。

素材はレーヨンで、
オーバープリントです。
ブランドは
「ヤング・アロハ」で、
時々見かけるブランドです。
「ヤング・デパート」という
百貨店がかつてあったのですが、
もしかしたらその店の
織ネームかもしれません。
詳細は不明です。



そしてこちらは、
以前にもご紹介しましたが、
スペシャルなので
再度取り上げます。

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https://page.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/w1062647581

映画『地上より永遠に』で
モンゴメリー・クリフトが
着用したことで知られる、
モンステラの葉の柄です。

ブランドは、シスコ時代の
「デューク・カハナモク」で、
正方形の織ネームから
1950年代初頭頃の製品と
推測されます。

素材はレーヨン、
プリントは抜染で、
ボタンは貝ボタンです。


同じ柄の色違いも
出品されています。

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https://page.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/p752310578

こちらは白地にモンステラで、
長袖というところが違いますが、
織ネームは同じ正方形タイプが
付けられています。



今回はこの辺で。
次回をお楽しみに。




(次回に続く)

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ヤフオクで見かけたヴィンテージアロハシャツ(235)新出品のアロハシャツ [ヤフオクで見かけたヴィンテージアロハシャツ]

本日は週末なので
恒例の「ヤフオクで見かけた
ヴィンテージアロハシャツ」
をお届けします。

今回は、まず
「新出品のアロハシャツ」を
ご紹介したのち、
やや掘り下げて研究してみたいと
思います。


まず最初はこちら ↓ です。

スクリーンショット 2023-01-14 221356.jpg

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https://page.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/d1078512417

ヒゲをはやしたオジさんの
ようにも見える、
不思議な味わいのキヒキヒと、
海藻が描かれた柄で、
時々見かける柄ですね。

ブランドは「バークタウン・
オブ・ハリウッド」です。
素材はレーヨン、
プリントは抜染で、
ボタンはエンジ色の
尿素ボタンになります。

程度が良いとのことで、
かなり高額での出品です。


さてこの柄、
実は以前にも、色違いが
ヤフオクに出品されていました。

こちら ↓ です。

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(過去のヤフオク出品物より)

ブランドは同じ
「バークタウン」で、
こちらは紺地の
抜染プリントです。

エンジ地とか紺地というところが
いかにもヴィンテージな
配色ですよね。


さらに、です。
ハワイ製にも、同じ紺地の、
同じ柄がありました。

IMG_8781_20220724170841773.jpg

(フェイクαのHPより引用)

ブランドは「サーフンサンド」です。


ところが、さらにさらに、
今度は、同じ柄の、
抜染プリントではない
(オーバープリントの)、
でも同じ1950年代と思われる
色違いもありました。

こちら ↓ です。

s-DSCN2529(1).jpg

(筆者コレクションより)


ブランドは
「ジム・ペニー」です。

s-DSCN2540(1).jpg

このブランドのことは
正直なところ、
よくわかりません。


このように、
さまざまなブランドや色違いが
存在するということは、
当時、結構人気がある
柄だったのでしょうか?


今回はこの辺で。
次回をお楽しみに。




(次回に続く)

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ハワイの新聞記事から その311 1956年 ホロホロ~シャツ300着分を一度に裁断(6) [ハワイの新聞記事から]

筆者が収集した、
アロハシャツに関する
ハワイの新聞記事の中から
面白そうなものを
ランダムに選び、
翻訳してご紹介しています。

現在は、
1956年のホノルル・
アドヴァタイザー紙掲載の、
ハワイの衣料品産業に関する
シリーズ記事の第10回、
ホロホロ・アパレルを
翻訳中です。

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スクリーンショット 2023-01-05 230829.jpg

(1950年代前半頃の織ネーム
~筆者コレクションより)

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『シリーズ ハワイの
ファッション産業(10)
~ホロホロ・アパレル
シャツ300着分を
一度に裁断(6)
文/バーバラ・プロック

 型紙は厚手の紙で作られ、
裁断師のもとへ送られる。

指図書は縫製の責任者である
女性縫製長に送られ、
その後、服は
階下の縫製室に行く。

 裁断から仕上げまでの時間は
普通1週間である。

女性裁縫師たちの転職率が
大きな問題であると
タカシゲ夫妻は言う。

公共教育局は
裁縫学校を整備しているが、
その卒業生の数は、
ハワイの衣料品業界の
逼迫した需要を満たすのに
十分ではない。』

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この新聞記事の翻訳は
今回で終わりです。
次回からはまた別の記事を
ご紹介します。
お楽しみに。



(次回に続く)

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ハワイの新聞記事から その310 1956年 ホロホロ~シャツ300着分を一度に裁断(5) [ハワイの新聞記事から]

筆者が収集した、
アロハシャツに関する
ハワイの新聞記事の中から
面白そうなものを
ランダムに選び、
翻訳してご紹介しています。

現在は、
1956年のホノルル・
アドヴァタイザー紙掲載の、
ハワイの衣料品産業に関する
シリーズ記事の第10回、
ホロホロ・アパレルを
翻訳中です。

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スクリーンショット 2023-01-05 230829.jpg

(1950年代前半頃の織ネーム
~筆者コレクションより)

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『シリーズ ハワイの
ファッション産業(10)
~ホロホロ・アパレル
シャツ300着分を
一度に裁断(5)
文/バーバラ・プロック

 新しい作品をスケッチした後、
彼女(訳者補足:デザイナーの
タカシゲ夫人)は
型紙の原版を使って作業し、
サンプルは1つしか作らない。

これが、同社の
販売責任者である
ジョージ・サトウに
引き継がれる。

彼は、同社の卸先に
そのサンプルを見せた後、
タカシゲ夫妻に
経過報告をする。

もしその服の
注文が入ったら、
ドレスやシャツは
生産に回される。

 バイヤーたちが提案した
微修正はこの時点でなされる。

その後、タカシゲ夫人が
型紙を作る。

ドレスは10号から20号までの
サイズで裁断されるが、
12号が最もよく売れ、
その次が10号と14号である。』



(次回に続く)

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