ハワイの新聞記事から その309 1956年 ホロホロ~シャツ300着分を一度に裁断(4) [ハワイの新聞記事から]
筆者が収集した、
アロハシャツに関する
ハワイの新聞記事の中から
面白そうなものを
ランダムに選び、
翻訳してご紹介しています。
現在は、
1956年のホノルル・
アドヴァタイザー紙掲載の、
ハワイの衣料品産業に関する
シリーズ記事の第10回、
ホロホロ・アパレルを
翻訳中です。
****************************
(1950年代前半頃の織ネーム
~筆者コレクションより)
****************************
『シリーズ ハワイの
ファッション産業(10)
~ホロホロ・アパレル
シャツ300着分を
一度に裁断(4)
文/バーバラ・プロック
タカシゲ氏は、
陸軍に入隊する前、
あるビーチホテルに
勤めていた時、
ハワイの初期の
衣料品メーカーの1人が、
そのホテルが提供する贅沢を
享受するのを頻繁に見かけ、
衣料品ビジネスは
有望なビジネスに違いないと
考えた。
一方のタカシゲ夫人は
ホロホロのデザイナーである。
彼女は新しいスタイルを
米国本土や欧州の市場から学び、
細心の注意を払って
人気のトレンドを追いかけ、
多くのデザインを
生み出している。』
****************************
ビーチホテルで贅沢をしている
ところを、高重氏が
見かけたという、
「初期メーカーの1人」とは
一体誰なんでしょう。
筆者は、特に根拠は
ありませんが、カハラの
ナット・ノーフリートを
思い浮かべました。
夫人がデザイナーだった、
という話は初めて聞きました。
まだまだ知らないことが
ありますね。
(次回に続く)
アロハシャツに関する
ハワイの新聞記事の中から
面白そうなものを
ランダムに選び、
翻訳してご紹介しています。
現在は、
1956年のホノルル・
アドヴァタイザー紙掲載の、
ハワイの衣料品産業に関する
シリーズ記事の第10回、
ホロホロ・アパレルを
翻訳中です。
****************************
(1950年代前半頃の織ネーム
~筆者コレクションより)
****************************
『シリーズ ハワイの
ファッション産業(10)
~ホロホロ・アパレル
シャツ300着分を
一度に裁断(4)
文/バーバラ・プロック
タカシゲ氏は、
陸軍に入隊する前、
あるビーチホテルに
勤めていた時、
ハワイの初期の
衣料品メーカーの1人が、
そのホテルが提供する贅沢を
享受するのを頻繁に見かけ、
衣料品ビジネスは
有望なビジネスに違いないと
考えた。
一方のタカシゲ夫人は
ホロホロのデザイナーである。
彼女は新しいスタイルを
米国本土や欧州の市場から学び、
細心の注意を払って
人気のトレンドを追いかけ、
多くのデザインを
生み出している。』
****************************
ビーチホテルで贅沢をしている
ところを、高重氏が
見かけたという、
「初期メーカーの1人」とは
一体誰なんでしょう。
筆者は、特に根拠は
ありませんが、カハラの
ナット・ノーフリートを
思い浮かべました。
夫人がデザイナーだった、
という話は初めて聞きました。
まだまだ知らないことが
ありますね。
(次回に続く)