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ハワイの新聞記事から その309 1956年 ホロホロ~シャツ300着分を一度に裁断(4) [ハワイの新聞記事から]

筆者が収集した、
アロハシャツに関する
ハワイの新聞記事の中から
面白そうなものを
ランダムに選び、
翻訳してご紹介しています。

現在は、
1956年のホノルル・
アドヴァタイザー紙掲載の、
ハワイの衣料品産業に関する
シリーズ記事の第10回、
ホロホロ・アパレルを
翻訳中です。

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スクリーンショット 2023-01-05 230829.jpg

(1950年代前半頃の織ネーム
~筆者コレクションより)

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『シリーズ ハワイの
ファッション産業(10)
~ホロホロ・アパレル
シャツ300着分を
一度に裁断(4)
文/バーバラ・プロック

 タカシゲ氏は、
陸軍に入隊する前、
あるビーチホテルに
勤めていた時、
ハワイの初期の
衣料品メーカーの1人が、
そのホテルが提供する贅沢を
享受するのを頻繁に見かけ、
衣料品ビジネスは
有望なビジネスに違いないと
考えた。

 一方のタカシゲ夫人は
ホロホロのデザイナーである。

彼女は新しいスタイルを
米国本土や欧州の市場から学び、
細心の注意を払って
人気のトレンドを追いかけ、
多くのデザインを
生み出している。』

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ビーチホテルで贅沢をしている
ところを、高重氏が
見かけたという、
「初期メーカーの1人」とは
一体誰なんでしょう。

筆者は、特に根拠は
ありませんが、カハラの
ナット・ノーフリートを
思い浮かべました。

夫人がデザイナーだった、
という話は初めて聞きました。
まだまだ知らないことが
ありますね。



(次回に続く)

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