ハワイの新聞記事から その312 1956年 ラウハラ~ラウハラは本土風にデザインする(1) [ハワイの新聞記事から]
筆者が収集した、
アロハシャツに関する
ハワイの新聞記事の中から
面白そうなものを
ランダムに選び、
翻訳してご紹介しています。
現在、1956年のホノルル・
アドヴァタイザー紙掲載の、
ハワイの衣料品産業に関する
シリーズ記事を
お送りしています。
前回第10回はホロホロ・
アパレルに関する
記事でしたが、
今回からは、第11回の、
ラウハラ・スポーツウェアです。
****************************
(1950年代前半頃の織ネーム
~筆者コレクションより)
****************************
『シリーズ ハワイの
ファッション産業(11)
~ラウハラ・スポーツウェア
ラウハラは本土風に
デザインする(1)
編集者注:これは、
ハワイ衣料品メーカー組合に
属する会社に関する
シリーズ記事の第11回である。
「ハワイの衣料品メーカー」と
いう慣用句は最近は
不適切な名称のようなものに
なってきた。
その言葉は、
地元メーカーが作る衣類は
ハワイアン・プリントの
ものだけであるという
ニュアンスを含んでいる
からである。
それは実態からほど遠い。
ラウハラ・スポーツウェアは、
ハワイ衣料品メーカー組合に
属する他の16社の多くと同様、
ハワイ柄のドレスと
ほとんど同じくらいの数量の、
無地のドレスや、
本土タイプのプリント柄の
ドレスを生産している。』
****************************
この記事が書かれた
1956年には、
「ハワイのメーカーは
ハワイアン・プリントの
比重が、かつてに比べて
減ってきている」
ようです。
確かに1950年代も
後半になると、
和柄や中国柄も増えてきていると
筆者も実感していましたが、
この記事でそのことが
裏付けられました。
それ以外にも
無地やストライプの服も
作り始めていたという
ことのようです。
そりゃそうですよね。
ハワイの人だって
ハワイ柄ではない、
普通の服を
着たくなるでしょうから、
それに応えてハワイのメーカーも
普通の服を作ったとしても
何ら不思議ではありませんよね。
(次回に続く)
アロハシャツに関する
ハワイの新聞記事の中から
面白そうなものを
ランダムに選び、
翻訳してご紹介しています。
現在、1956年のホノルル・
アドヴァタイザー紙掲載の、
ハワイの衣料品産業に関する
シリーズ記事を
お送りしています。
前回第10回はホロホロ・
アパレルに関する
記事でしたが、
今回からは、第11回の、
ラウハラ・スポーツウェアです。
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(1950年代前半頃の織ネーム
~筆者コレクションより)
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『シリーズ ハワイの
ファッション産業(11)
~ラウハラ・スポーツウェア
ラウハラは本土風に
デザインする(1)
編集者注:これは、
ハワイ衣料品メーカー組合に
属する会社に関する
シリーズ記事の第11回である。
「ハワイの衣料品メーカー」と
いう慣用句は最近は
不適切な名称のようなものに
なってきた。
その言葉は、
地元メーカーが作る衣類は
ハワイアン・プリントの
ものだけであるという
ニュアンスを含んでいる
からである。
それは実態からほど遠い。
ラウハラ・スポーツウェアは、
ハワイ衣料品メーカー組合に
属する他の16社の多くと同様、
ハワイ柄のドレスと
ほとんど同じくらいの数量の、
無地のドレスや、
本土タイプのプリント柄の
ドレスを生産している。』
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この記事が書かれた
1956年には、
「ハワイのメーカーは
ハワイアン・プリントの
比重が、かつてに比べて
減ってきている」
ようです。
確かに1950年代も
後半になると、
和柄や中国柄も増えてきていると
筆者も実感していましたが、
この記事でそのことが
裏付けられました。
それ以外にも
無地やストライプの服も
作り始めていたという
ことのようです。
そりゃそうですよね。
ハワイの人だって
ハワイ柄ではない、
普通の服を
着たくなるでしょうから、
それに応えてハワイのメーカーも
普通の服を作ったとしても
何ら不思議ではありませんよね。
(次回に続く)