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ハワイの衣料品製造業の歴史 その291 「メイド・イン・ハワイ」というレーベルの開発と承認(5) [ファンダバーク著ハワイの衣料品製造業]

ファンダバーク教授の本『ハワイの衣料品製造業の歴史』の翻訳をお届けしています。

この章「ハワイで製造される衣料品の種類」では、衣料品のタイプ別に語られており、
現在は「『メイド・イン・ハワイ』というレーベルの開発と承認」について
まとめた部分をご紹介しています。



「メイド・イン・ハワイ」というレーベルの開発と承認(5)

 百貨店バーディンズ・オブ・マイアミの1953年の広告は
「涼しい輸入ツーピースを着てハワイ式で遊ぼう」というフレーズで始まっている。

そのような広告(訳注:ハワイ製品を紹介した、本土の小売店の広告)の中には、
当店の服は「ハワイでデザインされ製造されています」と述べたものが時々あった。

また、スティックス・ベア・アンド・フラー
(訳注:ミズーリ州セントルイスにかつてあった高級ファッション百貨店)の
1954年頃の広告は次のような文章で始まっている。

  ”ネイティブ・ルック(訳注:ハワイの土着的なファッション)。
  ハワイから輸入された、カハラの伝統的なプリント生地。当店の独占販売。” 』




バーディンズ・オブ・マイアミはマイアミにあった百貨店で、
以前にもご紹介しましたが、
織ネーム(メイド・イン・ハワイではありません)と、建物の写真を再掲します。

DSCN8211.JPG

miami+3.jpg


上の記述では、小売店の広告の中に、
当店の服は「ハワイでデザインされ製造されています」と述べたものがある、
ということですが、
ハワイのメーカーの中には、織ネーム自体に、
同様の表記をしたところがあります。例えば、カメハメハ・ガーメントがそうです。

DSCN9591.JPG

(筆者コレクションより)

「メイド・アンド・スタイルド・イン・ハワイ」と書かれています。
カメハメハは、ずっとこの部分にこだわっていたブランドですね。


さて、上の文章で紹介されている
もう1つの百貨店「スティックス・ベア・アンド・フラー」は
こんな建物の百貨店でした。

thedepartmentstoremuseum.org.jpg

(thedepartmentstoremuseum.orgより引用)

煉瓦の外壁が有名だったみたいですね。

残念ながら筆者は、この店の織ネームは所有していません。


ちなみに、広告文にある「ネイティブ・ルック」、
「ハワイから輸入された、カハラの伝統的なプリント生地」というのは、
確信はありませんが、「タパ柄」あたりでしょうか?

1954年と言えば、時代的にはおそらくコットン・プリントでしょうから、
例えばこんな柄 ↓ かもしれませんね。

s-DSCN4779.jpg

(筆者コレクションより)

これはカハラのロングセラー(で主に1950年代に売られていた)「シェルタパ」です。



(次回に続く)

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ハワイの衣料品製造業の歴史 その290 「メイド・イン・ハワイ」というレーベルの開発と承認(4) [ファンダバーク著ハワイの衣料品製造業]

ファンダバーク教授の本『ハワイの衣料品製造業の歴史』の翻訳をお届けしています。

この章「ハワイで製造される衣料品の種類」では、衣料品のタイプ別に語られており、
現在は「『メイド・イン・ハワイ』というレーベルの開発と承認」について
まとめた部分をご紹介しています。



「メイド・イン・ハワイ」というレーベルの開発と承認(4)

 1940年代後半から50年代前半にかけて米国の主要な百貨店で開かれた、
初めてのハワイ製品大販促イベントでは、
「メイド・イン・ハワイ」のレーベルは非常に重要なものであった。

ハワイ製衣料は「輸入」品として宣伝されることもあった。

1952年6月5日付デイリー・オクラホマ紙に載ったカーズ百貨店の広告は
次のように述べている。

  ”これが当店のコレクションです。
  ここでお見せする輸入品の中には、
  ハワイの有名なパラカの遊び着もあります。

  当店はまた、男女向けの、目もくらむばかりの全身白のツイルの服も
  ちょうど輸入したところです。” 』



ここに出てくる「カーズ百貨店」は、オクラホマの有名百貨店でしたが、
1966年に倒産してしまったようです。

ddf3dc327a365ac1867b88199f2b2bb8.jpg


それにしても1940~50年代と言えば、
ハワイはまだ準州という扱い(米国の州ではない)でしたし、
本土からは距離的にもかなり遠かったので、
「輸入」という感覚だったのでしょうね。

そしてなにより、本土の人にとっては、あまりよく知らない、
(そして原住民が住むという誤解も含めて)異国情緒漂う土地だったので、
「外国」から「輸入」したという感覚に近かったのでしょう。

「メイド・イン・ハワイ」というレーベルからは、
そのような、誤解や幻想や期待もひっくるめた「異国っぽさ」が
感じられたのでしょう。




(次回に続く)

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ハワイの衣料品製造業の歴史 その289 「メイド・イン・ハワイ」というレーベルの開発と承認(3) [ファンダバーク著ハワイの衣料品製造業]

ファンダバーク教授の本『ハワイの衣料品製造業の歴史』の翻訳をお届けしています。

この章「ハワイで製造される衣料品の種類」では、衣料品のタイプ別に語られており、
現在は「『メイド・イン・ハワイ』というレーベルの開発と承認」について
まとめた部分をご紹介しています。



「メイド・イン・ハワイ」というレーベルの開発と承認(3)

 1953年にジョン・ブロスナンがホノルル・スターブリトゥン紙に
ハワイの衣料品産業についての記事を書いたとき、次のような記述をした。

  ”この上なくハワイ的・・・ハワイの衣料品産業は、
  この魔法の言葉の上に、自らの基礎を築き、
  またプリント柄創作のインスピレーションを見つけてきたのであり、
  この言葉に衣料品産業の将来を賭けているのである。”

 ブロスナンがその記事で言及した、
終戦直後期の様子に関しては次のように述べている。

  ”服のデザインや職人の技能と共に、
  「メイド・イン・ハワイ」というレーベルが、買う人に、
  彼又は彼女が熱帯の雰囲気を小脇に抱えて歩いて家に帰るような感覚を与えることで、
  計り知れない影響力を持つのだということもまた人々に理解されている。”

  ”衣料品業界の、先見の明のあるメンバーたちは、
  このレーベルが強くて正しい切り札であることを知っているため、
  この威信を守るべく必死で働いてきたのである。” 』



本土の人にとって、ハワイの服は、
ハワイらしいデザイン(服の形やプリントの柄)や
職人の技術の高さも魅力だったでしょうが、それらと同じくらい、
「メイド・イン・ハワイ」というレーベルが醸し出す「南国っぽさ」も
魅力的に映った、ということが述べられています。

ハワイという、明るくてホンワカしている楽園のような土地で作られた服を着れば、
そのような雰囲気を身にまとえて、幸せになれるような気にさせたのでしょうか。
本当に「魔法のような言葉」ですね。




(次回に続く)

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ハワイの衣料品製造業の歴史 その288 「メイド・イン・ハワイ」というレーベルの開発と承認(2) [ファンダバーク著ハワイの衣料品製造業]

ファンダバーク教授の本『ハワイの衣料品製造業の歴史』の翻訳をお届けしています。

この章「ハワイで製造される衣料品の種類」では、衣料品のタイプ別に語られており、
前回から「『メイド・イン・ハワイ』というレーベルの開発と承認」について
まとめた部分をご紹介しています。



「メイド・イン・ハワイ」というレーベルの開発と承認(2)

1931年のホノルル・スターブリトゥン紙のある記事は、
ホノルル商工会議所の特別委員会が
ハワイのレーベルを奨励すべく奮闘している様子を語っている。

その記事からの抜粋は次のようなものである。

  ”使うブランド名には「ハワイアン」という単語を入れるようにと、
  (訳注:ホノルル商工会議所の特別委員会が)
  ハワイのすべてのメーカーに説いて回った結果、
  少なからぬメーカーがそのようにした。”

  ”ウォルター・S・ライクロフトのリーダーシップのもと、
  商工会議所の小委員会が製造業を助けようと素晴らしい仕事をした結果、
  ホノルルにたくさんある零細工場の多くは
  建設的批判と助言を受けることで勇気付けられた。

  このことが、零細メーカーには直接的な助けとなったのである。” 』




(次回に続く)

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ハワイの衣料品製造業の歴史 その287 「メイド・イン・ハワイ」というレーベルの開発と承認(1) [ファンダバーク著ハワイの衣料品製造業]

ファンダバーク教授の本『ハワイの衣料品製造業の歴史』の翻訳をお届けしています。

この章「ハワイで製造される衣料品の種類」では、衣料品のタイプ別に語られており、
今回から「『メイド・イン・ハワイ』というレーベルの開発と承認」について
まとめた部分を、しばらくご紹介していきます。



「メイド・イン・ハワイ」というレーベルの開発と承認(1)

 1930年代後半にエルシー・ダースをはじめとする絵描きたちが
ハワイ柄のプリント生地のデザインを始めたあと、
広告の中には、ハワイ製のプリント衣料を紹介するにあたって
「ハワイアン」という用語を使い始めたものがいくつかあった。

この用語は戦争中も時々使われることがあった
(訳注:が、それほど頻繁に使われたわけではなかった)。

それが戦後になると、この用語は、
衣料品に関連して、より幅広く使われるようになった。

「ハワイが作るものがハワイを作る」というスローガンは、
もともとはホノルル商工会議所が
1930年代のハワイアン・プロダクツ・ウィークを宣伝する際に使ったものだが、
そのスローガンがハワイの地元向け市場でハワイのレーベルを
後押しすることになったのである。』



久しぶりにエルシー・ダースの名前が出てきましたね。
この方 ↓ です。

Elsie-Das-Hope-400.jpg

1930年~40年代に活躍した、ハワイ最初期のテキスタイルデザイナーの1人です。

早くから、ハワイ的なモチーフを前面に出したプリント柄を描いたという意味では、
ヴィンテージアロハシャツが生まれたきっかけを作ったとも言えるわけで、
「アロハシャツの母」と言っても過言ではないでしょう。



(次回に続く)

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ハワイの衣料品製造業の歴史 その286 「メイド・イン・ハワイ」というレーベル(3) [ファンダバーク著ハワイの衣料品製造業]

ファンダバーク教授の本『ハワイの衣料品製造業の歴史』の翻訳をお届けしています。

この章「ハワイで製造される衣料品の種類」では、衣料品のタイプ別に語られており、
「『メイド・イン・ハワイ』というレーベル」についてまとめた部分を
ご紹介しています。



「メイド・イン・ハワイ」というレーベル(3)

ハワイの人々は、米国本土とは異なり、複数の単語を使う。

そのような単語のいくつかは本土の広告にも出てきている。

例えば、カマアイナ(居住者)、ルアウ(ハワイの伝統的な宴)、
マリヒニ(新来者)、パケ(中国人)、アロハ(こんにちは)などがそうである。

記録された歴史のかぎりでは、
ハワイは、本土の伝統や環境とは異なる独自の特性を、外の世界に提示してきた。

すなわち、レイの首掛け、フラダンスと腰蓑、
ホロクやアロハシャツの着用、遍在するヤシの木とココナッツの実、
ワイキキ・ビーチのアウトリガー・カヌーやサーフボード、
ラウハラ(ハラの葉)編み細工、見慣れない食べ物や花や群葉、
そして本土の多くの小売店の広告宣伝が絶妙に築き上げた、
上記以外の、郷土色あふれるものを、ハワイは提示してきたのである。』




次回からは、「メイド・イン・ハワイ」というレーベルについての、
より深い考察が始まります。




(次回に続く)

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ハワイの衣料品製造業の歴史 その285 「メイド・イン・ハワイ」というレーベル(2) [ファンダバーク著ハワイの衣料品製造業]

ファンダバーク教授の本『ハワイの衣料品製造業の歴史』の翻訳をお届けしています。

この章「ハワイで製造される衣料品の種類」では、衣料品のタイプ別に語られており、
前回からは「『メイド・イン・ハワイ』というレーベル」についてまとめた部分を
ご紹介しています。



「メイド・イン・ハワイ」というレーベル(2)

 ハワイが持つ異国的な特性や、
ハワイが遠く離れた場所であるという観念が、
小売店の戦後の広告には示唆されていた。

また、それらの広告が、衣料品やハワイの産品を
宣伝のために飛行機で運んだということに言及することも時々あった。

ハワイは、ジェット機の時代である現代(訳注:刊行時の1965年)でさえ、
米国の多くの地域から遠く離れており、
米国の東側から見れば、ヨーロッパよりも遠く離れているのである。

1959年に州に昇格する前は、ハワイは準州であった。

準州と言っても20世紀の多くのアメリカ人には比較的聞き慣れない用語であろう。

ハワイは異国的であり距離的にも遠いという感覚は、
飛行機での旅行が当たり前になっても、いまだに残っている。』




ハワイという場所は、米国本土の多くの人にとって、
気候が温暖で東洋系住民が多いことからくる「異国的な雰囲気」と、
本土からの「距離的な遠さ」のため、
特別な場所であったわけです。

そしてハワイの人やメーカーは、その「特別感」を逆手にとって、
ハワイというブランド化に成功した、という話です。

例えば、こちら ↓ 。

DSCN9287.JPG

(筆者コレクションより)

これは、あるヴィンテージアロハシャツの織ネームですが、
どこのメーカーの、なんというブランドか、
素材は何か、といった情報は一切なく、ただ
「ハワイ製」
とだけ表記されているのです。

これはある意味、すごいことですよね。
「メイド・イン・ハワイ」という文字列がブランドに近いものになっているのですから。

「メイド・イン・ハワイ」という表記があるだけで、
ブランド名やメーカー名がなくても、つまり誰が作っているのかがわからなくても
信頼して買うという人がいたということなのですから。



(次回に続く)

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ハワイの衣料品製造業の歴史 その284 「メイド・イン・ハワイ」というレーベル(1) [ファンダバーク著ハワイの衣料品製造業]

ファンダバーク教授の本『ハワイの衣料品製造業の歴史』の翻訳をお届けしています。

この章「ハワイで製造される衣料品の種類」では、衣料品のタイプ別に語られており、
今回から新たに「『メイド・イン・ハワイ』というレーベル」についてまとめた部分を
ご紹介していきます。



「メイド・イン・ハワイ」というレーベル(1)

 1930年代だけでなく、1940年や50年代になっても、
ハワイは船便にかかる時間でみると米国本土からかなり離れており、
しばしば外部地域と見なされていた。

それは、商品供給先としては輸出品が送られる先の外部地域、
また供給源としては輸入品がもたらされる元の外部地域である。

1941年の真珠湾攻撃によってハワイは世界規模での注目を集めることになった。

戦争中には何千ものハワイのお土産品が軍人によって故郷に送られ、
そのことがこの「太平洋の楽園」をさらに宣伝することになった。』



「メイド・イン・ハワイ」というレーベルは、
最初は単なる原産地の表記(「貼り札」)に過ぎなかったのですが、
時が経つにしたがって「商標」となり「ブランド」となっていくわけで、
その変遷を、今後数回にわたって考察していくようです。



(次回に続く)

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ハワイの衣料品製造業の歴史 その283 布地の種類(13) [ファンダバーク著ハワイの衣料品製造業]

ファンダバーク教授の本『ハワイの衣料品製造業の歴史』の翻訳をお届けしています。

この章「ハワイで製造される衣料品の種類」では、衣料品のタイプ別に語られており、
現在は「布地の種類」についてまとめた部分をご紹介しています。



『布地の種類(13)

 1964年10月11日付ホノルル・スターブリトゥン紙に載った
ハワイ製衣料品の複数の広告で言及された
素材の種類と、プリント生地の素材の種類には、次のようなものがあった。

浮き出し加工され色を重ねた光沢コットン、
金色をちりばめたサリー用シルク、タイシルク、
コットン・ヴォイル、コットン、
プリント柄の光沢コットン、ストライプ柄のカラフルなコットン、
プリント柄のアーネル(訳注:セラニーズ社のトリアセテート繊維)、
パレオ柄の光沢コットン、
ハンド・スクリーン・プリントされたコットン・サテン、
ハンド・スクリーン・プリントされたコーマ綿、
ピケ、赤と白のストライプ柄のグレー・シャンブレー、
シャリス(訳注:ソフトで軽量な織物)、
パレオ柄で表面感のあるコットン・ツイル、
「ハワイアン・ユカタ」、ざらっとしたスイス・コットン、
ベルベット・トリム、クリュニー・レース、ギンガム・チェック、
純シルク、ホワイト・ナイロン、レーヨン・シルク、
金襴プリント、テトロン、ナイロン、アーネル・シャークスキン、
レーヨン縮緬。

最も頻繁に取り上げられた布地は「コットン・サテン」
またの名を「光沢コットン」であった。

白無地または色のついた布地はここ数年需要がずっと高かったが、
それはハワイ風衣料品のメーカーが本土で作る
ハイファッションな服のおかげである。』




1964年のハワイ製衣料品に使われた布地の種類について、
ランダムに抽出した結果が一覧になっています。

この中で、ヴィンテージ・アロハシャツに関係がありそうなものとして、
ここでは「パレオ柄の光沢コットン」を取り上げたいと思います。


こちら ↓ のようなアロハシャツが、1960年代半ば頃の製品だと思われます。

s-DSCN3785.jpg

ブランドはハワイ島の「オコレハオ」です。

DSCN4127.JPG

(筆者コレクションより)


光沢コットン(コットン・サテン)のパレオ柄は
1950年代後半頃から60年代半ば(あるいは末)まで作られていたようで、
ハワイ製のほかに
日本製(プリント生地だけでなく縫製まで日本製)のものも多く見られます。

今度、このあたりのヴィンテージ・アロハシャツを
掘り下げてご紹介したいと思っています。


「布地の種類」についてまとめた部分は今回で終了となり、
次回からはまた新しい話題となります。



(次回に続く)
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ハワイの衣料品製造業の歴史 その282 布地の種類(12) [ファンダバーク著ハワイの衣料品製造業]

ファンダバーク教授の本『ハワイの衣料品製造業の歴史』の翻訳をお届けしています。

この章「ハワイで製造される衣料品の種類」では、衣料品のタイプ別に語られており、
現在は「布地の種類」についてまとめた部分をご紹介しています。



『布地の種類(12)

 ハワイの衣料品生産はこれまで、
スポーツウェアとラウンジウェアの領域に集中してきたため、
ハワイの衣料品製造産業が使う布地の中では
コットンがずっと主要な繊維であった。

コットンという素材は、洗濯ができ、長持ちし、
プリントがきれいに載りやすいという特性を持ち、
無地やさまざまなプリント柄に使われてきた。

プリントの種類としてはこれまで、ハワイ柄が主なものであったが、
それ以外の多くの柄もまた、何年にもわたって使われてきた。

例えば、1956年6月25日付ロサンゼルス・タイムズ紙に載った、
バロックス・ウィルシャーによるハワイ製衣料の広告は
チェック柄のコットン生地の服を見せていた。

また同年7月2日と57年3月25日付同紙掲載の
バロックス・ウィルシャーによるハワイ製衣料の広告は
ストライプ柄のコットン生地の服を見せていた。

さらに1957年1月24日付マイアミ・ヘラルド紙掲載の
バーディンズによるハワイ製衣料の広告は
ポルカ・ドット柄のコットン生地の服を見せていた。』




今回は「コットン地」についての記述です。


ここに出てくるバロックス・ウィルシャーは、ウィキペディアによれば、
かつて存在した高級百貨店チェーンで、
特に、1929年9月にオープンし、旗艦店でもあったロサンゼルス店は
アールデコ様式の建物として有名だったそうです。

220px-Bullocks_Wilshire_Building.jpg

220px-Elevator_Door.jpg

220px-Light_Fixture_detail.jpg

(ウィキペディアより引用)


このバロックス・ウィルシャーの織ネームが付いた
ヴィンテージアロハシャツを所有しているのでお見せします。
こちら ↓ です。

バロックス・ウィルシャー.jpg

s-PICT0085.jpg

(筆者コレクションより)

カハラ製で、素材はシルク、ボタンはココナッツボタンを使っています。
柄は、ペルシア風の草木模様です。1950年代頃の製品でしょうか。



一方、バーディンズもかつて存在した高級百貨店で、
マイアミの旧旗艦店は、
1910年代から1930年代にかけて段階的に建てられた歴史的建物だそうです。

miami+3.jpg

http://www.thedepartmentstoremuseum.orgより引用)

そのバーディンズの織ネームが付いたヴィンテージアロハシャツも所有しているので
お見せします。こちら ↓ です。

DSCN8211.JPG

s-DSCN8204.jpg

(筆者コレクションより)

レーヨン抜染なので、上の記述の時代より古い、1950年前後の製品です。
メーカーは不明ですが、おそらくカリフォルニアのメーカーでしょう。



いろいろなショップネームが付いたアロハシャツが存在しますね。




(次回に続く)

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