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ハワイの衣料品製造業の歴史 その301 「メイド・イン・ハワイ」のレーベルの現在の状況(2) [ファンダバーク著ハワイの衣料品製造業]

ファンダバーク教授の本『ハワイの衣料品製造業の歴史』の翻訳をお届けしています。

この章「ハワイで製造される衣料品の種類」では、衣料品のタイプ別に語られており、
「『メイド・イン・ハワイ』のレーベルの現状」についてまとめた部分を
ご紹介しています。
そして今回で、この本の翻訳は最終回となります。



『「メイド・イン・ハワイ」のレーベルの現在の状況(2)

(前回から続く)
それに加えて、本土の小売企業は、ハワイ製衣料の販促活動を行う際、
ハワイのまた別のシンボル、例えば蘭の花やフラガールやヤシの木で演出したり、
店内のレストランでココナッツやハワイの特別料理を出したりもしてきた。

 ハワイ製衣料の販促活動は、
本土の大規模百貨店で、戦後すぐの頃に始まったのだが、
1958年から60年、すなわち州昇格の、前年、同年、翌年に
最高潮を迎えたのである。』



本土の小売企業(百貨店など)は、ハワイ製衣料の販促活動を行う際、
蘭の花やヤシの木を会場に飾って、南国の感じを出したり、
ハワイの女性がフラガールの格好をして、音楽と共に踊ったり、
あるいはレストランで、ハワイ料理を提供したり、と、
さまざまな演出で、雰囲気を盛り上げていた、ということです。

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(Kamaaina56さんのFlickrより引用)

上の写真は、1950年代のハワイでのフラショーの様子ですが、
こんなふうに「踊り子と太鼓の男性」のような少人数で、本土の百貨店を回り、
「14時からフラショー開催!」みたいに告知して、踊っていたのではないでしょうか?

さながら現代日本の「北海道フェア」のようですね。

そのようなハワイ・フェアは、ハワイの州昇格の前後に
最も盛り上がったといいます。

ハワイの州昇格の話題が新聞などで大きく取り上げられることで、
ハワイという「異国的な土地」に対する興味や、
「あまりよく知らない土地」のことをもっと知りたいという欲求が、
本土の多くの人の間に広まったということでしょうか。

そのわりには、1959年前後のアロハシャツは、
一部の「50州柄」を除けば目立つ柄も新鮮味もあまりなく、パッとしません。
どこかで見たような柄が多く、シャツ自体にパワー(熱気)が感じられないのです。
何とも残念ですね。
コストとの闘いだったのかもしれません。


ファンダバーク教授の本『ハワイの衣料品製造業の歴史』の翻訳は
今回で最終回となります。
長い間、読んでくださり、ありがとうございました。

次回からは、また別の本の翻訳を始めたいと思っています。
引き続きお読みください。


(一旦終わり)

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