ハワイの衣料品製造業の歴史 その298 「メイド・イン・ハワイ」というレーベルの開発と承認(12) [ファンダバーク著ハワイの衣料品製造業]
ファンダバーク教授の本『ハワイの衣料品製造業の歴史』の翻訳をお届けしています。
この章「ハワイで製造される衣料品の種類」では、衣料品のタイプ別に語られており、
現在は「『メイド・イン・ハワイ』というレーベルの開発と承認」について
まとめた部分をご紹介しています。
この話題はまだもうしばらく続きます。
『「メイド・イン・ハワイ」というレーベルの開発と承認(12)
1962年9月のホノルル・スターブリトゥン紙に載った、
マーク・ウォーターズのインタビュー記事の中で、
サン・ファッションズ社の社長であり、
当時ハワイ・ファッション協会の会長でもあったハワード・ホープ氏は、
次のようにコメントしている。
”「我々(訳注:ハワイの衣料品メーカー)に有利なものが常に2つあります」と
彼は言った。”
”「メイド・イン・ハワイのレーベルと、ハワイ独自のプリント生地です。」”
”「我々はいま、よりハイ・ファッションの領域に入ろうとしています。」”
”「競争力を維持し続けるためには、替えの効かない
独自の存在でなければなりません。」”
”「低価格市場を巡って東洋のメーカーと競うわけにはいきません
(訳注:低価格市場を席巻している日本メーカーと、
価格で競っても勝ち目はありません、という意味)。」”
”「色と新鮮なデザインとファッション性とで
彼らに先んじるのが我々がいまやるべきことなのです。」” 』
ここに出てくるハワード・ホープ氏とは、
アロハシャツ研究家のデール・ホープ氏のお父様ですね。
(westernaloha.comより引用。右側がハワード・ホープ氏でしょうか?)
さて、上の文章には、1962年の、ハワイと日本の関係が書かれていて、
非常に意味深い内容です。
数日前のブログで筆者は、「日本製のアロハシャツとハワイ製のアロハシャツが、
米国本土で競合しているのではないか」という話をちょうどしたところでしたね。
やはり工賃の安さ(と、質の高さ)から来る、日本製アロハシャツのお得感が、
ハワイ製アロハシャツの脅威になっていたことが、上の記述からよくわかります。
1962年と言えば、ハワイのメーカーが使っているプリント生地の大部分は
おそらく日本製だったでしょう
(一部の例外はアルフレッド・シャヒーンによるハワイ製)し、
日本の縫製も高品質だったでしょうから、
ハワイのメーカーが日本の製品を超えるのは容易ではなかったはずです。
そこでホープ氏は、
「色と新鮮なデザインとファッション性とで彼らに先んじるのが
我々がいまやるべきことなのです。」と言っているわけです。
そしてそのことは「よりハイ・ファッションの領域に入ろうと」することに
つながるのです。
ただしここで出てきているのは、(男性物の)アロハシャツの話というよりは、
女性物のハワイアン・ウェアの話のようですが。
(次回に続く)
この章「ハワイで製造される衣料品の種類」では、衣料品のタイプ別に語られており、
現在は「『メイド・イン・ハワイ』というレーベルの開発と承認」について
まとめた部分をご紹介しています。
この話題はまだもうしばらく続きます。
『「メイド・イン・ハワイ」というレーベルの開発と承認(12)
1962年9月のホノルル・スターブリトゥン紙に載った、
マーク・ウォーターズのインタビュー記事の中で、
サン・ファッションズ社の社長であり、
当時ハワイ・ファッション協会の会長でもあったハワード・ホープ氏は、
次のようにコメントしている。
”「我々(訳注:ハワイの衣料品メーカー)に有利なものが常に2つあります」と
彼は言った。”
”「メイド・イン・ハワイのレーベルと、ハワイ独自のプリント生地です。」”
”「我々はいま、よりハイ・ファッションの領域に入ろうとしています。」”
”「競争力を維持し続けるためには、替えの効かない
独自の存在でなければなりません。」”
”「低価格市場を巡って東洋のメーカーと競うわけにはいきません
(訳注:低価格市場を席巻している日本メーカーと、
価格で競っても勝ち目はありません、という意味)。」”
”「色と新鮮なデザインとファッション性とで
彼らに先んじるのが我々がいまやるべきことなのです。」” 』
ここに出てくるハワード・ホープ氏とは、
アロハシャツ研究家のデール・ホープ氏のお父様ですね。
(westernaloha.comより引用。右側がハワード・ホープ氏でしょうか?)
さて、上の文章には、1962年の、ハワイと日本の関係が書かれていて、
非常に意味深い内容です。
数日前のブログで筆者は、「日本製のアロハシャツとハワイ製のアロハシャツが、
米国本土で競合しているのではないか」という話をちょうどしたところでしたね。
やはり工賃の安さ(と、質の高さ)から来る、日本製アロハシャツのお得感が、
ハワイ製アロハシャツの脅威になっていたことが、上の記述からよくわかります。
1962年と言えば、ハワイのメーカーが使っているプリント生地の大部分は
おそらく日本製だったでしょう
(一部の例外はアルフレッド・シャヒーンによるハワイ製)し、
日本の縫製も高品質だったでしょうから、
ハワイのメーカーが日本の製品を超えるのは容易ではなかったはずです。
そこでホープ氏は、
「色と新鮮なデザインとファッション性とで彼らに先んじるのが
我々がいまやるべきことなのです。」と言っているわけです。
そしてそのことは「よりハイ・ファッションの領域に入ろうと」することに
つながるのです。
ただしここで出てきているのは、(男性物の)アロハシャツの話というよりは、
女性物のハワイアン・ウェアの話のようですが。
(次回に続く)
2021-02-25 22:57
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