ハワイの新聞記事から その378 1972年 ワットムルス~エレン・ジェンセン・ワットムルへのインタビュー(2) [ハワイの新聞記事から]
筆者が収集した、
アロハシャツに関する
ハワイの新聞記事の中から
面白そうなものを
ランダムに選び、
翻訳してご紹介しています。
現在は、
1972年に行われた
エレン・ジェンセン・
ワットムルへのインタビューを
翻訳しています。
****************************
****************************
『ワットムルス~
エレン・ジェンセン・
ワットムルへのインタビュー(2)
インタビュー/
キャサリン・B・アレン
ゴビンドラム・ジャマンダス
(訳者補足:エレンの夫、
G・J・ワットムル)は、
はるか遠く、インドの
ハイデラバードで、
とても奇妙なことに
私と同じ6月26日に生まれ、
年は1891年ですが、
そしてこれまた奇妙なことに、
彼のお父さんも
私の祖父と同じ煉瓦土建業者で
家を建てていました。
どちらの家族も
家計的には非常に難しい
時期にありました。
彼のお父さんは大事故に遭って
体が不自由になったからです。
そしてこの事故の結果、
彼のお父さんは
脚にできた癌がもとで
なくなりました。
私の家族の話に戻ると、
パパとママはどちらも若い頃に
デンマークからアメリカに
渡って来ました。
なぜならどちらも
冒険心があったからです。
二人はこの国に着いて
おそらく2~3年後に
オレゴン州ポートランドで
出会いました。
もちろん移民に開放された
大きな仕事などありませんし、
産業だってたくさんは
ありませんでした。
そこでパパは門番に
ならなければ
なりませんでしたし、
ママも結婚前は
誰かの家のメイドでした。
しかし彼らはデンマークでは
良家の出だったので、
そんな程度ではなかった
はずなのです。
時が経って4人の子供を
もうけましたが、
一緒に育ったのは3人です。
兄のエワルド、2番目の私、
そして妹のエルシーです。』
****************************
話がなかなか進みませんが、
最後のところでようやく
妹のエルシーの名前が
出てきました。
退屈な話が続きそうですが
しばらくは辛抱して
お読みください。
なにか面白い話が
出てくるかもしれませんよ。
(次回に続く)
アロハシャツに関する
ハワイの新聞記事の中から
面白そうなものを
ランダムに選び、
翻訳してご紹介しています。
現在は、
1972年に行われた
エレン・ジェンセン・
ワットムルへのインタビューを
翻訳しています。
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『ワットムルス~
エレン・ジェンセン・
ワットムルへのインタビュー(2)
インタビュー/
キャサリン・B・アレン
ゴビンドラム・ジャマンダス
(訳者補足:エレンの夫、
G・J・ワットムル)は、
はるか遠く、インドの
ハイデラバードで、
とても奇妙なことに
私と同じ6月26日に生まれ、
年は1891年ですが、
そしてこれまた奇妙なことに、
彼のお父さんも
私の祖父と同じ煉瓦土建業者で
家を建てていました。
どちらの家族も
家計的には非常に難しい
時期にありました。
彼のお父さんは大事故に遭って
体が不自由になったからです。
そしてこの事故の結果、
彼のお父さんは
脚にできた癌がもとで
なくなりました。
私の家族の話に戻ると、
パパとママはどちらも若い頃に
デンマークからアメリカに
渡って来ました。
なぜならどちらも
冒険心があったからです。
二人はこの国に着いて
おそらく2~3年後に
オレゴン州ポートランドで
出会いました。
もちろん移民に開放された
大きな仕事などありませんし、
産業だってたくさんは
ありませんでした。
そこでパパは門番に
ならなければ
なりませんでしたし、
ママも結婚前は
誰かの家のメイドでした。
しかし彼らはデンマークでは
良家の出だったので、
そんな程度ではなかった
はずなのです。
時が経って4人の子供を
もうけましたが、
一緒に育ったのは3人です。
兄のエワルド、2番目の私、
そして妹のエルシーです。』
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話がなかなか進みませんが、
最後のところでようやく
妹のエルシーの名前が
出てきました。
退屈な話が続きそうですが
しばらくは辛抱して
お読みください。
なにか面白い話が
出てくるかもしれませんよ。
(次回に続く)
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