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ハワイの新聞記事から その173 1968 ムサシヤ・リミテッドはまだある(2) [ハワイの新聞記事から]

筆者が収集した、アロハシャツに関するハワイの新聞記事の中から、
面白そうなものをランダムに選び、翻訳してご紹介しています。

今回は引き続き、
ムサシヤ・ザ・シャツメーカー閉店の記事の続報をお届けします。




『ムサシヤ・リミテッドはまだある(2)

 その当時(訳注:1930年代前半)、
キング通りにあるムサシヤ・リミテッドは
現在の大きさの約3分の1であった。

同店は主に布地、キモノ、ハッピ・コート、スリッパ、日本の漆器を販売し、
シャツやパジャマを作っていた。

また、現在もまだ売られているのは、
3月の伝統的なひな人形、
5月の武者人形やこいのぼり、
7月のお盆用の提灯である。

 1933年に紳士・男児売場が拡張され、
女児や婦人の既製服の売場が新しく加えられた。

また座布団(クッション)や布団(キルト)、
そして非常に多くの人が旅行するようになった戦後には鞄も、売られていた。

 ムサシヤ・リミテッドのウィンドウォード支店は1958年にオープンし、
1966年にはアラモアナ・センターに支店が、
ちなみに同店は布地と日本製品を販売しているのであるが、オープンした。』




A68 ムサシヤの建物.jpg

Musashiya.jpg

この写真に写っている手前の通り(リバー通り)に面した店舗は
「ノース・キング通り185番地」なので、
この記事が書かれた1968年にはムサシヤ・リミテッド本店は
「179番地から185番地まで」の4店舗分を占めていたことになります。


上の文章に、ひな人形も扱っていた(当時も現在=1968年も)と書かれていますが、
1950年にこんな広告がありました。

1950年ムサシヤ.jpg

この広告を見ると、179番地は布地売場、185番地は紳士服売場と
分かれていたようです。



(次回に続く)

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ハワイの新聞記事から その172 1968 ムサシヤ・リミテッドはまだある(1) [ハワイの新聞記事から]

筆者が収集した、アロハシャツに関するハワイの新聞記事の中から、
面白そうなものをランダムに選び、翻訳してご紹介しています。

今回は、前回までご紹介してきた、
ムサシヤ・ザ・シャツメーカー閉店の記事の続報をお届けします。




『ムサシヤ・リミテッドはまだある(1)

 ホノルルに、ムサシヤ・リミテッドはまだある。

たとえムサシヤ・ザ・シャツメーカーの店舗が無くなっても。

 先週、アドヴァタイザー紙は、
長い間オアフ島で商売をしてきたムサシヤ・ザ・シャツメーカーが
7月15日に店じまいするだろうとリポートした。

 しかし、ハイフン付きで書かれた名前を持つムサシヤは、
ちなみにその現在の店舗はカラカウア大通り2164番地にあるのであるが、
ムサシヤ・リミテッドと混同されるべきではない。

 ムサシヤ・リミテッドは店じまいする予定は「ない」。

ノース・キング通り179番地の本店も、
ウィンドウォード・シティ・ショッピングセンターの支店も、
アラモアナ・ショッピング・センターの支店も、店じまいする予定はない。

 会社のスポークスマンは、
ノース・キング通りの店舗は1930年代前半に
ムサシヤ・リミテッドになったのであり、
その時ムサシヤ・ザ・シャツメーカーはキング通りのもともとの店舗を譲渡し、
キング通りとアラケア通りの角でシャツを作るビジネスを始めたのである、と述べた。』




前回までの記事では、この写真 ↓ に

A68 ムサシヤの建物.jpg

昔のムサシヤの店舗は、この交差点のキング通りに面していた。

というキャプションを付けて掲載しました。


ところが、筆者も「第4回」で

この写真に写っている建物は、もともとはムサシヤの店舗でしたが、
1933年にムサシヤ・ショウテンに譲渡され、
この記事の当時(1968年)には(名前を変えた)「ムサシヤ・リミテッド」として
営業していました(看板にそう書かれています)。

と書いたように、この店は1968年時点で、
「ムサシヤ・リミテッド」として営業していたため、
読者の誤解を招いてしまい、
上にある、訂正記事(のようなもの)を書く羽目になったわけです。

「リミテッド」という部分に気付くべきでしたね。
昔の看板がそのまま残っていると勘違いしてしまったのでしょうか?


今回の記事では、同じ写真を掲載しつつ、

ムサシヤ・リミテッドの本店は、この交差点のキング通りに面している。

というキャプションに修正しています。



ちなみにこの写真の建物は現在どうなっているのでしょう。
ストリートビューで見てみました。2つを並べてみます。

Musashiya.jpg

A68 ムサシヤの建物.jpg

煉瓦造りの建物はそのまま残っていますが、
「RIVER ST」と書かれた標識は無くなっていました。

それにしても、久しぶりに見る(ストリートビューでですが)ノース・キング通りは
空き店舗が増えていて、活気が失われていました。残念ですね。



(次回に続く)

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ハワイの新聞記事から その171 1968 ムサシヤ・ザ・シャツメーカーが閉店(7) [ハワイの新聞記事から]

筆者が収集した、アロハシャツに関するハワイの新聞記事の中から、
面白そうなものをランダムに選び、翻訳してご紹介しています。

現在は、ムサシヤ・ザ・シャツメーカーについての
1968年の新聞記事をお届けしています。
今回が最終回です。



A68 musashiya.jpg

『「ナンバーワンのシャツメーカー」が華やかなキャリアを終える(7)
文/メアリー・クック(ホノルル・アドヴァタイザー紙スタッフ・ライター)

 「ムサシヤ」というのは、
宮本が説明したのであるが、
彼の父親が考案した店名であった。

宮本父は、日本の、武蔵と呼ばれる地方からやって来た。

彼はその単語に、場所や店を意味する「屋」を加えた。

彼は1885年にホノルルに上陸したとき、
ムサシヤという名前が世界中で知られるようになるとは夢にも思わなかった。

 いまやムサシヤが伝説となるのに2、3週間しか残っていない。

宮本は、カラカウア大通り2164番地にある、
現在のムサシヤ・ザ・シャツメーカーの店舗を
7月15日に閉めるつもりでいる。

それまで、彼と彼の妻は、最終閉店セールを主宰しており、
また、さよならを言い、リバー通り沿いの昔の店のことを少しばかり追憶するために
やって来る顧客たちに、
特別な活気をもって挨拶している。

 閉店したら、彼は毎日の苦労がないことを寂しく思うのであろうか?

 「そう思いますよ。」
 多くのシャツを作った男はそう言って笑う。

 しかし、良い俳優のように、彼が舞台を去るとき、
ムサシヤ・ザ・シャツメーカーには、
熱情と雄弁をもって自分の役割を演じたことを知っている幸せと、
二度と再び繰り返されることのない特別な発明の才があるのである。』



ムサシヤ・ザ・シャツメーカーが1968年まで存在した場所が
上の記述に出てきます。

「カラカウア大通り2164番地」


ここが現在どうなっているかを調べてみたら、ちょっとびっくりしました。

Avanti Hawaii - Kalakaua.jpg

Avanti Hawaii - Kalakaua 2.jpg

Avanti Hawaii - Kalakaua 3.jpg

なんと、アヴァンティ・シャツの店舗になっているではありませんか!

Avanti Hawaii - Kalakaua 4.jpg

内装は新しくなっていますが、建物自体は昔のものだと思わせる古さがあるので、
アヴァンティ・シャツは、ここにムサシヤ・ザ・シャツメーカーがあったことを
当然知っていて入居したのだと思います。
伝説のショップにあやかったのでしょう。



ムサシヤ・ザ・シャツメーカーの話は一応今回で終わります。
ただし、ちょっとした後日談があるので、
次回はその記事をご紹介しましょう。

次回をお楽しみに。




(次回に続く)

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ハワイの新聞記事から その170 1968 ムサシヤ・ザ・シャツメーカーが閉店(6) [ハワイの新聞記事から]

筆者が収集した、アロハシャツに関するハワイの新聞記事の中から、
面白そうなものをランダムに選び、翻訳してご紹介しています。

現在は、ムサシヤ・ザ・シャツメーカーについての
1968年の新聞記事をお届けしています。



A68 musashiya.jpg

『「ナンバーワンのシャツメーカー」が華やかなキャリアを終える(6)
文/メアリー・クック(ホノルル・アドヴァタイザー紙スタッフ・ライター)

 確かに、英国のシャツ地を好む男性たちはホノルルにもいるが、
そのようなシャツ地が魚市場の近くで彼らを待っていることを
彼らはどのように知ると言うのか?(いや、知らないだろう。)

 「一方通行だな。新聞で宣伝するというのは。」宮本はそう考えた。

 直ちに彼は、総合広告代理店のチャールズ・R・フレイザー社のオフィスで
自らの窮状を知らせ、
同社のメレン氏が解決策を提案するために反物店を訪れるようにさせた。

 宮本が、誰にもまねできない彼の和製英語をペラペラしゃべった際の災難の話を
長々とする間、メレン氏は耳を傾けた。

 そうだ、誰にもまねできないんだとメレンは思った。

しかし、そのカラフルな言葉のほとばしりをなぜ言葉通りに再現しない?
すればいいではないか。

彼は、一連の小広告で物語を語るために宮本自身の言葉を使おうとした。

 しかしより多くのものが必要だった。

その広告マンは、着物を着て下駄を履いた姿でお辞儀をし笑顔を浮かべる姿を
急いでスケッチした。

その後、ムサシヤという店の名前に注目し、
それをムサシヤ・ザ・シャツメーカーに改めたのである。』




(次回に続く)

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ヤフオクで見かけたヴィンテージアロハシャツ(186)新出品のアロハシャツ [ヤフオクで見かけたヴィンテージアロハシャツ]

本日は週末なので、前回に続いて翻訳をお休みして、
恒例の「ヤフオクで見かけたヴィンテージアロハシャツ」をお届けします。

今回は「新出品のアロハシャツ」をご紹介します。
いい柄が、続々と出品されています。
厳密に言うとアロハシャツ(ハワイ製)ではないプリントシャツも取り上げますが、
「広い意味でのアロハシャツ」と考えて、お目に見てください。

さっそく参りましょう。
最初はこちらからです。

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https://page.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/w1055681801

ご存じマッキントッシュのメニュー柄「ウクレレ」です。
ブランドはカリフォルニアの「デルマー(デルマール)」で、
本土系の特徴である、両胸ポケット(しかもフラップ付き)になっています。

素材はもちろんレーヨンで、プリントは抜染、
ボタンは赤の尿素ボタンです。

低価格スタートですが、高額終了必至です。
5万円くらいまでいくでしょうか?結果が楽しみです。



続いてご紹介するのもカリフォルニア製です。

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https://page.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/r1055719597

スコップで掘る人や馬車などが描かれ、
「GOLD」「ELDORADO」などの文字が見えるところから、
「ゴールドラッシュ」柄ではないかと思います。
南国風でさえないので、アロハシャツどころか、ただのプリントシャツですが、
面白い柄、珍しい柄(筆者は初見)なので取り上げてみました。

ブランドは「ヘンダン」、素材はコットンで、ボタンは貝ボタンです。
本土系ということでしっかり両胸にポケットが付いていますね。
襟も大きさから言っても、1940年代末から50年代初頭くらいの製品だと思います。

低額スタートですが、さて、いくらぐらいまで上がるでしょうか?



そしてお次も本土系です。

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https://page.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/q1055019712

パイナップルとモンステラの葉とヤシの葉が描かれた柄です。
特に凝った柄ではありませんが、珍しい柄だと思います。
筆者は初めて見ました。

ブランドはマイアミの「フロリダ・サンウェア」です。
フロリダのシャツと言えば、両裾にポケットが付いたデザインが多いのですが、
これは本土系の特徴である「両胸ポケット」を採用しています。

素材はレーヨン、プリントはオーバープリントで、
ボタンは透明なプラスチックボタンです。


さらに、こちら ↓ は、本土系でさえありません。

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https://page.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/k1055711446

酒瓶がよこにずらりと並んだ柄です。
バハマのナッソーにある「ラリーズ」という店の織ネームが付いています。
ボタンは透明なプラスチックボタンになります。

素材はコットン100%と記載されていますが、
おそらく、コットン×ポリエステルの混紡生地ではないかと推測します。

というのも、似たような柄だけれども、
よく見ると瓶が違うという柄を筆者も所有していて、
そちらは手触りから、コットン×ポリエステルだと思われるのですが、
上のシャツと同時代の製品だと思うからです。

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(筆者コレクションより)

こちらは同じジャマイカの「ザ・マンズ・ショップ」という店の
織ネームが付いています。

カリブ海の各地で、ボトル柄のシャツが流行したのでしょうか?
面白いですね。


そしてクーティーも似たような柄を出しています。

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https://www.boo-bee.jp/products/detail.php?product_id=355644

(BEEGLEさんのHPより引用)




さて最後は、ようやくハワイ製です。

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https://page.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/v1055712991

イオラニの和柄です。
塔や城、鳥居などが描かれていますが、
あまりリアルではなく、なんとなく描いた和柄という感じです。

説明文に記載はありませんが、イオラニなので、
素材はレーヨン縮緬、ボタンは竹ボタンでしょう。



今回はこの辺で。
次回をお楽しみに。




(次回に続く)

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ヤフオクで見かけたヴィンテージアロハシャツ(185)カメハメハ・ガーメント [ヤフオクで見かけたヴィンテージアロハシャツ]

本日は週末なので、翻訳の方はお休みして、
恒例の「ヤフオクで見かけたヴィンテージアロハシャツ」をお届けします。

今回は「カメハメハ・ガーメント社のアロハシャツ」の中から、
数が多い「赤文字」の織ネームが付いたものを取り上げます。

「赤文字」の時代を特定するのはなかなか難しいのですが、
筆者がこれまで見てきた経験から、
「1950年代初頭から60年代後半まで」の製品ではないかと推測しています。

新出品のものから、継続出品のものまで、いろいろありますよ。


まず最初はこちら ↓ からご紹介しましょう。

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https://page.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/t1054163971

ヤシの浜やアウトリガーカヌー、そして帆掛け船が、
水色から紺までのグラデーションで描かれています。
最後の画像で分かるように、非常に小さいですが、
サーフィンしている人々もいます。

素材はコットン、ボタンは竹ボタンです。
この「コットン」と「竹ボタン」という組み合わせは、
赤文字時代のカメハメハの特徴ではないかと筆者は考えています。
それは、「日本からの輸入」を意味しているように思え、
それはすなわち、1950年代~60年代の特徴でもあると思うです。



続いてはこちら。

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https://page.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/x797355310

線描のパイナップル柄で、こちらもブルー系です。
同じく素材はコットン、ボタンは竹ボタンになります。

色違いがこちらです(一部ですみません)。

129  Kamehameha(赤)made and styled in HAWAII.jpg

(筆者コレクションより)



そしてこちらです。

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https://page.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/u1053426579

タパ柄です。
時代的にはやや新しい、1960年代初頭頃の製品でしょうか?
こちらもコットンで竹ボタンです。



さらにはこちらです。

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https://page.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/n1054936175

パレオ柄です。
素材はコットンですが、ボタンは古銭ボタンになっており、
そのようなところから、時代はさらに新しくなり、
1960年代後半頃の製品ではないかと思います。



さらにさらに、こちらです。

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https://page.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/x1052473773

手描き風のタパ柄です。
こちらも素材はコットンですが、ボタンは「カメハメハ大王像」の刻印が入った
メタルボタンになります。
これもカメハメハでよく見かけるボタンで、
1960年代半ば頃の製品に付けられていることが多いようです。



最後はこちらです。

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https://page.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/r1054414658

何の柄なのか定かではありませんが、
和柄のようにも見える、抽象的な柄です。
こちらも素材はコットンで、
ボタンは「カメハメハ大王像」の刻印入りメタルボタンです。



カメハメハと言えば、
「ゴーギャンウッドカット」や「メニュー柄」など派手なものが有名ですが、
それらは初期のごく一部であり、実は地味目な柄が圧倒的に多いのです。
地味だとは言え、デザイン的にはかっこいいものも多く、
コットン製ということもあり価格もこなれています。
「赤文字」のカメハメハは意外にお勧めですよ。



今回はこの辺で。
次回もヤフオク出品物を取り上げます。




(次回に続く)

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ハワイの新聞記事から その169 1968 ムサシヤ・ザ・シャツメーカーが閉店(5) [ハワイの新聞記事から]

筆者が収集した、アロハシャツに関するハワイの新聞記事の中から、
面白そうなものをランダムに選び、翻訳してご紹介しています。

現在は、ムサシヤ・ザ・シャツメーカーについての
1968年の新聞記事をお届けしています。



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『「ナンバーワンのシャツメーカー」が華やかなキャリアを終える(5)
文/メアリー・クック(ホノルル・アドヴァタイザー紙スタッフ・ライター)

 実習生として働きに来ていたある人が、1935年には宮本の花嫁になり、
それ以来今日まで店で働いている。

 二人が結婚する1年か2年前に、
ある地元客が新しいアイデアを持って店に入ってきたのだと彼女は言った。

その彼はシャツを何枚か作ってもらいたがっており、
しかも、コットンのプリント柄の浴衣生地を使って欲しいと細かく指定した。

 「とてもいいですね。できますよ。」 経営者は笑顔を浮かべ、
お辞儀をすると、そう言った。

そうして最初のアロハシャツがハワイの風景に出現したのである。

 宮本のキャリアにおける、大昔の、もう1つの「初めて」は、ある失敗であった。

ところがそれは、幸運に転じたのである。

 1920年に宮本は、彼の父親が始めた小さな反物ビジネスを広げようと決意した。

何を買おうかと思案していた時、
テオ・H・デイヴィーズ社のある日系人セールスマンが
英国の、目の詰まったブロードクロスのシャツ生地を見せてくれた。

 「この生地はとてもいいですよ。
ラベンダーとピンクと青と黒の見事なストライプで、
ナンバーワンのとてもいい種類です」とそのセールスマンは言った。

 それは実際、彼がそれまでに見た中でも最上質のシャツ生地で、
宮本は注文した。

荷物が届くと彼は圧倒された。

何反もの英国のシャツ生地、
彼が保管できるよりも多い量の、
しかも彼が販売できるよりもずっと多い量のシャツ生地が、
宮本の前に立ちはだかった。

 アヤー、どうしよう?

 その生地を販売できないのは確実で、彼はお針子を1人雇った。

彼女は裁断し、縫製して、何十ものストライプ・シャツを生産した。
が、1枚も売れなかった。』



宮本孝一郎が結婚したのが1935年で、その1年か2年前に、
「コットンのプリント柄の浴衣生地でシャツを作ってほしい」という注文があったと
上の記事のインタビューで答えています。
そしてそれがハワイで最初のアロハシャツだと述べられています。

筆者はそれが「ハワイで最初のアロハシャツ」だと言っていいのかわかりません。
開襟シャツ(第1ボタンがなくて、裾がスクエア)だったのか、
ドレスシャツ(第1ボタンがあって、裾がラウンド)だったのか、
あるいは(1930年代に多かった)ポロシャツタイプだったのかがわかりませんし、
また、浴衣の生地というのが、どんな柄だったのかもわかりません。
どのようなシャツだったらアロハシャツと呼んでいいのかは
定義があいまいなので何とも言えません。

もう少し突っ込んで聞いておいてくれればよかったのにと恨めしく思ってしまいます。

さらには、それが「ハワイで最初」と言い切れる根拠もありません。

ともかく、「浴衣地のシャツをムサシヤ・ザ・シャツメーカーが早い時期に作った」、
「それがその後のアロハシャツの発展につながった」ということは言えるでしょう。



(次回に続く)

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ハワイの新聞記事から その168 1968 ムサシヤ・ザ・シャツメーカーが閉店(4) [ハワイの新聞記事から]

筆者が収集した、アロハシャツに関するハワイの新聞記事の中から、
面白そうなものをランダムに選び、翻訳してご紹介しています。

現在は、ムサシヤ・ザ・シャツメーカーについての
1968年の新聞記事をお届けしています。



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『「ナンバーワンのシャツメーカー」が華やかなキャリアを終える(4)
文/メアリー・クック(ホノルル・アドヴァタイザー紙スタッフ・ライター)

 リバー通りのちょうど街側にあるムサシヤの店舗への行列が、
昔の魚市場を過ぎて続いていた。

そこでひいき客たちは、コピーしてもらう高価な服を提示し、
採寸してもらい、その後シャツメーカー氏から
丁寧な別れのお辞儀を受け取るのである。

 「型紙がなくても、必要なものは何もありません。」と
彼はひいき客たちを安心させた。

「私共のお針子は非常に優秀ですから。」

 彼らが終えたとき、「とても見事な種類」のカスタムメードの服が、
ムサシヤの、広告に登場したのと同じ、着物を着た人物のレーベルを付けて店から出た。

 成功は雪だるま式に増大した。

ムサシヤの作業場では、コピーされるのを待っているシャツやローブの積み重ねが
どんどん高くなった。

彼らは、「紳士録」や、しばしばその日の新聞や雑誌の中に
自分の名前が出てくるような人たちの、長いリストに属していた。

いまや世界中から入ってきた全ての注文を満たすために、
ムサシヤは「優秀なお針子」をより多く雇わなければならないのである。』



A68 ムサシヤの建物.jpg

昔のムサシヤの店舗は、この交差点のキング通りに面していた。


この写真に写っている建物は、もともとはムサシヤの店舗でしたが、
1933年にムサシヤ・ショウテンに譲渡され、
この記事の当時(1968年)には(名前を変えた)「ムサシヤ・リミテッド」として
営業していました(看板にそう書かれています)。

こちら ↓ が、ムサシヤ・リミテッドの織ネームです。

musashiya LTD.jpg

https://ameblo.jp/shop-spaz/entry-11529804957.html
(古着屋スパーズさんのブログより引用)



一方のムサシヤ・ザ・シャツメーカーはワイキキで営業していました。



(次回に続く)

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ハワイの新聞記事から その167 1968 ムサシヤ・ザ・シャツメーカーが閉店(3) [ハワイの新聞記事から]

筆者が収集した、アロハシャツに関するハワイの新聞記事の中から、
面白そうなものをランダムに選び、翻訳してご紹介しています。

現在は、ムサシヤ・ザ・シャツメーカーについての
1968年の新聞記事をお届けしています。




A68 musashiya.jpg

『「ナンバーワンのシャツメーカー」が華やかなキャリアを終える(3)
文/メアリー・クック(ホノルル・アドヴァタイザー紙スタッフ・ライター)

 自分の店を地図の上に置いた一連の広告の中で、
宮本の話す言葉を言葉通りに引用するという、
当時の広告会社役員、ジョージ・メレンの考えを、宮本は信用している。

着物を着て下駄を履いた、笑っているシャツメーカーの素描と、
広告コピーのユーモラスな大衆的片言英語とが、ムサシヤを、
国際的な名声を博した商人として売り出したのである。

 彼の名声は映画スターたちから始まった。

ハリウッドの大御所や準大御所たちが、
ホノルルへの休暇旅行でムサシヤを発見したのであり、
シルクの、シャツやローブやパジャマを彼に作ってもらうことが
「しなければならないこと」になったのである。

 「メアリー・ピックフォードは、私の映画界の顧客のナンバーワンでした。」と
宮本は言った。
 そしてそのあと彼は、
1930年代に彼のところに押し寄せた映画スターたちの長いリストを付け足した。

 「アル・ジョルソン、ネルソン・エディ、ジャネット・マクドナルド、
 ジャネット・ゲイナー、ドロレス・デル・リオ、ダグラス・フェアバンクス、
 アラン・ラッド、リチャード・ディクス、ロレッタ・ヤング、
 ロナルド・コールマンが、たくさんのシャツ、たくさんの着物を注文しました。

 そしてシャーリー・テンプルには小さな着物を作りました。」

 宮本夫人はこう言った。
 「30年ですよ。私は富士絹のナイト・シャツを、
 それは昔風のたぐいですけれどもね、
 ニューヨークのとある裕福なお客様のために、
 作るのを決してやめませんでしたよ!」

 「上得意のお客様たちが、
 お気に入りのモノグラムのシャツやラウンジング・ローブやパジャマを
 何包みも運んで、ノース・キング通り(のお店)に現れ始めたのです。

 そのすべてに、英国やヨーロッパや米国の、
 最新ファッションのお店のレーベルが付いていました。」』



メアリー・ピックフォードというのは、ウィキペディアによれば、
1910年代から20年代にかけて活躍した「サイレント映画時代の大スター」だそうです。

240px-Mary_Pickford1918.jpg

(ウィキペディアより引用。1918年撮影)

また、
「1920年にダグラス・フェアバンクスと結婚し、
 このカップルは"ピックフェア"と呼ばれ親しまれたが、1936年に離婚した。」
とのことです。

200px-Douglas_Fairbanks_and_Mary_Pickford_02.jpg

(フェアバンクスとハネムーンへ。ウィキペディアより引用。)


上のリストにも2人の名前があるので、1920年代に夫婦で来店したのでしょう。




(次回に続く)

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ハワイの新聞記事から その166 1968 ムサシヤ・ザ・シャツメーカーが閉店(2) [ハワイの新聞記事から]

筆者が収集した、アロハシャツに関するハワイの新聞記事の中から、
面白そうなものをランダムに選び、翻訳してご紹介しています。

前回から、ムサシヤ・ザ・シャツメーカーについての
1968年の新聞記事をお届けしています。

なお、以下の引用に出てくる「広告」内の文章は、
宮本孝一郎が話した、日本語なまりのヘンな英語で書かれているため、
翻訳も読みにくい(こなれていない)文章になっています。
ご了承ください。




A68 musashiya.jpg

『「ナンバーワンのシャツメーカー」が華やかなキャリアを終える(2)
文/メアリー・クック(ホノルル・アドヴァタイザー紙スタッフ・ライター)

 1922年、ジャズの時代に、われらがシャツメーカーは大衆を次のように迎えた。

  ムサシヤ・ザ・シャツメーカー
  (反物を売るショウテンでもあります)
  は、ウールのブランケットなどの
  素晴らしいものを
  発表する許しを請います。

  鮮烈な赤と黒のストライプ。ご家庭を心地よく盛り上げてくれます。
  唯一の悲しい部分はこのブランケットの数量が少ないことですが、
  はける一方で入荷します。
  2月20日月曜日の早朝に晴れやかに販売を開始します。
  おいしいブランケットが怒りっぽい夜を
  どのように感じるか考えてみてください。
  ブー!
  
のちに、日本からの輸入貨物を受け取って、
彼はこの豊かだが長ったらしい文章で顧客たちを呼び出した。

  告知!

  新しい売場がはち切れてオープンします。
  これは非常な大評判です。

  当店の階段を上がったところに、
  ちょうど今、日本から輸入された商品が展示されています。
  皆さんはホノルルでこのような商品を今までに見たことがないでしょう。
  たくさんの興奮をあなたに。
  どうかすぐに到着してください。

  ムサシヤ・ザ・シャツメーカー
  (キモノも作りますし、反物も売ります)


ある種の追伸として、彼は次のように付け加えた。

  婦人物のハオリ(羽織)コート、シルク100%、
  きれいに裏地が付けられている、は、
  裏側を表にして着ることができ、
  外側を外側で着るより違った風にも見えます。
  スカーフ:純シルク、きれいな花柄や、
  その他あらゆるデザインと色があります。
  3.50ドルから4.50ドルまで。
  この種類を見てすべての女性は興奮します。』




(次回に続く)

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