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ハワイの新聞記事から その167 1968 ムサシヤ・ザ・シャツメーカーが閉店(3) [ハワイの新聞記事から]

筆者が収集した、アロハシャツに関するハワイの新聞記事の中から、
面白そうなものをランダムに選び、翻訳してご紹介しています。

現在は、ムサシヤ・ザ・シャツメーカーについての
1968年の新聞記事をお届けしています。




A68 musashiya.jpg

『「ナンバーワンのシャツメーカー」が華やかなキャリアを終える(3)
文/メアリー・クック(ホノルル・アドヴァタイザー紙スタッフ・ライター)

 自分の店を地図の上に置いた一連の広告の中で、
宮本の話す言葉を言葉通りに引用するという、
当時の広告会社役員、ジョージ・メレンの考えを、宮本は信用している。

着物を着て下駄を履いた、笑っているシャツメーカーの素描と、
広告コピーのユーモラスな大衆的片言英語とが、ムサシヤを、
国際的な名声を博した商人として売り出したのである。

 彼の名声は映画スターたちから始まった。

ハリウッドの大御所や準大御所たちが、
ホノルルへの休暇旅行でムサシヤを発見したのであり、
シルクの、シャツやローブやパジャマを彼に作ってもらうことが
「しなければならないこと」になったのである。

 「メアリー・ピックフォードは、私の映画界の顧客のナンバーワンでした。」と
宮本は言った。
 そしてそのあと彼は、
1930年代に彼のところに押し寄せた映画スターたちの長いリストを付け足した。

 「アル・ジョルソン、ネルソン・エディ、ジャネット・マクドナルド、
 ジャネット・ゲイナー、ドロレス・デル・リオ、ダグラス・フェアバンクス、
 アラン・ラッド、リチャード・ディクス、ロレッタ・ヤング、
 ロナルド・コールマンが、たくさんのシャツ、たくさんの着物を注文しました。

 そしてシャーリー・テンプルには小さな着物を作りました。」

 宮本夫人はこう言った。
 「30年ですよ。私は富士絹のナイト・シャツを、
 それは昔風のたぐいですけれどもね、
 ニューヨークのとある裕福なお客様のために、
 作るのを決してやめませんでしたよ!」

 「上得意のお客様たちが、
 お気に入りのモノグラムのシャツやラウンジング・ローブやパジャマを
 何包みも運んで、ノース・キング通り(のお店)に現れ始めたのです。

 そのすべてに、英国やヨーロッパや米国の、
 最新ファッションのお店のレーベルが付いていました。」』



メアリー・ピックフォードというのは、ウィキペディアによれば、
1910年代から20年代にかけて活躍した「サイレント映画時代の大スター」だそうです。

240px-Mary_Pickford1918.jpg

(ウィキペディアより引用。1918年撮影)

また、
「1920年にダグラス・フェアバンクスと結婚し、
 このカップルは"ピックフェア"と呼ばれ親しまれたが、1936年に離婚した。」
とのことです。

200px-Douglas_Fairbanks_and_Mary_Pickford_02.jpg

(フェアバンクスとハネムーンへ。ウィキペディアより引用。)


上のリストにも2人の名前があるので、1920年代に夫婦で来店したのでしょう。




(次回に続く)

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