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リンダ・アーサー著『20世紀のアロハ服』 ブログトップ
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リンダ・アーサー著『20世紀のアロハ服』その187 1980~90年代の女性服(4) [リンダ・アーサー著『20世紀のアロハ服』]

元ハワイ大学教授のリンダ・アーサー氏が書いた
『20世紀のアロハ服』という本の翻訳をお届けしています。

現在の話題は、「1980~90年代の女性服」についてです。



『第9章「1980~90年代:ハワイの文化復興とレトロ・スタイル

 女性服(4)

 伝統的なアロハ服は、特定のイベント、
特にベビー・ルアウ(訳注:子供の1歳の誕生日を祝う祝宴)や
卒業式、結婚式などの通過儀礼用に好まれる服装形態となっている。

ホロクは結婚式やホロク・ボール、
アロハ・フェスティバルのために着られている。

アロハ服に要請されるドレス・コードは、
パーティへの招待状で明確にされるであろうし、
葬儀通知の中でさえ同様であろう。

ホノルル・アドヴァタイザー紙のリポーター、ボブ・クラウスによれば、
「ハワイは全米で最も複雑なドレス・コードの1つを展開しています。」
とのことである。(続)』



ベビー・ルアウというのは子供の1歳の誕生日を祝う祝宴のことで、
このような ↓ 感じのものだそうです。

image.jpg

https://tastyislandhawaii.com/2018/06/26/kairies-1st-birthday-baby-luau/


また、ホロク・ボールというのは、
ホロクを着て出席するクラシック・スタイルの舞踏会のことで、
寄付金を集めるために上流階級の人を招いて開かれることが多いようです。

こんな感じです。

2116728_web1_Kupuna-and-Guests-at-Holoku-Ball-14..jpg

https://www.westhawaiitoday.com/2015/09/04/entertainment/halia-ka-nani-an-evening-of-elegance/




(次回に続く)

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リンダ・アーサー著『20世紀のアロハ服』その186 1980~90年代の女性服(3) [リンダ・アーサー著『20世紀のアロハ服』]

元ハワイ大学教授のリンダ・アーサー氏が書いた
『20世紀のアロハ服』という本の翻訳をお届けしています。

現在の話題は、「1980~90年代の女性服」についてです。



『第9章「1980~90年代:ハワイの文化復興とレトロ・スタイル

 女性服(3)

 (引用続)
  カアフマヌ協会の女性たちは、
 カアフマヌをしのんで黒い服を着ている。

 彼女たちは、地味な黒い服を着ており、
 鮮やかな黄色のレイによってだけそれを破っている。

 黒いドレス(ホロクとホロムー)。黒い靴。黒い手袋。黒い帽子。

 カアフマヌ協会が社交の場に出席したことに気付くのは、
 カアフマヌ協会がハワイの歴史における重要性の1つであると
 知ることなのである
 (1990年アイランド・ヘリテージ出版刊「ベスト・オブ・ボブ・クラウス」所収
  「私たちのハワイ」より引用)。』




(次回に続く)

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リンダ・アーサー著『20世紀のアロハ服』その185 1980~90年代の女性服(2) [リンダ・アーサー著『20世紀のアロハ服』]

元ハワイ大学教授のリンダ・アーサー氏が書いた
『20世紀のアロハ服』という本の翻訳をお届けしています。

現在の話題は、「1980~90年代の女性服」についてです。



『第9章「1980~90年代:ハワイの文化復興とレトロ・スタイル

 女性服(2)

 (以下引用部分)
  カアフマヌ協会の会員たちは、
 最も偉大なハワイ女性でありカメハメハの妻であるカアフマヌを
 尊敬している。

 彼女は、女性を否定するカプ(禁忌)を撤廃し、
 女性が食べてよいと決められたものだけを食べるという習慣を撤廃した、
 ハワイで最初の女性解放運動(1819年)を先導した人物である。

 のちに彼女は、有能な手腕で、鉄の意志をもって、
 政府を統治した。(続)』




カアフマヌについては、ウィキペディアの記述を引用しておきます。


200px-Queen_Kaahumanu.jpg

カアフマヌ(Kaahumanu, 1768年3月17日 - 1832年6月5日)は、
ハワイ王国を統一したカメハメハ1世が寵愛した王妃。
・・・
カメハメハ1世の死後、副王として
カメハメハ2世およびカメハメハ3世のクヒナ・ヌイ(摂政)を務める。
1819年、カメハメハ2世の母ケオプオラニとともに
ハワイ王国における土着信仰として尊重されていた禁令制度、
カプ(タブー)を撤廃した。
タブーの廃止は自由を享受した人々が増えた反面、
従来の階層構造、社会経済を支えていた秩序の崩壊につながった。
(引用終わり)

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%82%A2%E3%83%95%E3%83%9E%E3%83%8C



現代的な感覚を持ち合わせた、意志の強い女性だったのでしょう。



(次回に続く)

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リンダ・アーサー著『20世紀のアロハ服』その184 1980~90年代の女性服(1) [リンダ・アーサー著『20世紀のアロハ服』]

元ハワイ大学教授のリンダ・アーサー氏が書いた
『20世紀のアロハ服』という本の翻訳をお届けしています。

今回から話題が変わり、「1980~90年代の女性服」についてが語られます。



『第9章「1980~90年代:ハワイの文化復興とレトロ・スタイル

 女性服(1)

 1980年代以来、ホロクは首尾一貫して、
西洋やハワイの同時代のファッションよりもむしろ
ハワイの過去を反映してきた。

1900年前後から続いているようなデザイン・ディテール、
例えば、シンプルな綿素材からレースまでを含めた白い布地などは、
現代のホロムーやホロクにもよく見られる。

1980年代の10年間に、
州政府がハワイの君主制転覆100周年を準備するにつれて、
ハワイの人々はより回顧的になった。

ハワイの文化に焦点を当てた結果、
ホロムーとホロク両方の、
1900年前後のデザインが復活したのである。

長袖とフリルは、1980年代に再流行し、
それが現在まで続いている。

ピン・タックやフリル、高いネックライン、
レッグ・オブ・マトン・スリーブ(訳注:羊の足形のように
肩の部分がふくらんでいて手首に向かって細くなっている形の袖)といった、
1900年前後のスタイルは、
花嫁にもフラワーガール(訳注:結婚式で花嫁に付き添って花を運ぶ少女)にも
好まれてきた。』




レッグ・オブ・マトン・スリーブというのは、
こんな ↓ 袖のことです。

A34024_l.1.jpg_resized_380_.jpeg

https://www.objectlessons.org/clothes-and-accessories-victorians/leg-of-mutton-sleeve-dress-victorian-replica/s53/a1035/

1895-1898-1895-fashion-plate-no-006.jpg

https://genealogylady.net/2015/07/12/fashion-moments-leg-o-mutton-sleeves/

下の写真には「1895年から1898年」という説明が記載されているので、
まさに1900年前後の西洋で流行したディテールだったと言えそうです。


こちらは、最近の製品のようですが、
レッグ・オブ・マトン・スリーブのドレスでしょうか。

il_1140xN.2822342425_jdo5.jpg

https://www.etsy.com/jp/listing/937364349/bananarfu-bngpinkurongudoresu?ref=shop_home_active_43




(次回に続く)

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リンダ・アーサー著『20世紀のアロハ服』その183 1980~90年代の衣料品生産(10) [リンダ・アーサー著『20世紀のアロハ服』]

元ハワイ大学教授のリンダ・アーサー氏が書いた
『20世紀のアロハ服』という本の翻訳をお届けしています。

現在の話題は、「1980~90年代の衣料品生産」についてです。



『第9章「1980~90年代:ハワイの文化復興とレトロ・スタイル

 衣料品生産(10)

(続)1960年代のマリア・ハワイ株式会社は現在、
ユニフォームス・バイ・マリアとなっている。

この会社は1960年代から70年代にかけて、
ハワイと世界の小売店向けにスポーツウェアとブティック・ウェアを作っていたが、
現在は、主に制服を製造してほぼ100万ドルの年間収入を上げている。

同様にトリ・リチャード株式会社は1973年に制服を作り始めたが、
制服部門が同社の販売額の約4分の1を稼いでいるということに近年気が付いた。

同社は、会社を奮い立たせるため本土に改めて注力するという方策に、
より軸足を置いた結果、
過去3年で販売額の2桁成長を見たのである。

しかしながら、小売は依然として困難なままである。
「衣料品製造は非常に困難な産業です。」とマモ・ハウエル
(訳注:マモ・ハウエル・アパレルのデザイナー)は言った。

彼女はアイデンティティ・アパレルで
自身のビジネスの約40%を売り上げている
(著者注:1998年9月7日付『パシフィック・ビジネス・ニュース』紙掲載・
アンドリュー・ゴメス執筆「制服がアロハ服メーカーの生活を支えている」より引用)。』




「ユニフォームス・バイ・マリア」の織ネームはこちらです。

il_1140xN.1886535412_5n2z.jpg

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https://www.etsy.com/jp/listing/694591916/vintage-aloha-shirt-hawaiian-uniforms-by?ga_order=most_relevant&ga_search_type=all&ga_view_type=gallery&ga_search_query=malia+shirt&ref=sr_gallery-1-2

(Etzyの出品物より引用)

ハワイアンオープン(現在のソニーオープン)柄のアロハシャツです。
大会関係者のスタッフシャツとして使われたのでしょうか?
それも立派な「制服」ですよね。


また、マモ・ハウエルさんは、1929年生まれ。

Lei-Mamo-Sousa-Howell-1581022336.jpg

ハワイアン・キルトとレイをモチーフにしたプリント柄で有名でしたが、
去年1月に91歳で亡くなられたそうです。

https://www.oahumortuary.com/obituaries/Lei-Mamo-Sousa-Howell/#!/Obituary




「1980~90年代の衣料品生産」のパートは今回で終わり、
次回からは「1980~90年代の女性服」のパートに移ります。
お楽しみに。



(次回に続く)

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リンダ・アーサー著『20世紀のアロハ服』その182 1980~90年代の衣料品生産(9) [リンダ・アーサー著『20世紀のアロハ服』]

元ハワイ大学教授のリンダ・アーサー氏が書いた
『20世紀のアロハ服』という本の翻訳をお届けしています。

現在の話題は、「1980~90年代の衣料品生産」についてです。



『第9章「1980~90年代:ハワイの文化復興とレトロ・スタイル

 衣料品生産(9)

 消費者がより安価な小売店の方に移行した結果、
アロハ服のメーカーは他の顧客を見つけねばならなかった。

アロハ服の生産における最も著しい移行は、
衣料品業界が一昔前に行っていたような、観光客に提供することから、
アイデンティティ・アパレルを作ることへの移行であった。

ハワイのメーカーのうちの数社は現在(訳注:1999年)、
観光業で働く人々用のアロハ服の制服を生産している。

マリヒニ・スポーツウェア株式会社は、
自分たちのアロハ服生産ビジネスが、
1970年代末の年間500万ドルから
1990年代末の年間50万ドルへと縮小するのを見てきたが、
同社はビジネスを維持するために
制服の生産へと品目を転換したのである。(続)』




マリヒニが「アロハ服の制服」の生産にシフトした、と書かれていますが、
制服と言っても、警備員が着るような制服ではなく、
例えば、こんな ↓ アロハシャツを、

s-l1600.jpg

https://www.ebay.com/itm/363393222140?hash=item549bec85fc:g:drMAAOSwNP5gkhvk
(eBayの出品物より引用)

ホテルの従業員がみんなお揃いで着ている、といったイメージでしょうか。

胸に会社のロゴマークの刺繍が入っていたりする場合もあるでしょうが、
もちろん、入っていない場合も多かったので、
どのアロハシャツが実際は制服として使われたかは、
古着のシャツを見ただけではわからないのだと思います。


この織ネーム ↓ は比較的新しいものなので、

s-l1600b.jpg

制服メーカーに移行した後の織ネームかもしれません。



(次回に続く)

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リンダ・アーサー著『20世紀のアロハ服』その181 1980~90年代の衣料品生産(8) [リンダ・アーサー著『20世紀のアロハ服』]

元ハワイ大学教授のリンダ・アーサー氏が書いた
『20世紀のアロハ服』という本の翻訳をお届けしています。

現在の話題は、「1980~90年代の衣料品生産」についてです。



『第9章「1980~90年代:ハワイの文化復興とレトロ・スタイル

 衣料品生産(8)

(続)ムームー・ファクトリー・トゥ・ユーは、
1987年までに9店舗に成長し、ムームーを26ドル以下で販売したのだが、
大手メーカーが50ドルから60ドルの価格で対抗するのを難しくした。

「それは市場に大きな衝撃を与えました。」と、
マリヒニの現在のオーナーであるキャロル・ザウトキは言った。

ハワイのアパレル・メーカーが過去10年以上にわたって
リールを巻き上げたため、3000~4000人が職を失った。

ある会社の社長はこう言った。
「私たちを本当に殺したものはスワップ・ミートでした。」 
スワップミートは、縫子たちが生地を買って卸価格で人々に売ることを
可能にしたのである
(著者注:1998年9月7日付『パシフィック・ビジネス・ニュース』紙掲載の
 アンドリュー・ゴメス執筆「制服がアロハ服メーカーの生活を支えている」
 より引用)。』




(次回に続く)

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リンダ・アーサー著『20世紀のアロハ服』その180 1980~90年代の衣料品生産(7) [リンダ・アーサー著『20世紀のアロハ服』]

元ハワイ大学教授のリンダ・アーサー氏が書いた
『20世紀のアロハ服』という本の翻訳をお届けしています。

現在の話題は、「1980~90年代の衣料品生産」についてです。



『第9章「1980~90年代:ハワイの文化復興とレトロ・スタイル

 衣料品生産(7)

 1988年までに少なくとも150の衣料品メーカーがハワイにはあり、
彼らは1億2000万ドルの売り上げを生んだ。

小売での3つの大きな変化がアロハ服産業にインパクトを与えた。

すなわち、
1)ハワイの百貨店は海外製(訳者補足:中国製などを指すと思われる)
  のアロハ服を受け入れ始め、
  そのためハワイのメーカーは価格で対抗できなかった。

2)ウォルマートやKマート、コストコのようないわゆる「大箱」小売店の上陸。

3)1970年代の、アロハ・スタジアムやカム・ドライブイン・シアターでの
  スワップミートの開始。

これらのスワップミートは新品の服や布地、
その他のハワイアン・グッズを販売した。(続)』




ハワイ123ドットコムさんのブログによれば、
ウォルマートのハワイ1号店はミリラニ店だそうです。

walmart03.jpg

https://www.hawaii123.com/oahu/ls/walmart.html

百貨店やディスカウント店、スワップミートなどで、
安価なアロハ服が売られるようになって、
ハワイ製のアロハ服が売れなくなった、ということのようです。

確かにアロハ・スタジアムのスワップミートに行くと、
プリントも縫製も安っぽいアロハシャツやムームーが
たくさん売られていますよね。

.jpg

https://www.tour.ne.jp/w_review/HNL/shopping/spot/111435/
(トラベルコの記事より引用)


とはいえ、百貨店では、
トリ・リチャードやカハラなどのハワイ製のアロハ服が売られていて、
アロハ服市場を崩壊させたとは思えないのですが・・・。
筆者が気付かなかっただけで、
安価なものも売られていたのでしょうか?



(次回に続く)

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リンダ・アーサー著『20世紀のアロハ服』その179 1980~90年代の衣料品生産(6) [リンダ・アーサー著『20世紀のアロハ服』]

元ハワイ大学教授のリンダ・アーサー氏が書いた
『20世紀のアロハ服』という本の翻訳をお届けしています。

現在の話題は、「1980~90年代の衣料品生産」についてです。



『第9章「1980~90年代:ハワイの文化復興とレトロ・スタイル

 衣料品生産(6)

 アラン・ジェームズは、より世界に通用するリゾート服を生産している
アパレル・メーカーの1つである。

ジェームズは1986年にアロハ服市場に参入した。

彼は、高所得者層向けブレザーやキャリア女性向け衣料を含む、
アロハ服とアイデンティティ・アパレル
(訳者補足:それを着ている人の職業や会社名がわかるような服)を生産している。

彼は、彼の使うプリント生地にハワイ文化を再現するつもりでデザインしている。

また、ハワイ大学マノア校のファッション・デザイン学科を1981年に卒業した
プアマナ・クラッブも同様に、
ハワイの伝統に焦点を当ててデザインしている。

デザインズ・バイ・プアマナ・クラッブというブランドは、
フラダンサーやフラのグループ向けの服から始まった。

彼女のアロハ服は、服の上に直接アップリケを施した
ハワイアン・キルト柄をフィーチャーしている。

マモと同様に、彼女のブランドにも、
シルクスクリーン・プリントされた、
ハワイアン・キルト・モチーフの布地が何種類かある。』



アラン・ジェームズのデザインは、
「ハワイアン・ヘリテージ」というブランドで見ることができます。

hawaiian heritage.jpg

(eBayの過去の出品物より引用)

上の柄は、アーサー氏が本の中で紹介しているのと同じ柄になります。
フラを踊る男性と女性が描かれています。


また、プアマナ・クラッブのドレスは、こんな感じです。

il_1140xN.460466468_6l6q.jpg

il_1140xN.460473575_4tos.jpg

https://www.etsy.com/jp/listing/151560438/vintage-puamana-crabbe-designs-dress?show_sold_out_detail=1&ref=nla_listing_details

上の文章で、
「直接アップリケを施したハワイアン・キルト柄」
と説明されているとおりの、手の込んだ服ですね。



(次回に続く)

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リンダ・アーサー著『20世紀のアロハ服』その178 1980~90年代の衣料品生産(5) [リンダ・アーサー著『20世紀のアロハ服』]

元ハワイ大学教授のリンダ・アーサー氏が書いた
『20世紀のアロハ服』という本の翻訳をお届けしています。

現在の話題は、「1980~90年代の衣料品生産」についてです。



『第9章「1980~90年代:ハワイの文化復興とレトロ・スタイル

 衣料品生産(5)

 ハワイの衣料品業界は今日(1999年現在)、
ハワイの製造業で最大の集団を形成しており、
年5億ドルの売上を示している。

衣料品メーカーは生産量の30%を
米国本土と他の国々に輸出しているのだが、
年に1億6500万ドル相当の衣料品が輸出されている。

アロハ服に対する復活した興味関心の多くは、
よりキャリア志向の衣料品ラインにハワイ柄プリントを載せているような
リゾート服の方向に最近移ってきている
グローバルなアピールに対処しなくてはならないのである
(著者注:ハワイ・ファッション産業協会会長
 キャロル・プレギルへのインタビューより引用)。』




(次回に続く)

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