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ハワイの新聞記事から その187 1956 娘たちがオリヴァーのデザインに影響を与える(2) [ハワイの新聞記事から]

筆者が収集した、アロハシャツに関するハワイの新聞記事の中から、
面白そうなものをランダムに選び、翻訳してご紹介しています。

現在は、1956年のホノルル・アドヴァタイザー紙に掲載された、
カハナ・マニュファクチャリング社に関する記事を翻訳しています。
これは「ハワイのファッション産業」というシリーズ記事の第1回目になります。



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https://page.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/m1051237317
(ヤフオク出品物より引用)



『シリーズ ハワイのファッション産業 第1回 カハナ
1956年 娘たちがオリヴァーのデザインに影響を与える(2)
文/ベツィ・ホブス

 もしもエドナ・オリヴァーが、初めてハワイに来たとき、
それは両親からの卒業プレゼントであったのであるが、
ジプシーの水晶玉を覗き込んでいたら、
その予言者は眼鏡を必要としていたことを確信していたであろう。

なぜなら、スタンフォード看護学校の卒業生として、
彼女は、マーチャンダイジングとファッション・デザイン以外のものが頭にあった。

 このことは彼女の夫もその通りであった。

オリヴァー氏はカリフォルニア・ポリテクニック州立大学で
電気工学のキャリアに備えていた。

 しかし彼らは出会い、結婚したのであり、
オリヴァー夫人の巧みなデザインはしばらくの間、
自分と自分の友人たちとその子供たちだけのものであった。

こうした友人たちと、彼女の服の製作を依頼したある小売店に励まされ、
オリヴァー夫妻はこの仕事に飛び込む決意をし、
マーチャント通りに工場を開いた。

これが12年前(訳注:1944年)の、戦争中のことであった。

そして彼らの5人の子供たちと全く同様にビジネスは成長した。

 8年前(訳注:1948年)、オリヴァー夫妻は本土に最初の出荷をした。

カハナ・レーベルでの最近の輸出先は
アイ・マグニン(1994年まで存在した、サンフランシスコ拠点の高級百貨店)であった。

アイ・マグニンの店舗はまもなく、
ホノルル製のクーリー・パンツとジャケットのセットをお披露目するであろう。

その両者には、パラカの生地とラスティーナ・ファブリック
(訳注:マリンソン社の人造繊維。詳細は不明)が使われている。』



カハナはアロハシャツを作っていましたが、
オリヴァー夫人がデザインをしていたということもあり、
女性物の服の方がウェイトが大きかったのかもしれません。
この記事では、女性物の話が中心になっています。

今回の記述で注目すべき部分は、
・1944年に創業したこと
・1948年に米国本土に初めて出荷したこと
・アイ・マグニンのような高級百貨店向けの商品であったこと
などでしょう。


ちなみにヴィンテージ・アロハシャツの織ネームでは、
「カハナ・マニュファクチャリング社」のもののほかに、
「リバティハウス・バイ・カハナ・マニュファクチャリング」というものが存在します。
つまり、本土向け以外にリバティハウスでも販売していた、ということを意味します。
リバティハウスもハワイでは高級百貨店ですからね。



(次回に続く)

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