リンダ・アーサー著『20世紀のアロハ服』その40 1930年代~1945年の衣料品生産(7) [リンダ・アーサー著『20世紀のアロハ服』]
元ハワイ大学教授のリンダ・アーサー氏が書いた
『20世紀のアロハ服』という本の翻訳をお届けしています。
現在は、「1930年代~1945年の衣料品生産」に関する部分で、
ブランフリートについて述べられています。
『第4章「1930年代~1945年
衣料品生産(7)
ブランフリートという会社を特徴づけていたものは
パイナップル・ツイードである。
この生地は目の粗い麻のような外見で耐久性もあるのだが、
それを使って、無地で淡色の、長袖・開襟シャツが作られた。
そしてそのようなシャツはジャケットとも呼ばれた。
唯一の装飾は、
「この土地の人々が、正義に則って末永く暮らせるように」という標語の付いた
ハワイ王家の紋章であった。
ブランフリートは1939年には、
淡色のパイナップル・ツイードを使った、
一連のデューク・カハナモク・スイムウェアを生産したが、
第二次世界大戦中は素材不足のため、
その生産を縮小しなければならなかった。
これはデューク・カハナモクの名前を使った
3つの異なるライセンス契約のうちの最初のものであり、
デューク・カハナモク・レーベルの付いたレーヨンのプリントシャツは
1950年すぎまで生産されなかった
(著者注:あいにく、映画「地上より永遠に」で有名になったシャツは
これまで、他の本では誤って年代付けされてきた。
というのも、デュークの名前を使うライセンス契約に関する
混同があったからである。
デューク・カハナモクは自身の名前を3度ライセンスしたのだが、
有名な「地上より永遠に」シャツにデュークの名前が付いているのは、
2番目のライセンスが結ばれたあとのことであり、
ライセンス契約したのは1950年である。
なぜなら、デューク・カハナモク・シャツの本土での発売を宣伝する写真が
1950年1月のニューヨーク・ポスト紙とデイリー・コンパス紙に載ったことから、
このシャツの年代を1950年と特定できるのである。
しかしながら、それとは別の、スイムウェアのラインは、
1939年の最初のライセンスの衣料品と同様、
カハラが、3番目のライセンス契約の元、1961年に生産したものである)。』
リンダ・アーサー氏は、
「デューク・カハナモクは自身の名前を3度ライセンスした」と述べていますが、
実際は4度目のライセンスもあります。
それは、「カタリナ」とのものです。
その織ネームがこちら ↓ 。
(筆者コレクションより)
年代は明確ではありませんが、
おおよそ1970年代のものと考えられます。
ちなみに、第2期のライセンスはシスコ社とのものです。
その織ネームは、こちら ↓ 。
(筆者コレクションより)
有名なカハナモクのアロハシャツのほとんどは
この時代のものになります。
そして、続く第3期のライセンスは、カハラとのものです。
その織ネームはこちら ↓ 。
(筆者コレクションより)
この時代のアロハシャツで有名なのは、「サックエムアップ」ですね。
それから、上の、パイナップル・ツイードに関する記述に出てくる
「ハワイ王家の紋章」というのは、こちら ↓ です。
(ハワイナビから引用)
なお、「Ua Mau ke Ea o ka ʻĀina i ka Pono.」というハワイ語による標語については
ウィキペディア
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%82%A2%E3%83%BB%E3%83%9E%E3%82%A6%E3%83%BB%E3%82%B1%E3%83%BB%E3%82%A8%E3%82%A2
をご覧ください。
(次回に続く)
『20世紀のアロハ服』という本の翻訳をお届けしています。
現在は、「1930年代~1945年の衣料品生産」に関する部分で、
ブランフリートについて述べられています。
『第4章「1930年代~1945年
衣料品生産(7)
ブランフリートという会社を特徴づけていたものは
パイナップル・ツイードである。
この生地は目の粗い麻のような外見で耐久性もあるのだが、
それを使って、無地で淡色の、長袖・開襟シャツが作られた。
そしてそのようなシャツはジャケットとも呼ばれた。
唯一の装飾は、
「この土地の人々が、正義に則って末永く暮らせるように」という標語の付いた
ハワイ王家の紋章であった。
ブランフリートは1939年には、
淡色のパイナップル・ツイードを使った、
一連のデューク・カハナモク・スイムウェアを生産したが、
第二次世界大戦中は素材不足のため、
その生産を縮小しなければならなかった。
これはデューク・カハナモクの名前を使った
3つの異なるライセンス契約のうちの最初のものであり、
デューク・カハナモク・レーベルの付いたレーヨンのプリントシャツは
1950年すぎまで生産されなかった
(著者注:あいにく、映画「地上より永遠に」で有名になったシャツは
これまで、他の本では誤って年代付けされてきた。
というのも、デュークの名前を使うライセンス契約に関する
混同があったからである。
デューク・カハナモクは自身の名前を3度ライセンスしたのだが、
有名な「地上より永遠に」シャツにデュークの名前が付いているのは、
2番目のライセンスが結ばれたあとのことであり、
ライセンス契約したのは1950年である。
なぜなら、デューク・カハナモク・シャツの本土での発売を宣伝する写真が
1950年1月のニューヨーク・ポスト紙とデイリー・コンパス紙に載ったことから、
このシャツの年代を1950年と特定できるのである。
しかしながら、それとは別の、スイムウェアのラインは、
1939年の最初のライセンスの衣料品と同様、
カハラが、3番目のライセンス契約の元、1961年に生産したものである)。』
リンダ・アーサー氏は、
「デューク・カハナモクは自身の名前を3度ライセンスした」と述べていますが、
実際は4度目のライセンスもあります。
それは、「カタリナ」とのものです。
その織ネームがこちら ↓ 。
(筆者コレクションより)
年代は明確ではありませんが、
おおよそ1970年代のものと考えられます。
ちなみに、第2期のライセンスはシスコ社とのものです。
その織ネームは、こちら ↓ 。
(筆者コレクションより)
有名なカハナモクのアロハシャツのほとんどは
この時代のものになります。
そして、続く第3期のライセンスは、カハラとのものです。
その織ネームはこちら ↓ 。
(筆者コレクションより)
この時代のアロハシャツで有名なのは、「サックエムアップ」ですね。
それから、上の、パイナップル・ツイードに関する記述に出てくる
「ハワイ王家の紋章」というのは、こちら ↓ です。
(ハワイナビから引用)
なお、「Ua Mau ke Ea o ka ʻĀina i ka Pono.」というハワイ語による標語については
ウィキペディア
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%82%A2%E3%83%BB%E3%83%9E%E3%82%A6%E3%83%BB%E3%82%B1%E3%83%BB%E3%82%A8%E3%82%A2
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(次回に続く)
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