ハワイの新聞記事から その411 1937年 ワットムルス~絹織物は最高級品。土産物も並んでいる(4) [ハワイの新聞記事から]
筆者が収集した、
アロハシャツに関する
ハワイの新聞記事の中から
面白そうなものを
ランダムに選び、
翻訳してご紹介しています。
現在は、
1937年のホノルル・
アドヴァタイザー紙に
掲載された、
イースト・インディア・ストアの
取扱商品に関する記事を
翻訳しています。
****************************
(紳士服売場)
****************************
『1937年 ワットムルス~
絹織物は最高級品。
土産物も並んでいる(4)
紳士服飾品はこれまでずっと、
ワットムル氏から多大な関心を
寄せられてきた。
富士絹や、チェック柄や
ピンストライプ柄の塩瀬で
できていて、
体にフィットするよう
上手に仕立てられ
カットされている
さまざまなラインのシャツ、
男性的で力強いストライプ柄の、
富士絹やスパン・シルクを
使った、お洒落なスタイルの、
眠るのに本当に快適な
トラウザーが付いている
パジャマ、
男性用の最新色の金襴の
ラウンジング・パジャマ、
ローブ、キモノ、
スイム・ショーツ、ネクタイ、
ポンジー・ローブなどが、
在庫の豊富な紳士服売場で
見つかるアイテムである。』
****************************
「さまざまなラインのシャツ」が
売られているようですが、
残念ながらアロハシャツは
言及されていません。
1937年と言えば、
ムサシヤ・ショウテンや
キング・スミスなどでは
すでに売られていましたが、
イースト・インディア・ストア
でも売られていたかどうかは
実はよくわからないのです。
もしあったとしても、それは
花柄などの「キモノ柄」か、
タパ柄のような「サモア柄」、
パレオ柄のような
「ポリネシア柄」などであり、
サーファーやフラガール、
キヒキヒやアロハタワーが
描かれているような
「ハワイ柄」はまだ出てきて
いないのではないかと
筆者は考えています
(ハワイ柄が出てくるのは
1938年か39年頃だと
考えています)。
(次回に続く)
アロハシャツに関する
ハワイの新聞記事の中から
面白そうなものを
ランダムに選び、
翻訳してご紹介しています。
現在は、
1937年のホノルル・
アドヴァタイザー紙に
掲載された、
イースト・インディア・ストアの
取扱商品に関する記事を
翻訳しています。
****************************
(紳士服売場)
****************************
『1937年 ワットムルス~
絹織物は最高級品。
土産物も並んでいる(4)
紳士服飾品はこれまでずっと、
ワットムル氏から多大な関心を
寄せられてきた。
富士絹や、チェック柄や
ピンストライプ柄の塩瀬で
できていて、
体にフィットするよう
上手に仕立てられ
カットされている
さまざまなラインのシャツ、
男性的で力強いストライプ柄の、
富士絹やスパン・シルクを
使った、お洒落なスタイルの、
眠るのに本当に快適な
トラウザーが付いている
パジャマ、
男性用の最新色の金襴の
ラウンジング・パジャマ、
ローブ、キモノ、
スイム・ショーツ、ネクタイ、
ポンジー・ローブなどが、
在庫の豊富な紳士服売場で
見つかるアイテムである。』
****************************
「さまざまなラインのシャツ」が
売られているようですが、
残念ながらアロハシャツは
言及されていません。
1937年と言えば、
ムサシヤ・ショウテンや
キング・スミスなどでは
すでに売られていましたが、
イースト・インディア・ストア
でも売られていたかどうかは
実はよくわからないのです。
もしあったとしても、それは
花柄などの「キモノ柄」か、
タパ柄のような「サモア柄」、
パレオ柄のような
「ポリネシア柄」などであり、
サーファーやフラガール、
キヒキヒやアロハタワーが
描かれているような
「ハワイ柄」はまだ出てきて
いないのではないかと
筆者は考えています
(ハワイ柄が出てくるのは
1938年か39年頃だと
考えています)。
(次回に続く)
ハワイの新聞記事から その410 1937年 ワットムルス~絹織物は最高級品。土産物も並んでいる(3) [ハワイの新聞記事から]
筆者が収集した、
アロハシャツに関する
ハワイの新聞記事の中から
面白そうなものを
ランダムに選び、
翻訳してご紹介しています。
現在は、
1937年のホノルル・
アドヴァタイザー紙に
掲載された、
イースト・インディア・ストアの
取扱商品に関する記事を
翻訳しています。
****************************
(ランジェリーとパジャマの売場)
****************************
『1937年 ワットムルス~
絹織物は最高級品。
土産物も並んでいる(3)
イースト・インディア・ストアの
また別の特選品は、
マンダリン・コート(訳者補足:
襟がスタンドカラーになった
コートだと推測される)であり、
昔風の刺繍が付いたものと、
今風の刺繍が付いたものとの
両タイプがある。
それぞれの服をワットムル氏が
自ら選んでおり、
どんな価格帯であろうとも
最高の品質と職人技であることを
彼が保証している。』
(次回に続く)
アロハシャツに関する
ハワイの新聞記事の中から
面白そうなものを
ランダムに選び、
翻訳してご紹介しています。
現在は、
1937年のホノルル・
アドヴァタイザー紙に
掲載された、
イースト・インディア・ストアの
取扱商品に関する記事を
翻訳しています。
****************************
(ランジェリーとパジャマの売場)
****************************
『1937年 ワットムルス~
絹織物は最高級品。
土産物も並んでいる(3)
イースト・インディア・ストアの
また別の特選品は、
マンダリン・コート(訳者補足:
襟がスタンドカラーになった
コートだと推測される)であり、
昔風の刺繍が付いたものと、
今風の刺繍が付いたものとの
両タイプがある。
それぞれの服をワットムル氏が
自ら選んでおり、
どんな価格帯であろうとも
最高の品質と職人技であることを
彼が保証している。』
(次回に続く)
ハワイの新聞記事から その409 1937年 ワットムルス~絹織物は最高級品。土産物も並んでいる(2) [ハワイの新聞記事から]
筆者が収集した、
アロハシャツに関する
ハワイの新聞記事の中から
面白そうなものを
ランダムに選び、
翻訳してご紹介しています。
現在は、
1937年のホノルル・
アドヴァタイザー紙に
掲載された、
イースト・インディア・ストアの
取扱商品に関する記事を
翻訳しています。
****************************
(ランジェリーとパジャマの売場)
****************************
『1937年 ワットムルス~
絹織物は最高級品。
土産物も並んでいる(2)
最高級のシルク製と
織柄入りサテン(訳者補足:
表面が滑らかで
光沢のある絹織物)製の
ラウンジング・パジャマは、
どちらも紳士服仕立てで
刺繍入りであり、
また魅力的なキモノは
たくさんの種類があって、
ビーチウェア用の
華やかなコットン地や、
プリントのシルク地、
裏地ありとなし、
などがあり、
またリバーシブルのキモノや
手織りの無骨なキモノ、
儀式用のローブなどもある。
これら全ては
美しい服の良さがわかる人々に
訴えかけるものとなっている。』
(次回に続く)
アロハシャツに関する
ハワイの新聞記事の中から
面白そうなものを
ランダムに選び、
翻訳してご紹介しています。
現在は、
1937年のホノルル・
アドヴァタイザー紙に
掲載された、
イースト・インディア・ストアの
取扱商品に関する記事を
翻訳しています。
****************************
(ランジェリーとパジャマの売場)
****************************
『1937年 ワットムルス~
絹織物は最高級品。
土産物も並んでいる(2)
最高級のシルク製と
織柄入りサテン(訳者補足:
表面が滑らかで
光沢のある絹織物)製の
ラウンジング・パジャマは、
どちらも紳士服仕立てで
刺繍入りであり、
また魅力的なキモノは
たくさんの種類があって、
ビーチウェア用の
華やかなコットン地や、
プリントのシルク地、
裏地ありとなし、
などがあり、
またリバーシブルのキモノや
手織りの無骨なキモノ、
儀式用のローブなどもある。
これら全ては
美しい服の良さがわかる人々に
訴えかけるものとなっている。』
(次回に続く)
ハワイの新聞記事から その408 1937年 ワットムルス~絹織物は最高級品。土産物も並んでいる(1) [ハワイの新聞記事から]
筆者が収集した、
アロハシャツに関する
ハワイの新聞記事の中から
面白そうなものを
ランダムに選び、
翻訳してご紹介しています。
今回から、
1937年のホノルル・
アドヴァタイザー紙に
掲載された、
イースト・インディア・ストアの
取扱商品に関する記事を
翻訳していきます。
****************************
(ランジェリーとパジャマの売場)
****************************
1937年 ワットムルス~
絹織物は最高級品。
土産物も並んでいる(1)
イースト・インディア・
ストアは、ホノルルで最高級の
東洋の品々の、
異常なまでに興味深く
多様な在庫を持っている。
同店は、
この地元店のために
特別にデザインされ作られた、
細工の細かい手刺繡の下着、
スリップ、ガウン、
パジャマなどで長年有名である。
このことが、
最も入念に刺繍された
女性的なモデルと同じくらい
上質なランジェリーや
テーラード・ウェアにおける、
最も完璧なスタイリングや
最新のファッションを
保証している。』
****************************
前回ご紹介した記事の中で
簡単に説明されていた、
売場と取扱商品について、
この記事ではより詳しく
説明されています。
アロハシャツの記述は
なさそうですが、
それ以外の衣料品などの
様子が描写されると思います。
1937年当時のホノルルの
百貨店の様子が目の前に
浮かんでくることでしょう。
(次回に続く)
アロハシャツに関する
ハワイの新聞記事の中から
面白そうなものを
ランダムに選び、
翻訳してご紹介しています。
今回から、
1937年のホノルル・
アドヴァタイザー紙に
掲載された、
イースト・インディア・ストアの
取扱商品に関する記事を
翻訳していきます。
****************************
(ランジェリーとパジャマの売場)
****************************
1937年 ワットムルス~
絹織物は最高級品。
土産物も並んでいる(1)
イースト・インディア・
ストアは、ホノルルで最高級の
東洋の品々の、
異常なまでに興味深く
多様な在庫を持っている。
同店は、
この地元店のために
特別にデザインされ作られた、
細工の細かい手刺繡の下着、
スリップ、ガウン、
パジャマなどで長年有名である。
このことが、
最も入念に刺繍された
女性的なモデルと同じくらい
上質なランジェリーや
テーラード・ウェアにおける、
最も完璧なスタイリングや
最新のファッションを
保証している。』
****************************
前回ご紹介した記事の中で
簡単に説明されていた、
売場と取扱商品について、
この記事ではより詳しく
説明されています。
アロハシャツの記述は
なさそうですが、
それ以外の衣料品などの
様子が描写されると思います。
1937年当時のホノルルの
百貨店の様子が目の前に
浮かんでくることでしょう。
(次回に続く)
ハワイの新聞記事から その407 1937年 ワットムルス~イースト・インディア・ストアの売場紹介 [ハワイの新聞記事から]
筆者が収集した、
アロハシャツに関する
ハワイの新聞記事の中から
面白そうなものを
ランダムに選び、
翻訳してご紹介しています。
今回は、
1937年のホノルル・
アドヴァタイザー紙に
掲載された、
イースト・インディア・ストアの
売場紹介の写真と説明を
翻訳します。
****************************
『1937年 ワットムルス~
イースト・インディア・
ストアの売場紹介
メンズ・ウェア
シルク・シャツ、パジャマ、
ネクタイ、キモノ、
ラウンジング・ローブ、
スポーツ・ウェア
ビーチ・ウェアと
スポーツ・ウェア
マリヒニ・ハウス・コート、
スイム・スーツ、
ビーチ・パジャマ、
スポーツ・シャツ
ランジェリーとパジャマ
最新カットのスリップ、
ガウン、パンティ、
就寝用パジャマ、
ラウンジ用パジャマ、
ドレッシング・ガウン、
シャンハイ(訳者補足:
中国風デザインの)・
ホステス・ガウン
ヤーディッジ
(訳注:ヤード単位で
切り売りする布地)
ブロケード(金襴)、
ダマスク織、
コットン製プリント生地、
壁縮緬のプリント生地、
ロウ・シルク製
ハンドブロック・プリント生地
キモノ・ルーム
ビーチ・ウェアや
レジャー・ウェア用の
最新キモノ・モード、
マンダリン(訳者補足:
中国風デザインの)・コート、
刺繡入りイブニング・ラップス
ハワイアン売場
手彫りの木製皿、
サラダ・サーバー
(フォークとスプーン)、
テーブル・マット、
土産物、人形 』
****************************
メンズ・ウェアの売場では、
「アロハシャツ」という
表記がありませんが、
1937年には、
「タパ柄」のプリント・
シャツは売られていた
ようなので、上の表記では
「スポーツ・ウェア」の
中に含まれていた
のかもしれません。
(次回に続く)
アロハシャツに関する
ハワイの新聞記事の中から
面白そうなものを
ランダムに選び、
翻訳してご紹介しています。
今回は、
1937年のホノルル・
アドヴァタイザー紙に
掲載された、
イースト・インディア・ストアの
売場紹介の写真と説明を
翻訳します。
****************************
『1937年 ワットムルス~
イースト・インディア・
ストアの売場紹介
メンズ・ウェア
シルク・シャツ、パジャマ、
ネクタイ、キモノ、
ラウンジング・ローブ、
スポーツ・ウェア
ビーチ・ウェアと
スポーツ・ウェア
マリヒニ・ハウス・コート、
スイム・スーツ、
ビーチ・パジャマ、
スポーツ・シャツ
ランジェリーとパジャマ
最新カットのスリップ、
ガウン、パンティ、
就寝用パジャマ、
ラウンジ用パジャマ、
ドレッシング・ガウン、
シャンハイ(訳者補足:
中国風デザインの)・
ホステス・ガウン
ヤーディッジ
(訳注:ヤード単位で
切り売りする布地)
ブロケード(金襴)、
ダマスク織、
コットン製プリント生地、
壁縮緬のプリント生地、
ロウ・シルク製
ハンドブロック・プリント生地
キモノ・ルーム
ビーチ・ウェアや
レジャー・ウェア用の
最新キモノ・モード、
マンダリン(訳者補足:
中国風デザインの)・コート、
刺繡入りイブニング・ラップス
ハワイアン売場
手彫りの木製皿、
サラダ・サーバー
(フォークとスプーン)、
テーブル・マット、
土産物、人形 』
****************************
メンズ・ウェアの売場では、
「アロハシャツ」という
表記がありませんが、
1937年には、
「タパ柄」のプリント・
シャツは売られていた
ようなので、上の表記では
「スポーツ・ウェア」の
中に含まれていた
のかもしれません。
(次回に続く)
ハワイの新聞記事から その406 1937年 ワットムルス~エルシー・ダースはデザイナーであり、教師でもある(5) [ハワイの新聞記事から]
筆者が収集した、
アロハシャツに関する
ハワイの新聞記事の中から
面白そうなものを
ランダムに選び、
翻訳してご紹介しています。
現在は、
1937年のホノルル・
アドヴァタイザー紙に
掲載された、
エルシー・ダースや
その他の店員に関する記事を
翻訳しています。
****************************
****************************
『ワットムルス~
エルシー・ダースは
デザイナーであり、
教師でもある(5)
ワットムルスに長く勤めている
また別の社員は、
サミュエル・ガブリエルである。
彼は1923年に社員になった。
サムはフィリピン島で
生まれたが、
3歳の時ハワイにやって来た。
10年前、サムは
我々がよく知っている
ハワイ人のレイ・セラーの
1人と結婚し、
今では5人の子供の
立派な父親である。
彼は常に微笑みを
浮かべており、
たゆまぬ努力家である。』
****************************
この記事は今回で終わりです。
次回からはまた別の記事を
翻訳していきます。
お楽しみに。
(次回に続く)
アロハシャツに関する
ハワイの新聞記事の中から
面白そうなものを
ランダムに選び、
翻訳してご紹介しています。
現在は、
1937年のホノルル・
アドヴァタイザー紙に
掲載された、
エルシー・ダースや
その他の店員に関する記事を
翻訳しています。
****************************
****************************
『ワットムルス~
エルシー・ダースは
デザイナーであり、
教師でもある(5)
ワットムルスに長く勤めている
また別の社員は、
サミュエル・ガブリエルである。
彼は1923年に社員になった。
サムはフィリピン島で
生まれたが、
3歳の時ハワイにやって来た。
10年前、サムは
我々がよく知っている
ハワイ人のレイ・セラーの
1人と結婚し、
今では5人の子供の
立派な父親である。
彼は常に微笑みを
浮かべており、
たゆまぬ努力家である。』
****************************
この記事は今回で終わりです。
次回からはまた別の記事を
翻訳していきます。
お楽しみに。
(次回に続く)
ハワイの新聞記事から その405 1937年 ワットムルス~エルシー・ダースはデザイナーであり、教師でもある(4) [ハワイの新聞記事から]
筆者が収集した、
アロハシャツに関する
ハワイの新聞記事の中から
面白そうなものを
ランダムに選び、
翻訳してご紹介しています。
現在は、
1937年のホノルル・
アドヴァタイザー紙に
掲載された、
エルシー・ダースや
その他の店員に関する記事を
翻訳しています。
****************************
****************************
『ワットムルス~
エルシー・ダースは
デザイナーであり、
教師でもある(4)
ローラ(訳者補足:イースト・
インディア・ストアの
最古参社員ローラ・ヘメオン)
には二人の魅力的な若い娘、
バーバラ・アンと
ベティ・ジーンがいるが、
その娘たちは
自分たちの母親と同じくらい
イースト・インディア・
ストアにも関心を持っている。
ローラは
顧客やその購入品のことを
何年分も覚えており、
ホノルルで来店しただけなのに
自分たちの購入品や
素材の好みを
ローラが覚えていてくれることを
信頼しているような、
本土の顧客たちの注文にも
頻繁に応じている。』
****************************
戦前のハワイと言えば、
まだそれほどポピュラーな
観光地ではなかったはずですが、
すでに1937年には、
本土からハワイを訪れたのちに
本土に帰っていった人が、
本土の自宅からイースト・
インディア・ストアに
メール・オーダーしていたことが
記述されています。
ハワイ調の服や雑貨を
本土で手に入れるのは
難しい時代だったでしょうから
それなりの上得意客が
いたのかもしれませんね。
(次回に続く)
アロハシャツに関する
ハワイの新聞記事の中から
面白そうなものを
ランダムに選び、
翻訳してご紹介しています。
現在は、
1937年のホノルル・
アドヴァタイザー紙に
掲載された、
エルシー・ダースや
その他の店員に関する記事を
翻訳しています。
****************************
****************************
『ワットムルス~
エルシー・ダースは
デザイナーであり、
教師でもある(4)
ローラ(訳者補足:イースト・
インディア・ストアの
最古参社員ローラ・ヘメオン)
には二人の魅力的な若い娘、
バーバラ・アンと
ベティ・ジーンがいるが、
その娘たちは
自分たちの母親と同じくらい
イースト・インディア・
ストアにも関心を持っている。
ローラは
顧客やその購入品のことを
何年分も覚えており、
ホノルルで来店しただけなのに
自分たちの購入品や
素材の好みを
ローラが覚えていてくれることを
信頼しているような、
本土の顧客たちの注文にも
頻繁に応じている。』
****************************
戦前のハワイと言えば、
まだそれほどポピュラーな
観光地ではなかったはずですが、
すでに1937年には、
本土からハワイを訪れたのちに
本土に帰っていった人が、
本土の自宅からイースト・
インディア・ストアに
メール・オーダーしていたことが
記述されています。
ハワイ調の服や雑貨を
本土で手に入れるのは
難しい時代だったでしょうから
それなりの上得意客が
いたのかもしれませんね。
(次回に続く)
ハワイの新聞記事から その404 1937年 ワットムルス~エルシー・ダースはデザイナーであり、教師でもある(3) [ハワイの新聞記事から]
筆者が収集した、
アロハシャツに関する
ハワイの新聞記事の中から
面白そうなものを
ランダムに選び、
翻訳してご紹介しています。
現在は、
1937年のホノルル・
アドヴァタイザー紙に
掲載された、
エルシー・ダースや
その他の店員に関する記事を
翻訳しています。
****************************
****************************
『ワットムルス~
エルシー・ダースは
デザイナーであり、
教師でもある(3)
イースト・インディア・
ストアの最古参社員は
ローラ・ヘメオン女史であり、
多くの地元住民や旅行者には
「ローラ」として
親しまれている。
彼女は、旧姓のローラ・
シルヴィアとして、
ブレイズデル・ホテル内にあった
旧店舗に勤めるようになり、
それ以来現在まで、
ほぼ切れ目なく働いている。』
****************************
(ブレイズデル・ホテルの外観)
****************************
エルシー・ダースの話は
前回までで終わり、
今回からは、
また別の写真の話に
移ったようです。
もう少し情報が
欲しかったですね。
残念です。
(次回に続く)
アロハシャツに関する
ハワイの新聞記事の中から
面白そうなものを
ランダムに選び、
翻訳してご紹介しています。
現在は、
1937年のホノルル・
アドヴァタイザー紙に
掲載された、
エルシー・ダースや
その他の店員に関する記事を
翻訳しています。
****************************
****************************
『ワットムルス~
エルシー・ダースは
デザイナーであり、
教師でもある(3)
イースト・インディア・
ストアの最古参社員は
ローラ・ヘメオン女史であり、
多くの地元住民や旅行者には
「ローラ」として
親しまれている。
彼女は、旧姓のローラ・
シルヴィアとして、
ブレイズデル・ホテル内にあった
旧店舗に勤めるようになり、
それ以来現在まで、
ほぼ切れ目なく働いている。』
****************************
(ブレイズデル・ホテルの外観)
****************************
エルシー・ダースの話は
前回までで終わり、
今回からは、
また別の写真の話に
移ったようです。
もう少し情報が
欲しかったですね。
残念です。
(次回に続く)
ハワイの新聞記事から その403 1937年 ワットムルス~エルシー・ダースはデザイナーであり、教師でもある(2) [ハワイの新聞記事から]
筆者が収集した、
アロハシャツに関する
ハワイの新聞記事の中から
面白そうなものを
ランダムに選び、
翻訳してご紹介しています。
現在は、
1937年のホノルル・
アドヴァタイザー紙に
掲載された、
エルシー・ダースに関する記事を
翻訳しています。
****************************
(1950年頃のエルシー・ダース)
****************************
『ワットムルス~
エルシー・ダースは
デザイナーであり、
教師でもある(2)
彼女(訳者補足:エルシー・
ダース)はこれまで、
ロウシルクにハンドブロック・
プリントされた
自身のハワイアン・デザインで
全国的な名声を得てきた。
多くのデザイン学校や大学が
彼女のハワイアン・デザインを
とても面白いと考えており、
それらの生地の完全なセットを
自分たちのテキスタイル・
コレクションに加えてきた。
スポーツウェア売場や
子供服売場、
ハワイアン売場での
特別な飾りつけが
ダース夫人によって
全てなされた結果、
それらの売場は
色やデザインにおいて
滅多にないほど
魅力的になっている。』
****************************
前回の翻訳部分に、
エルシー・ダースは
イースト・インディア・
ストアの社員であると
書かれていましたが、
具体的にどういうことなのか
ちょっと不明でした。
今回の記事を読むと
それは、テキスタイル・
デザインだけでなく、
売場の装飾デザインも
行っていたのだと
わかりました。
なるほど、それも広い意味での
デザインの仕事だったのですね。
(次回に続く)
アロハシャツに関する
ハワイの新聞記事の中から
面白そうなものを
ランダムに選び、
翻訳してご紹介しています。
現在は、
1937年のホノルル・
アドヴァタイザー紙に
掲載された、
エルシー・ダースに関する記事を
翻訳しています。
****************************
(1950年頃のエルシー・ダース)
****************************
『ワットムルス~
エルシー・ダースは
デザイナーであり、
教師でもある(2)
彼女(訳者補足:エルシー・
ダース)はこれまで、
ロウシルクにハンドブロック・
プリントされた
自身のハワイアン・デザインで
全国的な名声を得てきた。
多くのデザイン学校や大学が
彼女のハワイアン・デザインを
とても面白いと考えており、
それらの生地の完全なセットを
自分たちのテキスタイル・
コレクションに加えてきた。
スポーツウェア売場や
子供服売場、
ハワイアン売場での
特別な飾りつけが
ダース夫人によって
全てなされた結果、
それらの売場は
色やデザインにおいて
滅多にないほど
魅力的になっている。』
****************************
前回の翻訳部分に、
エルシー・ダースは
イースト・インディア・
ストアの社員であると
書かれていましたが、
具体的にどういうことなのか
ちょっと不明でした。
今回の記事を読むと
それは、テキスタイル・
デザインだけでなく、
売場の装飾デザインも
行っていたのだと
わかりました。
なるほど、それも広い意味での
デザインの仕事だったのですね。
(次回に続く)
ハワイの新聞記事から その402 1937年 ワットムルス~エルシー・ダースはデザイナーであり、教師でもある(1) [ハワイの新聞記事から]
筆者が収集した、
アロハシャツに関する
ハワイの新聞記事の中から
面白そうなものを
ランダムに選び、
翻訳してご紹介しています。
今回から新たに、
1937年のホノルル・
アドヴァタイザー紙に
掲載された、
エルシー・ダースに関する記事を
翻訳していきます。
****************************
(1950年頃のエルシー・ダース)
****************************
『ワットムルス~
エルシー・ダースは
デザイナーであり、
教師でもある(1)
イースト・インディア・
ストアの全社員の中で
おそらく最もよく
知られているのは、
テキスタイル・デザイナーであり
陶芸の教師でもある
エルシー・ダースであろう。
彼女は1925年以来
ホノルルを生活の場としており、
ここ数年はホノルル・
アカデミー・オブ・アーツと
連携して陶芸のクラスを
教えている。
彼女が最初に美術を学んだのは
ポートランド美術学院であり、
その後は
カリフォルニア大学である。
1934年から35年にダース夫人は
ミネソタ大学と
ミネアポリス美術大学で
デザインと陶製彫刻を
学ぶために
東部で1年を過ごした。』
****************************
エルシー・ダースは
イースト・インディア・
ストアのG・J・ワットムルの
妻エレンの妹であり、
そのつながりで、1936年頃に、
ハワイ柄のテキスタイル
(主にカーテンなどの生地)を
デザインし、イースト・
インディア・ストアから
発売しています。
筆者はこれまで、
彼女はフリーランスの立場で
デザインしていたのだと
考えていましたが、
上の記事では、
「社員として勤めていた」
ように書かれています。
また1925年に
ハワイに来たことや、
ホノルル・アカデミー・
オブ・アーツで陶芸のクラスを
教えていたことなどは
今回初めて知りました。
(次回に続く)
アロハシャツに関する
ハワイの新聞記事の中から
面白そうなものを
ランダムに選び、
翻訳してご紹介しています。
今回から新たに、
1937年のホノルル・
アドヴァタイザー紙に
掲載された、
エルシー・ダースに関する記事を
翻訳していきます。
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(1950年頃のエルシー・ダース)
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『ワットムルス~
エルシー・ダースは
デザイナーであり、
教師でもある(1)
イースト・インディア・
ストアの全社員の中で
おそらく最もよく
知られているのは、
テキスタイル・デザイナーであり
陶芸の教師でもある
エルシー・ダースであろう。
彼女は1925年以来
ホノルルを生活の場としており、
ここ数年はホノルル・
アカデミー・オブ・アーツと
連携して陶芸のクラスを
教えている。
彼女が最初に美術を学んだのは
ポートランド美術学院であり、
その後は
カリフォルニア大学である。
1934年から35年にダース夫人は
ミネソタ大学と
ミネアポリス美術大学で
デザインと陶製彫刻を
学ぶために
東部で1年を過ごした。』
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エルシー・ダースは
イースト・インディア・
ストアのG・J・ワットムルの
妻エレンの妹であり、
そのつながりで、1936年頃に、
ハワイ柄のテキスタイル
(主にカーテンなどの生地)を
デザインし、イースト・
インディア・ストアから
発売しています。
筆者はこれまで、
彼女はフリーランスの立場で
デザインしていたのだと
考えていましたが、
上の記事では、
「社員として勤めていた」
ように書かれています。
また1925年に
ハワイに来たことや、
ホノルル・アカデミー・
オブ・アーツで陶芸のクラスを
教えていたことなどは
今回初めて知りました。
(次回に続く)