ハワイの新聞記事から その402 1937年 ワットムルス~エルシー・ダースはデザイナーであり、教師でもある(1) [ハワイの新聞記事から]
筆者が収集した、
アロハシャツに関する
ハワイの新聞記事の中から
面白そうなものを
ランダムに選び、
翻訳してご紹介しています。
今回から新たに、
1937年のホノルル・
アドヴァタイザー紙に
掲載された、
エルシー・ダースに関する記事を
翻訳していきます。
****************************
(1950年頃のエルシー・ダース)
****************************
『ワットムルス~
エルシー・ダースは
デザイナーであり、
教師でもある(1)
イースト・インディア・
ストアの全社員の中で
おそらく最もよく
知られているのは、
テキスタイル・デザイナーであり
陶芸の教師でもある
エルシー・ダースであろう。
彼女は1925年以来
ホノルルを生活の場としており、
ここ数年はホノルル・
アカデミー・オブ・アーツと
連携して陶芸のクラスを
教えている。
彼女が最初に美術を学んだのは
ポートランド美術学院であり、
その後は
カリフォルニア大学である。
1934年から35年にダース夫人は
ミネソタ大学と
ミネアポリス美術大学で
デザインと陶製彫刻を
学ぶために
東部で1年を過ごした。』
****************************
エルシー・ダースは
イースト・インディア・
ストアのG・J・ワットムルの
妻エレンの妹であり、
そのつながりで、1936年頃に、
ハワイ柄のテキスタイル
(主にカーテンなどの生地)を
デザインし、イースト・
インディア・ストアから
発売しています。
筆者はこれまで、
彼女はフリーランスの立場で
デザインしていたのだと
考えていましたが、
上の記事では、
「社員として勤めていた」
ように書かれています。
また1925年に
ハワイに来たことや、
ホノルル・アカデミー・
オブ・アーツで陶芸のクラスを
教えていたことなどは
今回初めて知りました。
(次回に続く)
アロハシャツに関する
ハワイの新聞記事の中から
面白そうなものを
ランダムに選び、
翻訳してご紹介しています。
今回から新たに、
1937年のホノルル・
アドヴァタイザー紙に
掲載された、
エルシー・ダースに関する記事を
翻訳していきます。
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(1950年頃のエルシー・ダース)
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『ワットムルス~
エルシー・ダースは
デザイナーであり、
教師でもある(1)
イースト・インディア・
ストアの全社員の中で
おそらく最もよく
知られているのは、
テキスタイル・デザイナーであり
陶芸の教師でもある
エルシー・ダースであろう。
彼女は1925年以来
ホノルルを生活の場としており、
ここ数年はホノルル・
アカデミー・オブ・アーツと
連携して陶芸のクラスを
教えている。
彼女が最初に美術を学んだのは
ポートランド美術学院であり、
その後は
カリフォルニア大学である。
1934年から35年にダース夫人は
ミネソタ大学と
ミネアポリス美術大学で
デザインと陶製彫刻を
学ぶために
東部で1年を過ごした。』
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エルシー・ダースは
イースト・インディア・
ストアのG・J・ワットムルの
妻エレンの妹であり、
そのつながりで、1936年頃に、
ハワイ柄のテキスタイル
(主にカーテンなどの生地)を
デザインし、イースト・
インディア・ストアから
発売しています。
筆者はこれまで、
彼女はフリーランスの立場で
デザインしていたのだと
考えていましたが、
上の記事では、
「社員として勤めていた」
ように書かれています。
また1925年に
ハワイに来たことや、
ホノルル・アカデミー・
オブ・アーツで陶芸のクラスを
教えていたことなどは
今回初めて知りました。
(次回に続く)
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