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ハワイの新聞記事から その389 1979年 ワットムルス~エレン・ジェンセン・ワットムルへのインタビュー第4弾(1) [ハワイの新聞記事から]

筆者が収集した、
アロハシャツに関する
ハワイの新聞記事の中から
面白そうなものを
ランダムに選び、
翻訳してご紹介しています。

今回からは、
1979年に行われた
エレン・ジェンセン・
ワットムルへの、
前回とは日を改めた、
また別のインタビュー
(第4弾)を
翻訳していきます。

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スクリーンショット 2023-04-26 230147.jpg

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『ワットムルス~
エレン・ジェンセン・
ワットムルへのインタビュー
第4弾(1)
インタビュー/
キャサリン・B・アレン

---今日は、G・J・ワットムルの
人生とその時代について、
あなたに語って
いただきたいと思います。

回想や経験、 節目となる出来事、
私たちのコミュニティの
リーダーであり、国際的な
リーダーでもあったこの人物の
特徴や個性などについてです。

 夫はずっとG・J・
ワットムルとして
知られていましたが、
友人たちはいつもG・Jと
呼んでいました。

インドではゴビンドラム・
ジャマンダス・
ワットムルという
名前を付けられたのです。

ゴビンドラムという名前は、
生まれたときに
付けられた名前です。

ジャマンダスは家名で、
ワットムルは、
彼の兄がこの国に来たときに
付けた名前です。

彼の兄がワットムルという
名前だったため、
なぜ兄がワットムルさんで、
弟がゴビンドラムさんなのかを
人々は理解できません
でした(笑)。

それで、法的に変更したのです。

 妻である私は、彼のことを
ゴマと呼んでいました。

彼の人柄は、外向的で温かく、
誰をも受け入れてくれる
ものでした。

彼は人のことを、
下に見たり上に見たり
することは全くなく、
自分が学ぶことができる
友人のような人であると
疑いなく思っていました。

 私たちは、一緒に広範囲に
旅行したわけではありません。

多少はありましたが。

二人で中国に行ったことも
ありますし、私は一度、
一人で行ったこともあります。

フォート・ストリートにあり、
その当時はイースト・
インディア・ストアと
呼ばれていた、
私たちの会社の
買い付けのためです。

私たちはさまざまな
アンティークを買いました。

美しい手刺繍のリネンや、
美しい手刺繍のランジェリーや、
手彫りのチェストや
チーク材のチェスト、
そして信じられない
かもしれませんが、
インド製のスパニッシュ・
ショールも購入しました。』

****************************

ワットムルという名前は
元々の彼の苗字ではなく、
彼の兄の名前であり、
ジャマンダスというのが
元々の苗字だった、
そしてややこしいから
ワットムルに法的に変更した
という話は、
今回初めて知りました。

買い付けの話は、
以前のインタビューでも
出てきましたね。



(次回に続く)

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ハワイの新聞記事から その388 1979年 ワットムルス~エレン・ジェンセン・ワットムルへのインタビュー第3弾 [ハワイの新聞記事から]

筆者が収集した、
アロハシャツに関する
ハワイの新聞記事の中から
面白そうなものを
ランダムに選び、
翻訳してご紹介しています。

今回からは、
1979年に行われた
エレン・ジェンセン・
ワットムルへの、
前回とは別のインタビュー
(第3弾)を
翻訳していきます。

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スクリーンショット 2023-04-26 230147.jpg

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『ワットムルス~
エレン・ジェンセン・
ワットムルへのインタビュー
第3弾
インタビュー/
キャサリン・B・アレン

・・・中略・・・

 私の知る限り、インドから
ハワイに来たのは夫が初めてで、
それはおそらく
1917年のことでした。

---第一次世界大戦中ですか?
ご主人のお兄さん(原注:
ジャマンダス・ワットムル)は
ご主人に先立って
ハワイに来たのですか?
(原注:1916年に来た)

 そうなんです。夫の兄が先に
来ていました。義兄はマニラで
商売をしていたのですが、
昔のパートナー(原注:
ロキラム・ダランダス)が
ハワイにやってきて
(原注:1913年に
サンフランシスコに
向かう途中で)、
ここの自由さに魅了され、
若い女性たちに
大きな関心を寄せていました。

実際、彼は一人に
ピアノをプレゼントした
くらいですから。

そのため、1913年に設立された
イースト・インディア・ストアで
彼らの下で働いていた
中国人女性が、
マニラにいた義兄に
手紙を書いて、
「もし商売を続けたいなら、
こっちに来た方が
いいですよ。」と言ったんです。

そして、彼はそうしました。

義兄は夫より6歳年上ですが、
今も(訳者補足:1979年現在)
生きています。

(原注:ハワイに初めて来た
インド人は、実際は
ロキラム・ダランダスでした。)

義兄がマニラに
帰りたいということで、
私の夫に、ホノルルに来て
後を継ぐようにと
電報を打ったのです。

義兄のジャマンダス・
ワトゥムルがハワイに来た当時、
ハワイにはインド人の
コミュニティは
ありませんでした。

実際、私の夫が
唯一のインド人でした
(原注:二人のパートナーが
マニラに帰ったため)。』

****************************

インタビューの第2弾は、
実際はかなり長いものでしたが
翻訳してみたところ、
家族の話やインドの話などが
延々続き、筆者が知りたい
内容は出て来なかったため、
前回1回のご紹介で
終わってしまいました。
失礼いたしました。

そして今回から第3弾が
始まりました。
こちらも実際に訳してみたら
有益な情報はほとんど
出て来なかったという結果に
なるかもしれませんが、
なにかしらの情報は出てくると
思いますので、
少し辛抱してお読みください。



(次回に続く)

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ハワイの新聞記事から その387 1978年 ワットムルス~エレン・ジェンセン・ワットムルへのインタビュー第2弾 [ハワイの新聞記事から]

筆者が収集した、
アロハシャツに関する
ハワイの新聞記事の中から
面白そうなものを
ランダムに選び、
翻訳してご紹介しています。

今回からは、
1978年に行われた
エレン・ジェンセン・
ワットムルへの、
前回とは別のインタビュー
(第2弾)を
翻訳していきます。

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スクリーンショット 2023-04-26 230147.jpg

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『ワットムルス~
エレン・ジェンセン・
ワットムルへのインタビュー
第2弾
インタビュー/ポーリーン・
N・キング・ジョーガー

---ワットムルさんとの出会いを教えてください。

 出会って2年ほど後の
1922年7月5日に、
カリフォルニア州
レッドウッドシティで
結婚しました。

というのも、私は家に
帰りたかったからです。

私の両親は国際結婚のような
形にすることを嫌がったので、
私たちは
レッドウッドシティに行き、
そこで結婚式を挙げました。

正確には役人ではありませんが、
マトソン・ナビゲーション社の
トップエンジニアか何かを
やっていた友人が、
私たちにはいました。

私たちがサンフランシスコの
事務所に行くと、
「あなたが
高位のカーストだということを
証明する書類は
どこにありますか?」と
言われました。

夫は「ホノルルの
私の机の中にある」と
言いました。

まさか、それが
絵に描いた餅になるとは
思いませんでした。

すると事務員が、
「あなたはアメリカ人女性とは
結婚できませんよ。」と
言ったのです。

夫は色黒ではなかったんですが。

---その後、あなたの妹さんも
ハワイに来たんですよね?

 ええ、来ました。

エルシー・ジェンセン・
ダース(Elsie [Jensen] Das)
です。

若いインド人、
クマール・ダースと出会い、
二人は恋に落ちて結婚しました。

彼は、サトウキビから抽出される
さまざまな砂糖について、
HSPA(ハワイ砂糖生産者協会)
で素晴らしい研究を
していたのですが、
フラスコか何かに
入っていたものが破裂して
彼の頸静脈を直撃し、
彼は死んでしまいました。

ひどい話です。』

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前回のインタビュー
(1972年に行われた
第1弾)は
生活に関する話が多く
あまり参考にならなかったので
大部分は省略してしまいました。

今回からお届けするのは、
その6年後に行われた
インタビュー第2弾です。
ただ、こちらも
重複する話が出てきそうで
ちょっと不安なのですが、
できるだけ面白そうな部分を
抜き出して、
お届けすることにします。



(次回に続く)

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ヤフオクで見かけたヴィンテージアロハシャツ(267)新出品のアロハシャツ [ヤフオクで見かけたヴィンテージアロハシャツ]

本日は週末なので、
恒例の「ヤフオクで見かけた
ヴィンテージアロハシャツ」を、
お届けします。

今回も、
「新出品のアロハシャツ」を
ご紹介します。

まず最初はこちらです。
前回ご紹介したのと同じ
「シャヒーンズ・オブ
・ホノルル」のアロハです。

shaheen's.jpg

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https://page.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/b1091857595

宇宙人のような模様が
縦・横・斜めに繰り返された
不思議な柄です。
これは「アロハシャツ」と呼んで
いいのだろうかと
ふと思ってしまいます。

素材はレーヨン、
プリントは抜染、
ボタンはココナッツ製です。


実はこの柄の色違いがあります。

shaheen .jpg

shaheen2.jpg

(筆者コレクションより)

ブランドは同じ
「シャヒーンズ」です。

配色が変わると
印象はかなり違いますね。


続いてご紹介するのは
こちらです。

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button.jpg

https://page.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/x1091641922

ややデフォルメされた
ハイビスカスと、その他の花と
葉っぱが描かれています。
わりと普通な花柄なので
合わせやすそうです。

素材はレーヨン、
プリントは抜染、
ボタンは尿素ボタンで、
ブランドは
「ウィートリー」です。


そしてもう1つ。

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button 2.jpg

https://page.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/s1090859765

ディズニーランドの
有名アトラクション
「Enchanted Tiki Room」。
=「魅惑のティキルーム」を
柄に起こしたシャツです。

古着屋さんでも
たまに見かけますが
「非売品」に
なっていることも多く、
希少で人気が高い1着です。

これ以上ないほど
カラフルなところが
いいですよね。

素材はコットン、
ボタンはプラスチック製で、
織ネームは
「ディズニーランド」です。
1960年代にディズニーランドで
売られていたのでしょう。

東京ディズニーランドで、
ぜひ復刻販売してほしいですが、
このカラフルな柄を再現するのは
コスト的にも技術的にも
難しいかもしれませんね。


今回はこの辺で。
次回をお楽しみに。



(次回に続く)

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ヤフオクで見かけたヴィンテージアロハシャツ(266)新出品のアロハシャツ [ヤフオクで見かけたヴィンテージアロハシャツ]

本日は週末なので、
恒例の「ヤフオクで見かけた
ヴィンテージアロハシャツ」を、
お届けします。

今回は、
「新出品のアロハシャツ」を
ご紹介します。

まず最初はこちらです。

スクリーンショット 2023-05-12 224133.jpg

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https://page.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/c1091529397

「シャヒーンズ・オブ
・ホノルル」の、
パイナップルと極楽鳥花と、
渦巻き模様の柄です。
シャヒーンズらしく、
ちょっと風変わりな柄ですね。

素材はコットン、
ボタンはココナッツ製です。


もう1つも果実の柄です。

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https://page.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/s1091234676

ブレッドフルーツの実と
モンステラと思われる葉を
組み合わせた、
横方向のボーダー柄です。
緑の地にピンクの柄というのが
なかなか洒落ていますね。

織ネームは
「メイドインハワイ」と
なっています。

素材はコットン、
ボタンは古銭ボタンです。

胸ポケット口が
横一文字のタイプなので
1960年代後半か70年代の
製品でしょうか?


今回はこの辺で。
次回をお楽しみに。




(次回に続く)

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ハワイの新聞記事から その386 1972年 ワットムルス~エレン・ジェンセン・ワットムルへのインタビュー(10) [ハワイの新聞記事から]

筆者が収集した、
アロハシャツに関する
ハワイの新聞記事の中から
面白そうなものを
ランダムに選び、
翻訳してご紹介しています。

現在は、
1972年に行われた
エレン・ジェンセン・
ワットムルへのインタビューを
翻訳しています。

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スクリーンショット 2023-04-26 230147.jpg

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『ワットムルス~
エレン・ジェンセン・
ワットムルへのインタビュー(10)
インタビュー/
キャサリン・B・アレン

 キエレ通りの家は
大成功とは
言えませんでしたし、
庭がとても狭く、
子供たちが遊べるのは
カピオラニ公園だけでしたから、
そこが私たちの終の棲家には
なり得ないと判断しました。

そこで私たちは別の場所を探し、
最終的には、ケエアウモク通りと
ドミニス通りの角にある
旧ホッジンズ邸を購入したのです
(ケエアウモク通り1732番地)。

周囲には約1エーカー
(約4047平方メートル
=1224.17坪)の土地があり、
購入した当時は築50年でしたが、
私たちはその家に住む
ほんの3番目の家族でした。

・・・中略・・・

 私たちは以前、その近所に
しばらく住んでいたことが
あります。

真向かいのエルシーの家です。

エルシーの夫のクマーが
ミネソタ大学で
博士号を取得する間、
彼女とクマーは
留守にしていましたから。

そんなわけで、私たちは
この辺りのことを
よく知っていました。

ハナハウオリ・スクールから
ほんの1ブロックのところに
ありましたから、
学校まで歩いて行き、
歩いて帰るのは簡単で、
天候に左右されることも
ありませんでしたし、
必要であれば昼食のために
家に帰ることもできました。』

****************************

「ケエアウモク通り1732番地」が
現在どうなっているか、
ストリートビューで
調べてみました。

すると教会になっていました。

1732 Keeaumoku st.jpg

「Honolulu Church of Christ」
という名の教会です。

確かに静かで環境のよさそうな
住宅地ですね。


そしてその向かいに、
エルシー・ダースは
住んでいたそうです。

アロハシャツの歴史にとって
それほど重要な情報
というわけではありませんが・・・。




(次回に続く)

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ハワイの新聞記事から その385 1972年 ワットムルス~エレン・ジェンセン・ワットムルへのインタビュー(9) [ハワイの新聞記事から]

筆者が収集した、
アロハシャツに関する
ハワイの新聞記事の中から
面白そうなものを
ランダムに選び、
翻訳してご紹介しています。

現在は、
1972年に行われた
エレン・ジェンセン・
ワットムルへのインタビューを
翻訳しています。

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スクリーンショット 2023-04-26 230147.jpg

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『ワットムルス~
エレン・ジェンセン・
ワットムルへのインタビュー(9)
インタビュー/
キャサリン・B・アレン

・・・中略・・・

 やがて、クリオウオウ
(訳者補足:ハワイカイの
手前の左側)から
通いで勤めることが
少し難しくなってきたので、
それ以前にしばらく借りていた
ハネウェル通り(訳者補足:
マノア渓谷、ハワイ大学の近く)
の家に戻り、その後、
ダイヤモンドヘッドの近くの
キール通りに
家を建てることに決めました。

1929年に大恐慌が
全国を襲ったせいで
私たちもお金をたくさん
持っていたわけではありません。

また大恐慌はホノルルを
すぐに襲うことは
ありませんでしたが、
1930年には
その深刻な影響を感じて、
そこから立ち直るために
試行錯誤しなくては
なりませんでした。

 夫は、従業員を
解雇することも、
給料をカットすることも
ありませんでした。

私たちは自分たちの
身を削ったのです。

実際、1930年か1931年には
私はドレスを2着しか持てず、
そのどちらも5ドルだったのを
覚えています。

その2着が
とてもひどいというわけでは
ありませんでしたが、
私たちは生き延びて、
借金をすることもなく、
なんとか乗り切ったのです。』

****************************

1920年代のハワイは
本土の富裕層が訪れる
観光地だったわけですが、
本土の大恐慌の影響で
観光業が大打撃を受けたで
あろうことは
容易に想像がつきます。

ちょうどここ数年の、
コロナ禍のハワイのような
感じだったことでしょう。

ワットムル夫妻が経営する
「イースト・インディア・
ストア」は観光客相手に
土産物を売る店だったので、
影響も大きかったでしょうね。
そのあたりの苦労が
語られているわけです。

このあとどうなるのでしょう。
続きをお楽しみに。



(次回に続く)

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ハワイの新聞記事から その384 1972年 ワットムルス~エレン・ジェンセン・ワットムルへのインタビュー(8) [ハワイの新聞記事から]

筆者が収集した、
アロハシャツに関する
ハワイの新聞記事の中から
面白そうなものを
ランダムに選び、
翻訳してご紹介しています。

現在は、
1972年に行われた
エレン・ジェンセン・
ワットムルへのインタビューを
翻訳しています。

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スクリーンショット 2023-04-26 230147.jpg

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『ワットムルス~
エレン・ジェンセン・
ワットムルへのインタビュー(8)
インタビュー/
キャサリン・B・アレン

・・・中略・・・

 もちろん、夫が出張とか
東洋への買い付けに
出かけなければならない
時期もありました。

というのも、当時
イースト・インディア・ストアは
東洋から、美しいハンドメイドの
ものだけを
輸入していましたから。

美しい手刺繍のリネン、
シルクの下着、
手彫りのチェスト、
中国やインドのラグ、
インドの手捺染の布、
そして長い間とても人気があった、
素晴らしい古いスペインの
ショールなどです。

 当時は工夫が必要でした。
というのも、
(訳者補足:夫だけでなく)
私もまた店番をし、商売を続け、
夜も働かなければ
ならなかったからです。

朝の4時まで働いたことが
あったのを今も思い出します。

家で飾り付けをした後、
クリスマスに向けて
店の窓のトリミングをしたり
しましたから。

でもそれはずっと後のこと
だったかしら。

ケエアウモク通り
1731番地にある
エルシー
(訳者補足:妹のエルシー・
ダース)の家に私たちが
いたときの話ですから。』

****************************

妹のエルシー・ダースの
話が出てきました。

いつ頃の話なのかは
よくわかりませんが、
エレン・ワットムルと夫は
エルシーの家に居候していた
時期があったようです。

「だから何?」という話ですが。

また、最初のうち、
つまり1920年代から30年代は、
G・J・ワットムル自身が
東洋に買い付けに行っていた
ようです。

服を売る店というよりは
東洋の布地や、置物などの雑貨を
売る店だったのです。



(次回に続く)

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ハワイの新聞記事から その383 1972年 ワットムルス~エレン・ジェンセン・ワットムルへのインタビュー(7) [ハワイの新聞記事から]

筆者が収集した、
アロハシャツに関する
ハワイの新聞記事の中から
面白そうなものを
ランダムに選び、
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現在は、
1972年に行われた
エレン・ジェンセン・
ワットムルへのインタビューを
翻訳しています。

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スクリーンショット 2023-04-26 230147.jpg

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『ワットムルス~
エレン・ジェンセン・
ワットムルへのインタビュー(7)
インタビュー/
キャサリン・B・アレン

---ワットムルさんとの出会いを
教えてください。

 私が初めて彼に会ったのは、
1920年の秋のことでした。

私は当時、
私のような単身者が住める、
マノアバレーで唯一の下宿、
そしてホノルルでも
本当に唯一の下宿であると
言われていたところに
引っ越しました。

今もラニフリ・ドライブと
マッキンリー通りの角
(ラニフリドライブ
2065番地)に建っています。

当時は2人の姉妹、
クララとアイダ・
ジーグラーによって
運営されていました。

2人ともマッキンリー高校で
教鞭をとっていました。

・・・中略・・・

 この同じ建物に
住んでいたのが、
マンドルフ夫人です。

彼女は、フォート通りの
ブレイズデル・ホテルの
中にあるイースト・
インディア・ストアの
すぐ隣で
眼鏡店を営んでいました。

彼女は、G・J・ワットムルを
狙ってたんですよ。

彼女は未亡人でしたし、
もちろん男性を
狙っていたわけですが、
彼女は彼よりも
だいぶ年上でした。

ある夜、彼女は、
自分と私と一緒に
ドライブに出かけようと
彼を誘いました。

それどころか実際は、
私はワイキキビーチの
水泳教室に
行っていました。

彼はマンドルフ夫人と私を
とても親切に
ビーチに案内してくれ、
その後、私を拾って、
私たち二人の家まで
送ってくれました。

ですから、そうやって
初めて彼に会ったわけです。

私たち3人は常に一緒に
出掛けていたので、
私を、彼女と一緒ではなく、
一人で連れて行きたいのだと、
彼はあとになって
彼女に言いました。(笑)。

 もちろん私は、
生徒への音楽の指導は
続けていました。

幼稚園を使わせてもらい、
そこに自分のピアノを置いて、
そこで個人的に生徒に
教えていました。

その後、結婚する
1922年の夏まで、
ハナハウオリ校で
音楽を教えていました。』

****************************

話が遅々として進みませんが、
ようやく、エレン・ワットムルが
G・J・ワットムルと
出会った時の話が出てきました。

もうしばらく
お付き合いください。



(次回に続く)

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ハワイの新聞記事から その382 1972年 ワットムルス~エレン・ジェンセン・ワットムルへのインタビュー(6) [ハワイの新聞記事から]

筆者が収集した、
アロハシャツに関する
ハワイの新聞記事の中から
面白そうなものを
ランダムに選び、
翻訳してご紹介しています。

現在は、
1972年に行われた
エレン・ジェンセン・
ワットムルへのインタビューを
翻訳しています。

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スクリーンショット 2023-04-26 230147.jpg

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『ワットムルス~
エレン・ジェンセン・
ワットムルへのインタビュー(6)
インタビュー/
キャサリン・B・アレン

 1919年12月23日に、
ハワイ行きの、古い古い
ルアライン号で出航しました。

貨物の他に90人の乗客もいて、
9日半の船旅で
1920年1月1日に
ホノルルに到着しました。

 船が港に着くと、
船首に美しい虹が
かかっていました。

ハワイアンにとって
虹は幸せと幸運の象徴である
ということを、
私はその時まだ
知りませんでした。

ハナハウオリ校で
音楽を教えるという職を
得たときには、
ホノルルに来てまだ
2、3日しか経って
いませんでした。

ちなみにその学校は、
ずっとあとになって、
うちの子供たちみんなが
通ったところです。

 当時のホノルルは、
木々が生い茂り、道は細く、
まだ馬車も走っていた、
美しく小さな街でした。

私は幸運にも、
現在カピオラニ病院がある
ビンガム通り1625番地に、
クララ・サザーランド夫人と
一緒に住むことになりました。

サザーランド夫人の
祖父というのは、
1820年にハワイ諸島に
やってきた宣教師たちの
第一陣を率いた
ハイラム・ビンガム1世で、
私はちょうどその100年後に
来たわけです。(笑)

・・・中略・・・

 当時、ホノルルで
一番話題になっていたのは、
オリンピックで優勝した
デューク・カハナモクで、
ホノルルで一番売れた写真は、
彼がオリンピックの
飛び込み競技で賞を取った、
スワン・ダイブをしている
写真だったと思います。』

****************************

エレン・ワットムルが
ハワイに来るときに乗船した
「ルアライン号」というのは
先日ご紹介した、
こちらのシャツ ↓

i-img900x1200-16832132731hpemr433482.jpg

SS Lurline.jpg

にも出てきた客船です。



(次回に続く)

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