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ハワイの新聞記事から その385 1972年 ワットムルス~エレン・ジェンセン・ワットムルへのインタビュー(9) [ハワイの新聞記事から]

筆者が収集した、
アロハシャツに関する
ハワイの新聞記事の中から
面白そうなものを
ランダムに選び、
翻訳してご紹介しています。

現在は、
1972年に行われた
エレン・ジェンセン・
ワットムルへのインタビューを
翻訳しています。

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スクリーンショット 2023-04-26 230147.jpg

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『ワットムルス~
エレン・ジェンセン・
ワットムルへのインタビュー(9)
インタビュー/
キャサリン・B・アレン

・・・中略・・・

 やがて、クリオウオウ
(訳者補足:ハワイカイの
手前の左側)から
通いで勤めることが
少し難しくなってきたので、
それ以前にしばらく借りていた
ハネウェル通り(訳者補足:
マノア渓谷、ハワイ大学の近く)
の家に戻り、その後、
ダイヤモンドヘッドの近くの
キール通りに
家を建てることに決めました。

1929年に大恐慌が
全国を襲ったせいで
私たちもお金をたくさん
持っていたわけではありません。

また大恐慌はホノルルを
すぐに襲うことは
ありませんでしたが、
1930年には
その深刻な影響を感じて、
そこから立ち直るために
試行錯誤しなくては
なりませんでした。

 夫は、従業員を
解雇することも、
給料をカットすることも
ありませんでした。

私たちは自分たちの
身を削ったのです。

実際、1930年か1931年には
私はドレスを2着しか持てず、
そのどちらも5ドルだったのを
覚えています。

その2着が
とてもひどいというわけでは
ありませんでしたが、
私たちは生き延びて、
借金をすることもなく、
なんとか乗り切ったのです。』

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1920年代のハワイは
本土の富裕層が訪れる
観光地だったわけですが、
本土の大恐慌の影響で
観光業が大打撃を受けたで
あろうことは
容易に想像がつきます。

ちょうどここ数年の、
コロナ禍のハワイのような
感じだったことでしょう。

ワットムル夫妻が経営する
「イースト・インディア・
ストア」は観光客相手に
土産物を売る店だったので、
影響も大きかったでしょうね。
そのあたりの苦労が
語られているわけです。

このあとどうなるのでしょう。
続きをお楽しみに。



(次回に続く)

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