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ハワイの新聞記事から その383 1972年 ワットムルス~エレン・ジェンセン・ワットムルへのインタビュー(7) [ハワイの新聞記事から]

筆者が収集した、
アロハシャツに関する
ハワイの新聞記事の中から
面白そうなものを
ランダムに選び、
翻訳してご紹介しています。

現在は、
1972年に行われた
エレン・ジェンセン・
ワットムルへのインタビューを
翻訳しています。

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スクリーンショット 2023-04-26 230147.jpg

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『ワットムルス~
エレン・ジェンセン・
ワットムルへのインタビュー(7)
インタビュー/
キャサリン・B・アレン

---ワットムルさんとの出会いを
教えてください。

 私が初めて彼に会ったのは、
1920年の秋のことでした。

私は当時、
私のような単身者が住める、
マノアバレーで唯一の下宿、
そしてホノルルでも
本当に唯一の下宿であると
言われていたところに
引っ越しました。

今もラニフリ・ドライブと
マッキンリー通りの角
(ラニフリドライブ
2065番地)に建っています。

当時は2人の姉妹、
クララとアイダ・
ジーグラーによって
運営されていました。

2人ともマッキンリー高校で
教鞭をとっていました。

・・・中略・・・

 この同じ建物に
住んでいたのが、
マンドルフ夫人です。

彼女は、フォート通りの
ブレイズデル・ホテルの
中にあるイースト・
インディア・ストアの
すぐ隣で
眼鏡店を営んでいました。

彼女は、G・J・ワットムルを
狙ってたんですよ。

彼女は未亡人でしたし、
もちろん男性を
狙っていたわけですが、
彼女は彼よりも
だいぶ年上でした。

ある夜、彼女は、
自分と私と一緒に
ドライブに出かけようと
彼を誘いました。

それどころか実際は、
私はワイキキビーチの
水泳教室に
行っていました。

彼はマンドルフ夫人と私を
とても親切に
ビーチに案内してくれ、
その後、私を拾って、
私たち二人の家まで
送ってくれました。

ですから、そうやって
初めて彼に会ったわけです。

私たち3人は常に一緒に
出掛けていたので、
私を、彼女と一緒ではなく、
一人で連れて行きたいのだと、
彼はあとになって
彼女に言いました。(笑)。

 もちろん私は、
生徒への音楽の指導は
続けていました。

幼稚園を使わせてもらい、
そこに自分のピアノを置いて、
そこで個人的に生徒に
教えていました。

その後、結婚する
1922年の夏まで、
ハナハウオリ校で
音楽を教えていました。』

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話が遅々として進みませんが、
ようやく、エレン・ワットムルが
G・J・ワットムルと
出会った時の話が出てきました。

もうしばらく
お付き合いください。



(次回に続く)

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