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ハワイの新聞記事から その388 1979年 ワットムルス~エレン・ジェンセン・ワットムルへのインタビュー第3弾 [ハワイの新聞記事から]

筆者が収集した、
アロハシャツに関する
ハワイの新聞記事の中から
面白そうなものを
ランダムに選び、
翻訳してご紹介しています。

今回からは、
1979年に行われた
エレン・ジェンセン・
ワットムルへの、
前回とは別のインタビュー
(第3弾)を
翻訳していきます。

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スクリーンショット 2023-04-26 230147.jpg

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『ワットムルス~
エレン・ジェンセン・
ワットムルへのインタビュー
第3弾
インタビュー/
キャサリン・B・アレン

・・・中略・・・

 私の知る限り、インドから
ハワイに来たのは夫が初めてで、
それはおそらく
1917年のことでした。

---第一次世界大戦中ですか?
ご主人のお兄さん(原注:
ジャマンダス・ワットムル)は
ご主人に先立って
ハワイに来たのですか?
(原注:1916年に来た)

 そうなんです。夫の兄が先に
来ていました。義兄はマニラで
商売をしていたのですが、
昔のパートナー(原注:
ロキラム・ダランダス)が
ハワイにやってきて
(原注:1913年に
サンフランシスコに
向かう途中で)、
ここの自由さに魅了され、
若い女性たちに
大きな関心を寄せていました。

実際、彼は一人に
ピアノをプレゼントした
くらいですから。

そのため、1913年に設立された
イースト・インディア・ストアで
彼らの下で働いていた
中国人女性が、
マニラにいた義兄に
手紙を書いて、
「もし商売を続けたいなら、
こっちに来た方が
いいですよ。」と言ったんです。

そして、彼はそうしました。

義兄は夫より6歳年上ですが、
今も(訳者補足:1979年現在)
生きています。

(原注:ハワイに初めて来た
インド人は、実際は
ロキラム・ダランダスでした。)

義兄がマニラに
帰りたいということで、
私の夫に、ホノルルに来て
後を継ぐようにと
電報を打ったのです。

義兄のジャマンダス・
ワトゥムルがハワイに来た当時、
ハワイにはインド人の
コミュニティは
ありませんでした。

実際、私の夫が
唯一のインド人でした
(原注:二人のパートナーが
マニラに帰ったため)。』

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インタビューの第2弾は、
実際はかなり長いものでしたが
翻訳してみたところ、
家族の話やインドの話などが
延々続き、筆者が知りたい
内容は出て来なかったため、
前回1回のご紹介で
終わってしまいました。
失礼いたしました。

そして今回から第3弾が
始まりました。
こちらも実際に訳してみたら
有益な情報はほとんど
出て来なかったという結果に
なるかもしれませんが、
なにかしらの情報は出てくると
思いますので、
少し辛抱してお読みください。



(次回に続く)

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