会員誌「パートナー」2002年6月号掲載 「アロハシャツの歴史」その2 [月刊パートナー]
パートナー2002年6月号掲載 「アロハシャツの歴史」その2
最初は日本調の和服柄だった
(その1から続く)
(筆者コレクションより)
意外だと思う人もいるだろうが、
アロハシャツはもともとは和服の柄のシャツだった。
日本からハワイに渡った人々が家庭で、
着古した和服から仕立てたのが最初だと考えられているからだ。
貧しかった彼らは和服を、生地が擦り切れるほど長く着て、
擦り切れたら何度も継ぎを当てて着て、最後の最後に、
破れていない部分を有効に使って子供用のシャツにしたということらしい。
おそらくは1920年代から30年代初頭のことだろう。
そのようなシャツは日系や中国系の人々の間に徐々に広がり、
そのうち、日本から輸出されていた和服用の新品の反物から
直接作る人も出てきただろう。
そして子供だけでなく若者の間にも、一種のファッションとして広がっていく。
30年代のはじめから半ばにかけて、チャンの店かどうかはともかく、
下町のどこかの雑貨店が既製品として売り始め、また誰かがアロハシャツと名付けた。
そうしてあちこちの店で売られるようになっていった。
アロハシャツの始まりはこんな感じであろうか。
(次回に続く)
最初は日本調の和服柄だった
(その1から続く)
(筆者コレクションより)
意外だと思う人もいるだろうが、
アロハシャツはもともとは和服の柄のシャツだった。
日本からハワイに渡った人々が家庭で、
着古した和服から仕立てたのが最初だと考えられているからだ。
貧しかった彼らは和服を、生地が擦り切れるほど長く着て、
擦り切れたら何度も継ぎを当てて着て、最後の最後に、
破れていない部分を有効に使って子供用のシャツにしたということらしい。
おそらくは1920年代から30年代初頭のことだろう。
そのようなシャツは日系や中国系の人々の間に徐々に広がり、
そのうち、日本から輸出されていた和服用の新品の反物から
直接作る人も出てきただろう。
そして子供だけでなく若者の間にも、一種のファッションとして広がっていく。
30年代のはじめから半ばにかけて、チャンの店かどうかはともかく、
下町のどこかの雑貨店が既製品として売り始め、また誰かがアロハシャツと名付けた。
そうしてあちこちの店で売られるようになっていった。
アロハシャツの始まりはこんな感じであろうか。
(次回に続く)
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