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会員誌「パートナー」2002年6月号掲載 「アロハシャツの歴史」その5 [月刊パートナー]

パートナー2002年6月号掲載 「アロハシャツの歴史」その5

京都の繊細な柄の生地が重宝された

(その4から続く)

 第二次大戦後、冷房のない官庁や企業で働く人々が、
アロハシャツを職場で着ることを許可してほしいと運動し、
着用の権利を獲得することで、単なるみやげ品から地元の人の実用品へと変わっていく。
それと共にメーカーの数は飛躍的に増え、柄も多様化していった。
その要望に応えたのが、工賃が安く、少ない分量でも注文に応じてくれ、
しかも和服で培った高い技術を持つ、
復興期の日本の、主に京都のプリント工場だった。
レーヨンの縮緬や羽二重という和服独特の生地に、
ハワイや日本の風景、鷲や虎や龍といった動物の姿などを
繊細なタッチと陰影のある多色で描いたものが主にプリントされた。

Takabuki Co. 鶴・富士・小槌 表.jpg
Takabuki Co. 鶴・富士・小槌 柄1.jpg
Takabuki Co. 鶴・富士・小槌 柄2.jpg
(筆者コレクションより)

中には20色以上使った驚異的な技による鮮やかな柄もあるほどだ。
そんな日本製のプリント生地が、
ハワイの、主に日系や中国系の人々が営む家族経営の小さな工場で
シャツに仕立てられるという組み合わせが、40~50年代は多かったようである。
(次回に続く)
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