SSブログ

ハワイの衣料品製造業の歴史 その184 1950年 ハワイのテキスタイル・デザイン(4) [ファンダバーク著ハワイの衣料品製造業]

ファンダバーク教授の本『ハワイの衣料品製造業の歴史』の翻訳をお届けしています。

現在は、「戦中・戦後編」の章を少しずつ翻訳しているところです。
今回も引き続き、「ハワイのテキスタイル・デザイン」という話題になります。



『1950年 ハワイのテキスタイル・デザイン(4)

  1940年代後半のハワイでよく知られた、
 もう1人別のテキスタイル・デザイナーは、
 マイロン・ヴァン・ブラント氏である。

 彼はパリとニューヨークでの画業を経てハワイにやって来たのだが、
 その際ユニークなバティック芸術を持ち込んだ。

 それは、下絵描き、染料作り、染め、デザインの知識を必要とすると言われている。

 パラダイス・オブ・ザ・パシフィック誌1949年6月号掲載の、
 ”ジャワ・バティック、「ハワイのスタイル」”と題された
 エセリン・ミーレによる記事には次のような記述がある。

  ”数年前、ヴァン・ブラント氏は
  ニューヨークの慌ただしさと誘惑的美しさに疲れていたところ、
  友人たちに勧められ、美と安らぎを堪能するためにハワイへやって来た。

  その際、バティックを携えてきたのだが、
  それ以来、自らが主宰するカリヒ・ヴァレー・スタジオで、
  そのバティックを生かしてのんびりと仕事をしてきた。

  彼はハワイに熱を上げていたので、
  ハワイほど芸術の霊感が湧くところは世界中のどこにもないと言い切った。

  そしてこのような霊感が湧くのは、植生や環境のおかげなのはもちろんだが、
  それだけではなく、タパのような昔の芸術作品のおかげでもあると彼は指摘する。

  彼がデザインした生地は、スカーフ、ホロク、ムームーを創作するのに
  特に適しており、
  また、まったく同じものは決して再生産されず、
  彼自身の名前とサインが入っているという点で独特のものである。” 』



マイロン・ヴァン・ブラントについては、
教授の本の中でもすでに取り上げられており、
当ブログでも過去にご紹介しています。
経歴や絵画作品などについては以下のブログ記事をご覧ください。


ハワイの衣料品製造業の歴史 その103 1940年 衣料品製造産業が、
地元と全国の注目を集め続ける(3)

https://vintage-aloha-shirt.blog.ss-blog.jp/2020-05-07


ハワイの衣料品製造業の歴史 その131 1946年 ハワイでの、オーダーメードの
デザイナーと服のスタイル(4)

https://vintage-aloha-shirt.blog.ss-blog.jp/2020-07-28-1



m_Myron20van20Brundt2020(188720-201963).jpg

(askart.comより引用)



(次回に続く)

nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:ファッション

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。