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ハワイの衣料品製造業の歴史 その103 1940年 衣料品製造産業が、地元と全国の注目を集め続ける(3) [ファンダバーク著ハワイの衣料品製造業]

ファンダバーク教授の本の翻訳が続きます。


1940年の、ハワイの衣料品製造業の状況についての、
雑誌記事からの引用です。


 『1940年 衣料品製造産業が、
      地元と全国の注目を集め続ける(3)

   ”この作品は、キング通りの、グロスマン・ムーディの隣に、
  マリオン・ダグラス株式会社という名で別の店がオープンして、
  そこで取り扱ってもらえるという成功にも巡り合った。
  なにしろグロスマン・ムーディと言えば、
  ジュリア・ブリッツの手になるハワイの花がハンドブロック・プリントされた
  美しいガウンやホロクのような高級なハワイアン・ファッションを
  扱っている店である。
  グロスマン・ムーディのマーガレット・フレミングも
  効果的なハンドブロック・プリントの同様の手法を使っている。”

   ”マイロン・ヴァン・ブラントがまた別の手法を使っている。
  彼は蝋を塗るという方法を用いて、
  フリーハンドで生地に直接ハワイの花のデザインを描き、
  蝋が柔らかい状態で取り去るのである。
  彼はこの手法を、ホロクやイブニング・ドレス、
  美しいタペストリーなどに特に用いている。
  この珍しい作品は、リバティハウス・ワイキキ、エルシー・クラッサス、
  そしてプウヌイ通り2516にある
  ヴァン・ブラント・スタジオで見られるかもしれない。
  そのスタジオでヴァン・ブラント氏は、
  イブニング・ガウンや衣裳のデザイナーである
  モリー・マクルーア・クレイグと共同して作品制作を行っている。” 』


 マイロン・ヴァン・ブラントというのは、1887年生まれの画家で、
パリでジャワ・バティックの手法を学び、
1914年にニューヨークに戻ったあと、そのファブリック・デザインが
注目されるようになったそうです。
その後、1935年にハワイに渡り、バティックのデザインを提供したようなので、
以前、ファンダバーク教授の記述に、
「1935~36年頃にバティックのシャツやドレスが流行した」とありましたが、
その生地のデザインをしていたのは、このヴァン・ブラントかもしれません。

Myron van Brundt  (1887 - 1963).jpg
(askart.comより引用)

 ヴァン・ブラントは画家として、ハワイ(と思われる)風景をいろいろ描いています。
von Brundt work.jpg
(ポスター作品より。askart.comより引用)

また、花の絵もたくさん描いたようです。例えば ↓こんな絵も彼の作品です。
prod_16000048809.jpg
d8518c4d06d9f1b9e90f38197f752892.jpg
85ac18b4-d3c0-4b54-9699-b395acd821b7_1.63f57a9b5e65a1ba39bf036a4c503c7f.jpg
(kmart.comより引用)

このような絵を見ていると、こんな↓アロハシャツのテキスタイルデザインも彼が手掛けた
(あるいは、彼の絵を借用して別の人がデザインした)ような気もしてきます。
似ていると思いませんか?

i-img1200x900-1564818844lnvkyy454687.jpg
i-img1200x900-1564818848owcrbn488919.jpg
(パリハワイアンスタイルの1950年代後半頃のアロハシャツ。
 ヤフオクの出品物から引用)


雑誌記事からの引用はまだ続きます。



(次回に続く)

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