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ハワイの衣料品製造業の歴史 その183 1950年 ハワイのテキスタイル・デザイン(3) [ファンダバーク著ハワイの衣料品製造業]

ファンダバーク教授の本『ハワイの衣料品製造業の歴史』の翻訳をお届けしています。

現在は、「戦中・戦後編」の章を少しずつ翻訳しているところです。
今回も引き続き、「ハワイのテキスタイル・デザイン」という話題になります。



『1950年 ハワイのテキスタイル・デザイン(3)

  「ハワイのデザイナーたちは多くのネタ元からアイデアを集める」と
 題された記事の中で、アナベル・デーモンは次のように述べている。

  ”本土の多くのデザイナーたちが、ここ数か月のうちに、
  自社に持ち帰れるアイデアを探しにハワイにやって来た。

  ところが、最も成功を収めているデザインは、
  まさにハワイで、ハワイのテキスタイル・デザイナーたちによって
  生み出されたということを身をもって体験した。”

  ”新しいプリント工程が米国東部で、非常に急速に発達してきており、
  プリント生地製造の多くがそこでなされる。

  ハワイの絵描きたちはそのような新しい技術工程に付いていくよう
  強く迫られている。

  そのため数人の絵描きは、プリント生地に関する話を直接聞くため、
  今年米国本土への旅行を計画している。”

  ”ハワイでデザインされたプリント生地が成功した最大の要因は、
  それらがハワイの「雰囲気」を持っていることである。

  そのような強みがあるため、
  多くのデザインは来年中に実際のプリント生地になる可能性がある。”

  ”ハワイでデザインされ作られた製品を本土で販売促進する活動のおかげで、
  国中の主要都市でハワイ製品の売れ行きが加速している。”

  ”そしてもちろん、ハワイは、シャツ、スカート、スポーツウェア、ムームーを
  ますます多く買っているため、ハワイ自身のデザインの最良顧客でもある。”

  ”テキスタイル・デザインで腕試しをしたい新米の絵描きにとって、
  今は来年の秋のアロハ・ウィーク用のデザインを提出する時期である。” 』



この新聞記事の中で、
「新しいプリント工程が米国東部で、非常に急速に発達してきており、・・・
 ハワイの絵描きたちはそのような新しい技術工程に付いていくよう
 強く迫られている。」
という部分に、筆者は反応してしまいました。

というのも、アロハシャツにも関係してくる、非常に重要なことが
述べられているように思うからです。

これだけを読むと、少しわかりにくいのですが、新しいプリント工程とは、
「レーヨンの抜染」のことを指しているのではないでしょうか?


従来からあるオーバープリントであれば、
普通に絵を描くように写実的に描けばいいのですが、
抜染は、版画のように、面を強調するタッチのため、
上手に簡略化する技が求められるからです。

例えば、ヤシの木を描く場合に、
オーバープリントなら、こんな感じ ↓ 

DSCN1240.JPG

で、繊細に描きこみ、色も細かく塗り分けますが、
抜染なら、こんな感じ ↓

DSCN8978.JPG

で、大胆に面だけで描き、色も1色(ないし2色)で簡単に表現してしまいます。

これが、「このような絵の描き方に慣れることを強く要請された」
という意味ではないかと思うのです。

実際、新聞広告と実物とを筆者が見比べてきた限りでは、
レーヨンの抜染のアロハシャツは、1940年代後半に登場し、
この記事が書かれた1950年には質と量の両面において頂点を極めたと考えられ、
「新しいプリント工程」という言葉にも符合するように思えるのです。

そして例えばジョン・メイグスは、抜染のためのデザインを描くことに
非常にうまく対応したテキスタイル・デザイナーの1人だと筆者には思えるのです。



(次回に続く)


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