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ハワイの衣料品製造業の歴史 その185 1950年 ハワイのテキスタイル・デザイン(5) [ファンダバーク著ハワイの衣料品製造業]

ファンダバーク教授の本『ハワイの衣料品製造業の歴史』の翻訳をお届けしています。

現在は、「戦中・戦後編」の章を少しずつ翻訳しているところです。
今回も引き続き、「ハワイのテキスタイル・デザイン」という話題で、
この項はまだしばらく続きます。



『1950年 ハワイのテキスタイル・デザイン(5)

  1956年6月のホノルル・アドヴァタイザー紙に載った記事は、
 ヴァン・ブラント氏は「バティックを、パリから合衆国に流行素材として
 1915年に初めて紹介」し、その後4年間、
 自分のバティック作品をニューヨークのボンウィット・テラー
 (訳注:かつてニューヨークにあった高級デパート)で販売したと述べている。

 さらにその記事は次のように書いている。

  ”ハワイのプリント生地を生み出したすべての人々の中で、
  ワイキキのマイロン・ヴァン・ブラントは、
  最も独自の製品を駆使した、おそらく最も高度に専門的な人であろう。”

  ”彼は自身の作品の、デザイナーであり、
  生産スタッフであり、セールスマンである。”

  ”そして彼はバティックの分野だけで仕事をする。
  その工程で、彼のデザイン(もともとはインドネシア原産のものであるが)は、
  耐高温ワックスの生地にペイントされる。”

  ”薄い色からより濃い色へと連続して塗り重ねるには、
  ワックスを新たに塗布し新たに染めることが必要となる。” 』



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