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ハワイの新聞記事から その163 1984 ジョージ・ブランジエへのインタビュー(30) [ハワイの新聞記事から]

筆者が収集した、アロハシャツに関するハワイの新聞記事の中から、
面白そうなものをランダムに選び、翻訳してご紹介しています。

現在は引き続き、1984年に行われた、
カハラ共同創業者ジョージ・ブランジエへのインタビューを、
文字に起こしたものを翻訳しています。



George-Brangier (2).jpg

『ジョージ・ブランジエへのインタビュー(30)
インタビュー/ケン・プラット

ケン・プラット:ボードをなくしたことはありますか?

ジョージ・ブランジエ:一度もありません。

ケン・プラット:一度もないんですか。

ジョージ・ブランジエ: とりあえず海に入ると、
立ち上がるのをやめて腹ばいになるんです。

ところで、古参のフレッド・コーデスを覚えていますか?

ケン・プラット:もちろんです。

ジョージ・ブランジエ:フレッドは中空のロング・ボードを持って
やってきました。

そして夜遅くにもう一度来たのです。

彼はボードを失い、見つけることができませんでした。

ケン・プラット:フレッドは、
(訳者補足:すでに歳が行っていた)1970年代後半から80年代前半でさえ
素晴らしい男でした。

彼はその年代に仲間に加わりました。

島を一周するリレーを覚えていますか?

各人が、多分5マイルずつ・・・。

ジョージ・ブランジエ:彼は走っていて亡くなったのです。

ケン・プラット:そうなんですか?

ジョージ・ブランジエ:ええ。

フレッドは当時79歳で、
アラワイ(訳注:ワイキキの運河沿いの道)で
1日3マイルか4マイルのジョギングを始めたんです。

道を行ったり来たりして。

ケン・プラット:その話は知りませんでした。

ジョージ・ブランジエ:そして彼はそこでばったりと倒れて
亡くなったんです。

ケン・プラット:そういうことだと理解してはいませんでした。

彼はガンで亡くなったと思っていました。

ジョージ・ブランジエ:マッカリーに向かって
(訳者補足:西方向に向かって)走っていたのですが、
彼の息子がやって来て彼の身元を特定しました。

そして警察はフレッドの妻を呼びました。

彼女は素晴らしい女性でした。

ケン・プラット:今でも素晴らしいですよ。

ジョージ・ブランジエ:彼女はまだ存命ですか?

ケン・プラット:ええ。

ジョージ・ブランジエ:警察は彼女に電話して、
「こちらに来て、あなたの夫の身元を特定したいですか」と聞きました。

すると彼女は、「いいえ、息子がすでに彼に会っているので結構です。

今朝早くに、彼が笑顔でアパートを出たときの様子をずっと覚えています」と言いました。

ケン・プラット:素晴らしいです。

いかにもコーデス夫人らしい話ですね。

彼女がまだ生きているかどうか私はよくわかりませんが、
セントラル・ユニオン教会での、それほど昔のことではない彼女の姿を思い出します。

もちろん息子さんは、まだ元気に活動していますよ…。 』




(次回に続く)

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