SSブログ

ハワイの新聞記事から その159 1984 ジョージ・ブランジエへのインタビュー(26) [ハワイの新聞記事から]

筆者が収集した、アロハシャツに関するハワイの新聞記事の中から、
面白そうなものをランダムに選び、翻訳してご紹介しています。

現在は引き続き、1984年に行われた、
カハラ共同創業者ジョージ・ブランジエへのインタビューを、
文字に起こしたものを翻訳しています。



George-Brangier (2).jpg

『ジョージ・ブランジエへのインタビュー(26)
インタビュー/ケン・プラット

ジョージ・ブランジエ:ジャッドの所有地、ええ、その通りです。

そして、私たちはそれ(訳者補足:サーフボードの自作)に取り組み始め、
ボードをシェイプしました。

もちろん私は、
アベ(訳者補足:ビーチボーイの一人)が私に言ったことに従っているだけで、
ボードをシェイプすることについては私は何も知りませんでした。

そして私たちは、紙やすりで磨けるようになるまで長い時間をかけて削り、
ようやく紙やすりで磨きました。

その結果、そのすごいものは約85ポンドか90ポンドの重さになりました。

ケン・プラット:ええ。私はそれらの1つを持っていましたよ。

ジョージ・ブランジエ:クレッグホーン通りの中ほどにある
小さな通り、カピリ通りまでそれを運ばなければなりませんでした。

ケン・プラット:はい。

ジョージ・ブランジエ:私は2階まで持って上がりました。

そこに家を持っていたのです。

最初に、亜麻仁油を1回塗ります。

そんなことはできないとみんなに言われたので、
私は「できますよ」と言いました。

塗ったあと24時間で余分な油を拭き取ります。

ニスは内側から外側の順番で乾くので、ニスは塗りません。

シェラック(紫香)は外側から内側の順番で乾くので、シェラックを塗ります。

そしてシェラックは密封されます。

こうやって亜麻仁油を密封します。

次に、シェラックを1回塗り、ニスを2回塗り、ニスを4~5回重ねました。

当時はワックスがありませんでした。

きっとあなたも覚えていると思いますが。

ケン・プラット:ワックスをいつ使い始めたのか私は覚えていません。

定かではありませんが、より軽量のサーフボードを使い始めた頃に
ワックスも使い始めたのではないかと思います。』



「カピリ通り」というのがどこにあるのか調べてみると、
クヒオとアラワイの間で、
位置的には「デュークカハナモク像をまっすぐ山の方に入ったあたり」でした。

スクリーンショット 2022-06-07 231808.jpg

スクリーンショット 2022-06-07 232320.jpg

(グーグルマップより引用)







(次回に続く)

nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:ファッション

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。