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ハワイの新聞記事から その158 1984 ジョージ・ブランジエへのインタビュー(25) [ハワイの新聞記事から]

筆者が収集した、アロハシャツに関するハワイの新聞記事の中から、
面白そうなものをランダムに選び、翻訳してご紹介しています。

現在は引き続き、1984年に行われた、
カハラ共同創業者ジョージ・ブランジエへのインタビューを、
文字に起こしたものを翻訳しています。



George-Brangier (2).jpg

『ジョージ・ブランジエへのインタビュー(25)
インタビュー/ケン・プラット

ケン・プラット:ええ、私は当時、
年配のロリン・サーストンが彼の大きなボードを持って道を渡ったのを覚えています。

あなたは彼の大きなボードを覚えていますか?

彼はかつて地獄からコウモリのように出かけていました。

ジョージ・ブランジエ:ええ、私はルディ・チョイが作った
中空のボードを1つ持っていました。

それは、長さ13フィート・重さ85ポンドで、
私がこれまでに見たどんなものをも超えていました。

スケグ(訳注:フィン状のもの)はなく、均整の取れた形です。

ケン・プラット:ところで、あなたは
すべてのボードを経験しましたか?

レッドウッドのボードを持っていたように。

ジョージ・ブランジエ:私が初めて手に入れた
最初のレッドウッドですね。

ビーチボーイの一人であるアベが私に
「ケオキ、きみはボードを手に入れなければならないよ」と言ったので、
私が「うん」と言うと、
彼は「オーケー、明日ルワーズ・アンド・クックに行こう」と言いました。

それで私たちはそこへ向かい、
長さ20フィート・厚さ4インチ、
そしてよく覚えていないけれどたしか幅20インチぐらいのがあり、
私たちは持ち上げてみました。

そして私は「ねえ、軽くならないどころか、重くなってきたから、
2番にしよう」と言って2番を選び、支払いました。

彼らはそれをブリキの屋根の下に置いて乾かしてくれました。

そして6か月後に彼らに電話をかけると、彼らはそれを半分に切って、
モアナの隣の空き地の真正面に持って来てくれました。

いまは新しいサーフライダー・ホテルが建っている場所で、
当時は大きな空き地だったのです。

ケン・プラット:ええ、覚えていますよ。

あれはジャッドの所有地でしたね。』




ルワーズ・アンド・クックというのは、材木商のようなものでしょうか?
こちら ↓ に詳しいストーリーが書かれていますので、
興味のある方はお読みください。

https://imagesofoldhawaii-com.translate.goog/lewers-cooke/?_x_tr_sl=en&_x_tr_tl=ja&_x_tr_hl=ja&_x_tr_pto=sc

スクリーンショット 2022-06-06 230817.jpg

スクリーンショット 2022-06-06 231058.jpg

(Images of Old HawaiʻiのHPより引用)



(次回に続く)

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