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ハワイの新聞記事から その157 1984 ジョージ・ブランジエへのインタビュー(24) [ハワイの新聞記事から]

筆者が収集した、アロハシャツに関するハワイの新聞記事の中から、
面白そうなものをランダムに選び、翻訳してご紹介しています。

現在は引き続き、1984年に行われた、
カハラ共同創業者ジョージ・ブランジエへのインタビューを、
文字に起こしたものを翻訳しています。



George-Brangier (2).jpg

『ジョージ・ブランジエへのインタビュー(24)
インタビュー/ケン・プラット


(中略)

ケン・プラット:ジョージ、あなたは何年もの間、
古い場所にあったクラブと生活を共にしていました。

実際、あなたは1920年代半ばの古いフイ・ナルの場所を覚えています。

ジョージ・ブランジエ:ええ。

ケン・プラット:私たちのクラブが
その場所から移転しなければならなかったとき、
このことはあなたにとって打撃でしたか?

ジョージ・ブランジエ:確かに打撃でした。

なぜなら打ち寄せる波はそこのほうがずっとよかったからです。

ケン・プラット:だからウルニウ・スイミングクラブに
滞在していたのですか?

ジョージ・ブランジエ:そうです。

打ち寄せる波がはるかに良かったので、
私はそこにサーフボードを1つ持っていて、
新しいクラブにもサーフボードを1つキープしていました。

ケン・プラット:キャッスルが上がったとき、
あなたはアウトリガーに降りるでしょうね。

ジョージ・ブランジエ:昔、ブロー・ホールに10人が出ていただけで
私たちは(訳者補足:人が多すぎると)不平を言っていたのを覚えています。

現在なら100人はいるでしょうね。

そこでは一面、体だらけです。

ケン・プラット:混雑しすぎです。

ジョージ・ブランジエ:確かに混雑しすぎていますが、
今、私たちがいる場所の波は、
人気のブロー・ホールでかつて私たちが持っていた波と比べたら
全く大したことはありません。』




植物の話が延々続いていたうえ、内容もよくわからなかったので、
その部分は大幅にカットしました。




(次回に続く)

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