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ハワイの新聞記事から その94 1966 ハワイの衣料品産業を後押ししたバイヤー(5) [ハワイの新聞記事から]

筆者が収集した、アロハシャツに関するハワイの新聞記事の中から、
面白そうなものをランダムに選び、翻訳してご紹介しています。

現在は、1966年に『ホノルル・スターブリトゥン紙』に掲載された、
シアーズのバイヤー、ジャネット・ルヴァイン女史の引退に関する記事を
翻訳しているところです。



ルヴァイン退職.jpg

ハワイの衣料品産業を後押ししたバイヤー(5)
文/ホープ・デニス
(ホノルル・アドヴァタイザー紙ファッション・エディター)

 ペンシルベニア出身のルヴァイン女史は、
(訳者補足:同州の)ハリスバーグで、ランジェリーの分野において
ビジネスのキャリアを始めた。

彼女とその夫マックス、彼はホノルル市群の財政課に籍を置いているのであるが、
その二人が1938年にハワイにやって来たとき、
彼女は主婦の役割を演じており、
それは、彼女がシアーズでランジェリー部門長として働くようになる
1941年まで続いた。

 「その当時、ランジェリー部門は水着やセーターも売っていたのです。」と
ルヴァイン女史は言った。

「最初のハワイ製衣料、すなわち『パケ(中華風)』・ジャケットが付いた
ツーピースの水着がファッション界に現れたとき、
会社の残りの人たちはみな新参者だったので、
私がハワイの衣料品の買い付けを始めたのです。」』



ジャネット・ルヴァインはもともとはランジェリー分野で
キャリアをスタートさせ、
シアーズでも最初はランジェリーの担当だったのですが、
その延長で水着も担当することになり、
そこからハワイアン・ファッション全般の買い付けを行うようになったようです。

どんなものでも、最初のうちは畑違いの人が担うということがよくありますよね。
ルヴァイン女史もひょんなことがきっかけで関わるようになり、
ついには大家にまでなってしまったのですね。
人の人生というのは面白いものです。



(次回に続く)

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