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ハワイの新聞記事から その89 1961 ハワイの製造業とシアーズの販売を後押ししたバイヤー(7) [ハワイの新聞記事から]

筆者が収集した、アロハシャツに関するハワイの新聞記事の中から、
面白そうなものをランダムに選び、翻訳してご紹介しています。

現在は、1961年に『ホノルル・スターブリトゥン紙』に掲載された、
シアーズに関する記事を翻訳しています。



ハワイの製造業とシアーズの販売を後押ししたバイヤー(7)
文/ヘレン・デヘイヴン

 ルヴァイン女史には、当然のことながら、自由になる時間がない。

「自由時間には読書しなくてはいけないのですが、
たとえ読書ができる時でも料理してしまう、
それくらい料理することを愛しています。」

 ルヴァイン女史とその夫マックスウェルは1930年に結婚した。

彼は現在、市役所の財政課に籍を置いている。

二人はマカハ・ビーチに隠れ家を持っているが、
そこをルヴァイン女史は「私たちのシャックリラ
(訳注:シャック=掘っ立て小屋と、シャングリラ=桃源郷をひっかけた言葉)」と
呼んでいる。

 彼女は典型的な謙遜を込めて、自分の成功にはシアーズが不可欠だと言う。

「自分が持っているとは思ってもみなかったノウハウを、
私が活用できる場を与えてくれた彼らに感謝しています。」』



この新聞記事は今回で最後になります。

最後まで読んでみても、直接アロハシャツに関係ありそうな話は、
それほど多くは出てきませんでしたね。
残念です。

そうは言っても、
ルヴァイン女史が1941年にシアーズに入社したころには、
カメハメハ、カハラ、ロイヤルハワイアンの3社に別注していたことや、
ハワイ製にこだわり、一緒になって作っていたことなどが語られていました。
そうした話はなかなか貴重な話だと思います。



次回からはまた別の話題になります。
お楽しみに。




(次回に続く)

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