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ハワイの新聞記事から その85 1961 ハワイの製造業とシアーズの販売を後押ししたバイヤー(3) [ハワイの新聞記事から]

筆者が収集した、アロハシャツに関するハワイの新聞記事の中から、
面白そうなものをランダムに選び、翻訳してご紹介しています。

現在は、1961年に『ホノルル・スターブリトゥン紙』に掲載された、
シアーズに関する記事を翻訳しています。



ハワイの製造業とシアーズの販売を後押ししたバイヤー(3)
文/ヘレン・デヘイヴン

 「男児用シャツを、1つの同じサイズで、
メーカー2~3社に注文したことがあります。

そうすると3つの違うサイズで仕上がってきたのです。」

 「心情的には、」と彼女は熱心に言う。

「私はハワイ製のものを売りたかった。

これらのメーカーが大きくなって成功するのを見るのは
私にとって素晴らしいことです。

そうした人々の幾人かは私の赤ん坊なのです。」

 ジャネット・ルヴァインは
ペンシルベニア州ハリスバーグでの子供時代に
マーチャンダイジング(商品政策)の経験を積んだ。

「私の父は、本当に商人だったのですが、宝石を商っていて、
1ドルに感謝する唯一の方法は1ドル稼ぐことであると信じていました。」

 「私が11歳か12歳の時、父は私に、
大人っぽく見えるように髪を結いなさいと言いました。

そうして私は最初の仕事を得たわけです。」』




sears LeVine.jpg

ジャネット・ルヴァイン女史は、
アッパー・マノアにある自身の家で大いなる喜びを感じている。
彼女は、彫像のコレクションの一部と一緒に写っている。
右側にあるのはミクロネシアの人形、
左側にあるのはインドの座った人形である。




(次回に続く)

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