ハワイの新聞記事から その84 1961 ハワイの製造業とシアーズの販売を後押ししたバイヤー(2) [ハワイの新聞記事から]
筆者が収集した、アロハシャツに関するハワイの新聞記事の中から、
面白そうなものをランダムに選び、翻訳してご紹介しています。
現在は、1961年に『ホノルル・スターブリトゥン紙』に掲載された、
シアーズに関する記事を翻訳しています。
ハワイの製造業とシアーズの販売を後押ししたバイヤー(2)
文/ヘレン・デヘイヴン
ルヴァイン女史は1941年にシアーズに入社したのであるが、
それはシアーズがハワイで開業する1カ月前のことであった。
彼女は、自身の相棒は「顧客」と「出所(メーカー)」であると考えている。
「再注文はこのビジネスの活力のもとです」と彼女は言う。
ルヴァイン女史はこれまで、
ホノルルの衣料品メーカーが発展するのを見ることに
深い満足を見出してきた。
彼女がハワイ調の服の買い付けを始めたとき、
「およそ3つのメーカーしか存在しませんでした。
カメハメハ、カハラ(訳注:当時の社名はブランフリート)、ロイヤルハワイアンです。
現在(訳者補足:の仕入れ先)は55社あります。」
シアーズは、店舗のある都市で活動しているメーカーを
伸ばすことを方針としている。
「そのため私はハワイのメーカーと一緒になって仕事をしたのです。
私たちはメーカーのために生地のテストをしましたし、
またメーカーが標準的な規模になる手助けもしました。」』
ヤフオクでシアーズの「ホアロハ」のヴィンテージ・アロハシャツを探してみましたが、
ほとんどありませんでした。
見つかったのがこちらです。
https://page.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/l550882521
アウトリガーカヌーとハイビスカス、帯状のタパ模様などが描かれた
コットン製アロハシャツです。
地味な色合い、小さめの襟、古銭ボタンなどの特徴から、
1950年代末~60年代初頭頃の製品だと推測します。
(次回に続く)
面白そうなものをランダムに選び、翻訳してご紹介しています。
現在は、1961年に『ホノルル・スターブリトゥン紙』に掲載された、
シアーズに関する記事を翻訳しています。
ハワイの製造業とシアーズの販売を後押ししたバイヤー(2)
文/ヘレン・デヘイヴン
ルヴァイン女史は1941年にシアーズに入社したのであるが、
それはシアーズがハワイで開業する1カ月前のことであった。
彼女は、自身の相棒は「顧客」と「出所(メーカー)」であると考えている。
「再注文はこのビジネスの活力のもとです」と彼女は言う。
ルヴァイン女史はこれまで、
ホノルルの衣料品メーカーが発展するのを見ることに
深い満足を見出してきた。
彼女がハワイ調の服の買い付けを始めたとき、
「およそ3つのメーカーしか存在しませんでした。
カメハメハ、カハラ(訳注:当時の社名はブランフリート)、ロイヤルハワイアンです。
現在(訳者補足:の仕入れ先)は55社あります。」
シアーズは、店舗のある都市で活動しているメーカーを
伸ばすことを方針としている。
「そのため私はハワイのメーカーと一緒になって仕事をしたのです。
私たちはメーカーのために生地のテストをしましたし、
またメーカーが標準的な規模になる手助けもしました。」』
ヤフオクでシアーズの「ホアロハ」のヴィンテージ・アロハシャツを探してみましたが、
ほとんどありませんでした。
見つかったのがこちらです。
https://page.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/l550882521
アウトリガーカヌーとハイビスカス、帯状のタパ模様などが描かれた
コットン製アロハシャツです。
地味な色合い、小さめの襟、古銭ボタンなどの特徴から、
1950年代末~60年代初頭頃の製品だと推測します。
(次回に続く)
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