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ハワイの新聞記事から その35 1987 アロハシャツの創造者たち(12) [ハワイの新聞記事から]

筆者が収集した、アロハシャツに関するハワイの新聞記事の中から、
面白そうなものをランダムに選び、翻訳してご紹介しています。

現在は、ホノルル・アドヴァタイザー紙の1987年の記事を翻訳中で、
話題はキングスミスのチャン兄妹についてです。


『アロハシャツの創造者たち(12)
 文/ロン・ロンク(ホノルル・アドヴァタイザー紙 アート・ライター)

 エラリーは1945年にアメリカン・セキュリティ銀行に重役として入り、
次第に服飾ビジネスから遠ざかった。

ダウンタウンの店は借家契約を失い、
エラリーは1950年にエセルにその店を売却した。

 エセルはダウンタウンの店をカラカウア通りに移転させ、
キングスミス・スポーツウェアと店名を変えた。

それは、彼女が実際に観光客に売っているようなカジュアルな服を
より正確に表現するためであった。

彼女は相変わらず、日々の店舗運営に力を注いでいたが、
1963年に店を売却し服飾ビジネスから手を引いた。』




エセルがカラカウア通りに移転させた店舗というのは、
この建物だったと思います
(今すぐに住所の記録が出て来ないため、正確ではないかもしれませんが)。

kingsmith1.jpg

kingsmith2.jpg

(ストリートビューより引用)

アールデコのデザインが印象的な建物ですね。
おそらく当時のままのデザインだと思います(色は塗りなおしている可能性があります)。


エラリーは、1945年(つまり第二次世界大戦終戦の年)から50年の間に
次第に服飾ビジネスから遠ざかったということは、
1950年前後に全盛期を迎えるアロハシャツに
直接的には関与していないことになります。
それはつまり、その時期からエセルがキングスミスの経営を実質的に担うようになり、
1950年以降は全面的に関わったということを意味するわけです。

何を言いたいかと言いますと、
「戦後はほとんどアロハシャツのテキスタイルデザインを
やっていないのではないか?」ということです。
実際、1950年頃のキングスミスの、レーヨン・抜染のアロハシャツに、
他社も使っている柄が使われているのです。
「戦後はオリジナルデザインが1点もなかった」とまでは言いませんが、
デザインに対する情熱もやや冷めていたのではないでしょうか?


そしてもう1つ、
「1963年に店を売却し服飾ビジネスから手を引いた」
という記述に注目したいと思います。

筆者は、ポリエステル素材の、「アロハ」ブランドのシャツを持っているのですが、
それは、別の誰かが作っていたシャツだったということになります。
ちょっと残念です。



次回がこの記事の最終回となります。



(次回に続く)

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