ハワイの新聞記事から その36 1987 アロハシャツの創造者たち(13) [ハワイの新聞記事から]
筆者が収集した、アロハシャツに関するハワイの新聞記事の中から、
面白そうなものをランダムに選び、翻訳してご紹介しています。
現在は、ホノルル・アドヴァタイザー紙の1987年の記事を翻訳中で、
話題はキングスミスのチャン兄妹についてです。
『アロハシャツの創造者たち(13)
文/ロン・ロンク(ホノルル・アドヴァタイザー紙 アート・ライター)
エセルは語る。
「最初はたった2、3枚のシャツから始まり、
一大産業にまで成長しました。
そうなる途中では頭痛の種もあったはずなのですが、
全てが始まったあの時代のことを思い返す時、
良い時のことしか思い出さないのです。」』
前回のブログで、エセルは戦後は経営の方に力を入れ、
テキスタイル・デザインはあまりやっていなかったのではないか?
という推測を提示しました。
上の記事での発言を読むと、
具体的には述べられていませんが、
最初の頃(1930年代)の、テキスタイル・デザインをやっていた時代を
懐かしく思い出しているように聞こえるのです。
ちなみに、この記事では語られていませんが、
エセルは1963年に服飾ビジネスから手を引いたあと、
学校の先生をやっていたそうです。
おそらく美術の先生でしょうね。
アロハシャツは1960年代に入ると、
人気の面でも、品質(素材や縫製や柄)の面でも右肩下がりになっていったと思われ、
1963年にやめたというのは賢い選択だったのかもしれません。
この新聞記事の翻訳は、今回で終了です。
(次回に続く)
面白そうなものをランダムに選び、翻訳してご紹介しています。
現在は、ホノルル・アドヴァタイザー紙の1987年の記事を翻訳中で、
話題はキングスミスのチャン兄妹についてです。
『アロハシャツの創造者たち(13)
文/ロン・ロンク(ホノルル・アドヴァタイザー紙 アート・ライター)
エセルは語る。
「最初はたった2、3枚のシャツから始まり、
一大産業にまで成長しました。
そうなる途中では頭痛の種もあったはずなのですが、
全てが始まったあの時代のことを思い返す時、
良い時のことしか思い出さないのです。」』
前回のブログで、エセルは戦後は経営の方に力を入れ、
テキスタイル・デザインはあまりやっていなかったのではないか?
という推測を提示しました。
上の記事での発言を読むと、
具体的には述べられていませんが、
最初の頃(1930年代)の、テキスタイル・デザインをやっていた時代を
懐かしく思い出しているように聞こえるのです。
ちなみに、この記事では語られていませんが、
エセルは1963年に服飾ビジネスから手を引いたあと、
学校の先生をやっていたそうです。
おそらく美術の先生でしょうね。
アロハシャツは1960年代に入ると、
人気の面でも、品質(素材や縫製や柄)の面でも右肩下がりになっていったと思われ、
1963年にやめたというのは賢い選択だったのかもしれません。
この新聞記事の翻訳は、今回で終了です。
(次回に続く)
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