ハワイの新聞記事から その34 1987 アロハシャツの創造者たち(11) [ハワイの新聞記事から]
筆者が収集した、アロハシャツに関するハワイの新聞記事の中から、
面白そうなものをランダムに選び、翻訳してご紹介しています。
現在は、ホノルル・アドヴァタイザー紙の1987年の記事を翻訳中で、
話題はキングスミスのチャン兄妹についてです。
『アロハシャツの創造者たち(11)
文/ロン・ロンク(ホノルル・アドヴァタイザー紙 アート・ライター)
エラリーが語る。
「アロハシャツの成功は運に任せた結果ではありません。
私たちはラジオと印刷物の広告とで
強力にアロハシャツの販売促進をしました。
誰もがいたるところでその名前を聞いたはずです。」
エラリーのリーダーシップのもと、
キングスミスのビジネスは急成長し、
すぐに、観光客市場を当て込んだ拡大計画が持ち上がった。
1940年にエラリーはキングスミスの2号店を、
ワイキキのカラカウア通りの、ビーチ・ウォークの向かいに、
エセルを支配人にして開いた。』
この文章で述べられている
「1940年にオープンしたキングスミスの2号店」というのは、
以前ご紹介した、モダンな建物のショップです。
(筆者コレクションより)
キングスミスは、アロハシャツを中心として、
スイムウェアなども幅広く扱っていたため、
結構繁盛したようです。
そもそも1930年代後半という時代は、大恐慌後の経済回復期に当たり、
米国本土からお金持ちの観光客が増えたため
(一般庶民の観光客が増えた戦後ほどたくさんの人が来たわけではありませんが)、
ワイキキあたりもかなりにぎわっていたと思われます。
この時期(1930年代末~40年代初頭)、
ホノルルのダウンタウンに店を構えていた衣料品店が、
ワイキキにも支店を出すようになっていきます。
それだけ観光客の需要が増加していたということだと思います。
(次回に続く)
面白そうなものをランダムに選び、翻訳してご紹介しています。
現在は、ホノルル・アドヴァタイザー紙の1987年の記事を翻訳中で、
話題はキングスミスのチャン兄妹についてです。
『アロハシャツの創造者たち(11)
文/ロン・ロンク(ホノルル・アドヴァタイザー紙 アート・ライター)
エラリーが語る。
「アロハシャツの成功は運に任せた結果ではありません。
私たちはラジオと印刷物の広告とで
強力にアロハシャツの販売促進をしました。
誰もがいたるところでその名前を聞いたはずです。」
エラリーのリーダーシップのもと、
キングスミスのビジネスは急成長し、
すぐに、観光客市場を当て込んだ拡大計画が持ち上がった。
1940年にエラリーはキングスミスの2号店を、
ワイキキのカラカウア通りの、ビーチ・ウォークの向かいに、
エセルを支配人にして開いた。』
この文章で述べられている
「1940年にオープンしたキングスミスの2号店」というのは、
以前ご紹介した、モダンな建物のショップです。
(筆者コレクションより)
キングスミスは、アロハシャツを中心として、
スイムウェアなども幅広く扱っていたため、
結構繁盛したようです。
そもそも1930年代後半という時代は、大恐慌後の経済回復期に当たり、
米国本土からお金持ちの観光客が増えたため
(一般庶民の観光客が増えた戦後ほどたくさんの人が来たわけではありませんが)、
ワイキキあたりもかなりにぎわっていたと思われます。
この時期(1930年代末~40年代初頭)、
ホノルルのダウンタウンに店を構えていた衣料品店が、
ワイキキにも支店を出すようになっていきます。
それだけ観光客の需要が増加していたということだと思います。
(次回に続く)
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