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ハワイの新聞記事から その31 1987 アロハシャツの創造者たち(8) [ハワイの新聞記事から]

筆者が収集した、アロハシャツに関するハワイの新聞記事の中から、
面白そうなものをランダムに選び、翻訳してご紹介しています。

現在は、ホノルル・アドヴァタイザー紙の1987年の記事を翻訳中で、
話題はキングスミスのチャン兄妹についてです。


『アロハシャツの創造者たち(8)
 文/ロン・ロンク(ホノルル・アドヴァタイザー紙 アート・ライター)

 エラリーが思い出して語る。

「1933年、私は店の売り上げを増やす方法を
いろいろ試してみようと思っていたところ、
ある地元スタイルのシャツを販売促進することを思いつきました。

ただ、既製のハワイ柄のプリント生地は手近なところになかったので、
日本の柄物の浴衣地を手に入れて、
半袖でスクエア裾のシャツを数十着仕立ててもらいました。

そしてそのシャツを店のショーウィンドウに飾り、
『アロハシャツ』と書いたサインプレートを一緒に置いたのです。」

「最初のうちは目先の変わった商品でしたが、
そのアイデアには大きな可能性があることに気付きました。

1936年にテスト期間は終わり、
エセルが描くオリジナル柄の、もっと売れるハワイアンシャツを作ろうと
決心しました。

そしてアロハシャツという名前を商標登録し、
その新しいシャツに付ける織ネームを
私とエセルとでデザインしたのです。」』




この文章を読むと、
「1933年に、ある地元スタイルのシャツに目を付けた」こと、
それが「日本の柄物の浴衣地を使っていた」こと、
そして
「半袖でスクエア裾であった」こと、
がわかります。

ここでエラリーは「販売促進した(promote)」と言っていますが、
1933年にはまだアロハシャツの広告は新聞に出していません。
実際は「お店の打ち出し商品として、ショーウィンドウの目立つ場所に飾った」
というくらいの意味合いではないかと筆者は考えます。

ちなみに筆者は、1933年、34年、35年、36年の新聞を丁寧に確認しましたが、
1935年6月28日のムサシヤ・ショウテンの広告以前に、
キングスミスに限らずどこの店も「アロハシャツ」という言葉を使っていません。
そのため、本当に1933年にキングスミスがアロハシャツを作り、
アロハシャツという名前で売り出したのか、
あるいは別の誰かが最初にこのシャツを作ったのか、
また誰が最初にこの名前を使ったのかは、わからないのです。

本当にキングスミスかもしれませんし、
あるいはほかの店だったのかもしれません。
それは永久に証明できないでしょう。


起源についてはともかく、上の文章で注目すべきなのは、
「日本の柄物の浴衣地を使っていた」ことです。

つまりシルク地ではなくコットン地であっただろうという点です。
価格が手頃であった点からも、コットン地だと推測できます。

しかし、どのような色の、どのような柄であったかは
残念ながら、やはりわかりません。
どこかに現物が残っていればいいのですが、なかなか難しいでしょうね。




(次回に続く)

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