SSブログ

ハワイの新聞記事から その30 1987 アロハシャツの創造者たち(7) [ハワイの新聞記事から]

筆者が収集した、アロハシャツに関するハワイの新聞記事の中から、
面白そうなものをランダムに選び、翻訳してご紹介しています。

現在は、ホノルル・アドヴァタイザー紙の1987年の記事を翻訳中で、
話題はキングスミスのチャン兄妹についてです。


『アロハシャツの創造者たち(7)
 文/ロン・ロンク(ホノルル・アドヴァタイザー紙 アート・ライター)

 エラリーは、この聞き取りが行われているエセルを
ひょっこり訪ねてきたのであるが、
その彼によれば、
1930年代以前に「花柄」のプリントシャツをホノルルで着ていた人は、
「流行に敏感なプナホー高校の生徒以外」には、
ほとんどいなかったという。

ホノルルの人々は、単色のシャツかシンプルなストライプのシャツか、
あるいはプランテーション農場の労働者たちに好まれた、
青と白のチェック柄のパラカシャツを着ていた。

こうした労働者たちは普通、
「セイラー・モク」・トラウザーという名で知られていた
ベルボトムのブルーデニム地のパンツの上にシャツを着ていたのである。』




「1930年代以前には、花柄のプリントシャツを着ていたのは、
 流行に敏感なプナホー高校の生徒くらいのもので、
 ほとんどの人は、単色のシャツか、シンプルなストライプのシャツか、
 パラカシャツを着ていた」
ということが述べられています。

男性が、(着物地の)花柄のシャツを着ていたのは非常に珍しかったのでしょう。


ここで、パラカシャツの話が出てきますが、
それほど多くの人が着ていたシャツではないと思います。

というのも、パラカシャツは、1920年代に誕生し、
そもそもは、プランテーションの労働者が着るワークウェアでした。

VintageAloha_image_005.jpg

https://www.sunsurf.jp/news/193/
(サンサーフのHPより引用)

それが1930年代初頭になると、スノッブな若者たちのおしゃれ着となりました。

つまり、前者は洗いざらした、あるいは薄汚れたものであるのに対して、
後者はおそらく新品の、こぎれいなものだったと推測され、
そのようなおしゃれ着としてのきれいなパラカシャツを着ていた人は、
流行に敏感な、一握りの若者たちだったのではないかと思うのです。

着古したようなパラカシャツを着た労働者ももちろんいたでしょうが、
それは郊外のプランテーションでの話で、
ホノルルの町中に限って言えば、
単色(おそらく白無地)のシャツかストライプのシャツを着た人が
多かったのではないかと筆者は考えています。


また、「セイラー・モク・トラウザー」というのは、
このような、ボタン留めのデザイン ↓ で

21ja04zza1.jpg

https://e-dracaena.com/?pid=156587438
(DracaenaさんのHPより引用)

ブルーデニムを使ったトラウザーのことです。

これも、もともとは軍関係者たちが着ていたワークウェアですが、
1930年代初頭に、スノッブな若者たちが町中でのおしゃれ着として
着ていたようなのです。


キングスミスでは、パラカシャツもセイラー・モク・トラウザーも
販売していました。
もちろん、お洒落な都会の若者向けです。




(次回に続く)

nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:ファッション

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。