ハワイの新聞記事から その26 1987 アロハシャツの創造者たち(3) [ハワイの新聞記事から]
筆者が収集した、アロハシャツに関するハワイの新聞記事の中から、
面白そうなものをランダムに選び、翻訳してご紹介しています。
以下はホノルル・アドヴァタイザー紙の1987年の記事の翻訳で、
話題はキングスミスのチャン兄妹についてです。
『アロハシャツの創造者たち(3)
文/ロン・ロンク(ホノルル・アドヴァタイザー紙 アート・ライター)
「もちろん、たくさんのデザインがありましたが、
これは全部、私がとっておいた作品です。
エラリーが、歴史的な記念品としてとっておくようにと
わたしにくれました。」
キングスミス・クロージャーズは元々は
C・K・チャウ&カンパニーという名前であった。
それはエラリーとエセルの父親チャン・カム・チャウが創業したものである。
エラリー(78歳)は、1927年にプナホー高校を卒業し、
その後イェール大学に進んで経済学を学んだ。
学位を取得して1931年にホノルルに戻り、22歳で店を継いだ。
彼は店の名前をキングスミス・クロージャーズに変えたのだが、
それは店が、キング通りの、スミス通り近くに位置していたからである。
エセル(73歳)はエラリーより5歳若く、
エラリー同様、プナホー高校に通い、
その後、1936年にハワイ大学マノア校を、家政学の学位を取得して卒業した。
彼女は大学で、線画、絵画、彫刻のコースも履修した。
勉強が一段落したとき、
彼女は、エラリーが売りたいと思っていたシャツ用の
プリント生地の柄の創作を始めたのである。』
(次回に続く)
面白そうなものをランダムに選び、翻訳してご紹介しています。
以下はホノルル・アドヴァタイザー紙の1987年の記事の翻訳で、
話題はキングスミスのチャン兄妹についてです。
『アロハシャツの創造者たち(3)
文/ロン・ロンク(ホノルル・アドヴァタイザー紙 アート・ライター)
「もちろん、たくさんのデザインがありましたが、
これは全部、私がとっておいた作品です。
エラリーが、歴史的な記念品としてとっておくようにと
わたしにくれました。」
キングスミス・クロージャーズは元々は
C・K・チャウ&カンパニーという名前であった。
それはエラリーとエセルの父親チャン・カム・チャウが創業したものである。
エラリー(78歳)は、1927年にプナホー高校を卒業し、
その後イェール大学に進んで経済学を学んだ。
学位を取得して1931年にホノルルに戻り、22歳で店を継いだ。
彼は店の名前をキングスミス・クロージャーズに変えたのだが、
それは店が、キング通りの、スミス通り近くに位置していたからである。
エセル(73歳)はエラリーより5歳若く、
エラリー同様、プナホー高校に通い、
その後、1936年にハワイ大学マノア校を、家政学の学位を取得して卒業した。
彼女は大学で、線画、絵画、彫刻のコースも履修した。
勉強が一段落したとき、
彼女は、エラリーが売りたいと思っていたシャツ用の
プリント生地の柄の創作を始めたのである。』
(次回に続く)
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