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ハワイの新聞記事から その15 1945年 最初のアロハシャツを探す旅(1) [ハワイの新聞記事から]

筆者が収集した、アロハシャツに関するハワイの新聞記事の中から、
面白そうなものをランダムに選び、翻訳してご紹介しています。

現在は、キングスミスについての話題で、
1945年(と思われる)の新聞記事の翻訳になります
(正確な日付は不明)。


『最初のアロハシャツを探す旅(1)
 文/ローナ・アーレン

 我々は先日、アロハシャツについて考えるようになった。

そして、ハワイのほとんどシンボルにまでなった色の氾濫
(訳者補足:とも言える派手なシャツ)はどこで生まれたのだろうかと
思い始めたのである。

 この少し空想的なシャツを、誰が最初に着ようと思いついたのだろうか、
そしてどれくらい前からハワイで着られているのだろうかと我々は思った。

そこで我々はニュースを嗅ぎつける鋭い勘を身にまとって、
その答えを探す旅に出た。

 全ては約10年前、プナホー高校で始まったという事実を発見した。

その時、一団の生徒たちが「面白半分で」幾枚かのシャツを
仕立てたというのである。

彼らは、自分の家の日本人女中たち、
彼女たちはその生地を着物を作るのに使ったのであるが、
その女中たちから生地を得て、あるテーラーでシャツを作ってもらったのである。』



ローナ・アーレンという筆者が「女性の世界」というタイトルの
連載コラムを新聞で執筆していたようですが、
その中でアロハシャツの起源について調べた回がありました。
掲載された日付がわからないのですが、
「約10年前、プナホー高校で始まった」という記述から、
1945年頃に書かれた文章だと筆者は推測しました。

ここでかなり衝撃的なことが書かれています。
「一団の生徒たちが『面白半分で』幾枚かのシャツを仕立てた」
「自分の家の日本人女中たちから生地を得て、
 あるテーラーでシャツを作ってもらった」
というのです。

ローナ・アーレンが、いろいろな人に聞いて回った結果、
そのような話を聞きつけたようで、
約10年前の話ですから、かなり正確なのではないでしょうか?

まず注目すべきは「あるテーラー」と「単数形」で書かれているところです。
つまり、複数の生徒がみな同じ店で作ってもらったということを
意味しているのです。
どこの店なのでしょうか?
「ムサシヤショウテン」(藤井氏が買い取ったあとの店)、
あるいは「ムサシヤザシャツメーカー」(ムサシヤを売ったあとに宮本氏が開いた店)
でしょうか?
答えが書かれていないのですが、とても気になるところですが、
「テーラー」と書かれているので、「ムサシヤザシャツメーカー」でしょうか?
これは筆者のこれまでの推測に修正を迫る情報かもしれません。

また「日本人女中たちが着物を作るための生地(つまり着物地)をもらって」
作ったという点にも注目しておきたいと思います。
つまり、着物をほどいてシャツに仕立て直したわけではなく、
女中が着物を作ろうと思って買っておいた生地(おそらく新品)でシャツを作った、
ということなのです。

さらには「面白半分で」作ったという点も新しく聞く話です。



次回もこの話が続きます。
いろいろな新情報が出てくるかもしれませんね。
こうご期待。



(次回に続く)

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