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ハワイの新聞記事から その16 1945年 最初のアロハシャツを探す旅(2) [ハワイの新聞記事から]

筆者が収集した、アロハシャツに関するハワイの新聞記事の中から、
面白そうなものをランダムに選び、翻訳してご紹介しています。

現在は、キングスミスについての話題で、
1945年(と思われる)の新聞記事の翻訳になります
(正確な日付は不明です)。


『最初のアロハシャツを探す旅(2)
 文/ローナ・アーレン

 男子生徒たちのこの酔狂を面白いと思った観光客たちがすぐに、
着物柄のシャツを自分で着るために注文し始め、
それを本土に住む友人たちに送った。

このファッションは徐々にハワイ在住者の間にも広がり、
ついには誰もが着るまでになったのである。

 1936年になってようやく、このようなシャツは既製服として
大量生産されるようになった。

ある地元の商店主、ちなみにその人物が
「アロハシャツ」という名前を商標登録させたのであるが、
彼はその当時、自らの洋品店でそのようなシャツを
(売るために)ストックしていたのである。

 このシャツは初めのうちは、
普通の男性用シャツと同じように作られ、
また、裾をトラウザーやスカートの中に入れて着られていた。

アロハシャツの物語の次なる発展は、
地元の市民たちがこのシャツの裾を出して、
腰の位置で結んで着始めた時に起こった。

 そこで、このシャツを最初に市販した商店主は、
今度は、より結びやすいように
左右の前裾を長くして作った最初の人物となったのである。(続)』




前回翻訳した部分で、
「プナホー高校の男子生徒たちが着物柄の派手なシャツを
 『面白半分で』テーラーで作ってもらった」
ということが明らかになりました。

そしてそれに続く今回の記述では、
「この酔狂を面白いと思った観光客たちがすぐに、
 着物柄のシャツを自分で着るために注文し始め、
 それを本土に住む友人たちにも送った」
ということも明らかになりました。

その次の記述で「1936年に大量生産が始まった」と書かれているのは、
カメハメハガーメントやカハラ(当時はブランフリート・スポーツウェア)が
工場を立ち上げ、生産を始めたことを指しています。
ただ実際は、その前年の1935年の6月にはすでにムサシヤショウテンが
アロハシャツを販売していたことがわかっています。
工場での生産ほど大量ではありませんが、
ほどほどの数量の、既製品のアロハシャツが作られていたわけです。

そして上の記述では名前は明かされていませんが、
「ある商店主」としてキングスミスのエラリー・チャンが紹介され、
「結びやすいように左右の前裾を長くして作った」とも書かれています。
これは彼が「ワイキキ・シャツテール」と名付けたシャツで、
(上の記述ではあいまいですが)
女性の間でこのような着方が流行したようなのです
(男性はこのような着方はしませんでした)。
女性がそれを着たイラストが、
当時のキングスミスの広告に、名称と一緒に掲載されていました。

そのような着方と、そのようなデザインのシャツは
当時の人々の目には新鮮に映ったことでしょう。
そのためローナ・アーレンはそのような着方を
「アロハシャツの物語の次なる発展」と書いたのでしょう。



(次回に続く)

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