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ハワイの新聞記事から その3 1954年 ジョン・メイグスがハワイを訪れる(1) [ハワイの新聞記事から]

筆者が収集した、アロハシャツに関するハワイの新聞記事の中から、
面白そうなものをランダムに選び、翻訳してご紹介していきたいと思います。

第3回目の今回は、伝説のテキスタイル・デザイナー、ジョン・メイグスに関する、
1954年のホノルル・スターブリトゥン紙の記事になります。



ジョン・メイグス.jpg


元ホノルルの画家メイグス 現在はバリバリの南西部人(1)

 1951年にここホノルルを発ったとき、
ジョン・メイグスは、派手なアロハシャツとラウハラ編みの帽子を身に着け、
口髭をたくわえていた。

先日ハワイに戻ったとき、
彼はフロンティア・スタイルのトラウザーとカウボーイ・ブーツと
ステットソン・ハットを身に着け、
以前よりも大きな口髭と小さな顎髭をたくわえていた。

 一人の画家としてメイグスは、
自分が仕事をする場所の趣を吸収することにとりわけ長けているのである。

このような保護色は過去数年の彼の作品に及んでいる。

 ハワイに住んだ13年の間に、
彼は、ケオニ・マクミランの名前で生み出された
ファブリック・デザインで知られるようになった。

 現在はニュー・メキシコに住み、
南西部の風景画家として徐々に名声を得てきている。』



ジョン・メイグスは、1951年に、
アロハシャツのテキスタイル・デザイナーとしての地位を捨てて
ニュー・メキシコに移住し、風景画家として暮らしていたようです。

その彼が、理由はわかりませんが、3年後の1954年にハワイに一時的に戻り、
記者からの取材を受けています。
上の記事はそのときのものです。

1954年のジョン・メイグスの生活はどのようなものだったのかが、
この後語られることでしょう。

この記事の中で、1点注目しておきたいのは、
「ケオニ・マクミラン」という名前でファブリック・デザインの仕事をしていた、
という部分です。
「(ジョン・)ケオニ・メイグス」とか「ジョン・マクミラン」と
名乗っていたことは知られていますが、
「ケオニ・マクミラン」という名前も使っていたというのは、
これまであまり知られてこなかったと思います。



(次回に続く)

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